エーテル論者と天球儀
04.天体願望 〜あるいは壮大な破滅思考〜
まずいことをしてしまった。
詳細はあまり言いたくはないが、当時、少しばかりまとまったお金を私が必要としていたこと、そんな私が会社のお金を自由に動かせる立場にあったこと。この2点で察してもらいたい。
なぜこんなことをしたかと言うと、やはり出来心ということになるのだろうか。こちらとしても込み入った事情があるので、あまりそのような言葉でまとめられたくないというのが本心だが、こればかりは致し方があるまい。
明日、外部の第三者を交えて調査が行われる。もうどこにも逃げ道はない。今日中に荷物をまとめてどこかへ高飛びしても、すでに警戒されている身の上では、すぐに足がつくだろうし悪印象を与えるだけだ。
妻と子どもはすでに実家に帰っている。もう子どもに会うこともないかもしれない。妻とも元妻になるための事務的な話し合いで会うのがせいぜいか。弁護士を介されれば、それすらもかなわない。一人、自室でたたずんでいると後悔と反省が打ち寄せる波のように心にやってくる。だが、心の中でわびても罪は償えやしないし、家族も帰って来やしない。
つまり、まな板の上のコイ。大人しく明日を待つしかない身の上。
こんなとき、誰もいない家にいても仕方がない。実刑ともなれば、しばらく外にも出られない。日帰りで足の向くまま、どこかに出向いてみるのもいいかもしれない。恐らくそれでも気分は晴れやしないだろうけど。そんな後ろ向きな気持ちを抱えて、そっとつま先を靴に突っ込んだ。
ふらふらと歩く。心がここにないのだから仕方がない。いっそ車がひいてくれないだろうかという考えがよぎるが、運転手に迷惑をかけてはならない。その一心で必死にこらえる。
そんな覚束ない足取りが連れてきた場所は、街を歩いていればしばしば目にすることのある施設、プラネタリウムだった。
近所にこんなもんがあったんだな、最初にそのドーム状の建物を目にしたときの率直な感想はそれだった。思えば、家族とこういった場所にも久しく来ていなかった。そのような家族とのふれあいの欠落が、自分をあのような悪事に駆り立ててしまったのかもしれない。
そう思うと、今さら感もあるし罪滅ぼしにはなりそうにないが、星空を見上げていれば、自分の悩みなんてちっぽけに感じるなんて話もある。ちょっと見てみようか、そのように考えた私はチケットを購入するために窓口へと向かった。
ドームの中に入ると、すでに暗中には人が数人おり、座席もぼちぼち埋まり始めていた。次の開始時間は約10分後。満員にはなりそうにないが、こういうものはいくらか席に空きがあったほうが心地よく見られるというものだ。私はチケットに印字された座席を探し出して腰を下ろし、頭をもたげてくる明日以降のことを必死に脳内から追い出す作業を再開した。
その忌まわしき作業に忙殺されていると、やがて天蓋が光り輝く。そしてアナウンスの声が聞こえ、上映が始まった。
この日の上映の内容は、星座やその成り立ちなどを期待していた私の予想を大きく裏切って、恒星についての話だった。
恒星は原始星として誕生し、核融合が行われるということ。その寿命は質量でだいたい決まるということ。とはいえ、短くとも数千万年単位、長いものになると数兆年以上になるという説明が行われ、同時に図で説明がなされている。
引き続き、恒星の最期についての話が展開されていく。
太陽よりもはるかに大きい恒星の場合、最終的には超新星爆発というものを起こすらしい。それは夜空を大きく照らすほど明るく、昼間でも見えるほどのようだ。だが、例えばその恒星が地球から1000光年離れていた場合、その爆発は1000年前のものとなる。光が1年に進む距離が1光年のため、爆発の光がわれわれの目に届くのは1000年後になるからだそうだ。
また、最も身近な恒星である太陽の最期についても説明があった。太陽くらいの中程度の大きさの恒星の場合、超新星爆発は起こらず赤色巨星というものになるそうだ。太陽がその赤色巨星となる時期は、およそ50億年後らしい。その際、太陽は今の数百倍の大きさにまで膨張するため、地球はその膨張に飲み込まれてしまうようだ。
周囲の人々の「やべえな」、「怖いねえ」というささやきが聞こえる中、赤色巨星となって膨張した太陽とそれに飲み込まれる地球の図を見ながら、思わず「いいなあ」とつぶやいてしまう。
全てが太陽に飲み込まれる。それが今日、起こってくれるならどんなにいいことか。何かの間違いで50億年ほど早く起きてはくれないだろうか。起きてくれないだろうなあ。無理な納期の前倒しも下請法違反だもんなあ。
それだけじゃない。恒星って素晴らしい。爆発がバレるのが数千年、数万年単位で先だなんて。横領がバレるのも1000年先、いや、せめて100年先だったらなあ。草葉の陰で「ついついポッケに入れちゃいました。てへっ、めんごめんご」ってペロッと舌を出してれば済むのになあ。
ああ、つくづく星になりたい人生だった。
上映が終わり、ドームは元の暗い場所に戻る。人々は次々に席を立ち、感想を言い合いながら後にしていく。そんな中、いつまでも脳内で星になりたいという思いを抱えたまま、私は座席から立ち上がることもせず、壮大な星の世界を夢見て放心していた。
作品名:エーテル論者と天球儀 作家名:六色塔