エーテル論者と天球儀
03.婿入り
「ごめんくださーい」
「はいはーい。おやおや、あんたかい。久しぶりだねぇ」
「近くまで来ましたので、ごあいさつにお伺いしやした」
「いやぁ、326年ぶりだ。相変わらずほっつき歩いてるんだねぇ、彗星ってのは」
「こりゃ、相変わらず手厳しい。女手一つで惑星系を切り盛りしてるHD384661姐さんにかかっちゃあ、かなわねぇ」
「世辞なんていらないよ。で、用事はなんなんだい。どうせまた金の無心に来たんだろ。顔出しゃ金、金ってピーピーわめくんだ。しょうがないねぇ、まったく」
「姐さんから切り出してくれりゃ、話が早い。このとおり、また少しばかりお願いしやすよ」
「そうしてやりたいところだけど、今、うちも大変なのさ」
「へぇ、なんかあったんです?」
「ああ。黒穴屋ってぇ両替商がいるだろう。あいつがうちのGliese 966gちゃんを妾にしたいって言い出してね」
「あの助平じじいですか。妾に飽きたら闇に葬っちまうってひどい評判の」
「うん。金を積んでなんとかできないかと思っててね。今はおまえさんに小遣いをやる余裕もないのさ」
「Gliese 966gちゃんといえば、この銀河でも指折りの器量よしですからね。青々とした美しい水、丸ぽちゃの健康的な大地、そこを楚々とした大気がスッと立ち上る仕草。たまらねえっすよ」
「そう。自慢の惑星娘だよ。でも相手はあの黒穴屋。目をつけられたら逃げられない。それに、下手に逆らったらあたしら惑星系ごと闇に飲まれっちまう。金で諦めてくれりゃいいんだけどねぇ。あの娘も気丈に振る舞ってはいるけど、一人になるといつも泣いてるのさ」
「うーん、困りましたね。……あ、そうだ。姐さん、こうしてみたらどうでしょう」
「なんだい、手があるのかい」
「ええ。Gliese 966gちゃんに許婚がいたことにすればいいんです。黒穴屋だって商売だ。約束のある娘に手は出せませんよ」
「そりゃそうだ。けど、なら実際に許婚を見繕わないと」
「Gliese 966gちゃんならあっしは大歓迎ですよ。でも、Gliese 966gちゃんはあっしを知らないか。でも、そこはどうにかなるでしょう」
「はぁ? 話ぃ聞いてりゃおまえさん、どさくさに紛れてあの娘の婿に収まろうって腹なのかい。たちの悪い彗星だねぇ。下手したら黒穴屋よりひどいよ」
「いやいや、姐さん、よくよく考えてくださいよ。これで四方、丸く収まるんです。黒穴屋は手を引く。姐さんは顔が立つ。あっしは別嬪さんの婿。Gliese 966gちゃんは闇を逃れて粋な色男に嫁ぐ。完璧ですよ」
「うーん。300年もふらふらしてるやつにあの娘をやりたくないねえ。それにおまえさん、色男ってぇ面かい?」
「いいからいいから。じゃ、まず婿入りにあたって彗星をやめるんで、最後のごあいさつにひと回りしてきます。そのための路銀をいただきますよっと。あ、あとGliese 966gちゃんと黒穴屋にはうまく話をして、時間を稼いでおいてください。じゃ、なるべく急いで帰りますんで」
「あ、行っちゃったよ。大丈夫かねぇ。早く帰るったって326年後だよ。でも、他に手もないし、あいつに任せるしかないねぇ」
というわけでこの彗星男、かわいい惑星娘を救うために最後の軌道周回へと旅立ちます。そこで顔を合わせたのが、C/1698 S1という先輩の彗星でした。
「お、元気か」
「あぁ、兄貴」
「ちょうどいいや。ちょっと一杯付き合えや」
「いや、今、急いでるんすよ」
「どうせ野暮用だろ。つまんねぇこと言うな」
「いや、それが、かくかくしかじかなんです」
「ほう、そうか。あの美人のGliese 966gちゃんがそんなことになってるのか。そりゃ、ほっとけねえな。じゃ、周回中にいろんな星と話ぃしとけ」
「と、いうと?」
「姐さんたちのような恒星や惑星、衛星は軌道が安定してるからな、あんまりよそのことを知らねえんだ。その点、俺たち風来坊の彗星はいろんな星と情報交換できる。やり方次第じゃあ黒穴屋の足をすくえるかもしれねえぞ」
そういうと、先輩彗星は彼の背中を押すようにスイングバイを行い、彼の速度を上げて去っていきました。
彗星男は言いつけを守り、星々と話をしながら軌道を進みます。ところが、お次に現れたのが巨大なガス惑星、WASP-738。たくさんの芸者衛星を引き連れて小料理屋を営むこの女将は、恒星のHD384661姐さんにはさすがに頭が上がりませんが、店を繁盛させているやり手なので皆から一目置かれているのです。
「おや、あんた、久しぶりだね。おいで、また326年分の旅の垢を落としてきな」
「あ、どうも、女将さん。でも、今回はちょっと」
「どうしたんだぃ? いつもならうちの芸者に惚れ込んで、もう衛星なんてやめちまおうか、なんて言いながら10年くらい遊んでくのに。今回もなんだかんだ言いながら寄ってくんだろ。ちょうどこないだ、おまえ好みの清楚な娘も入ったんだよ」
「いや、それが、かくかくしかじかなんです」
「ばかなことを言うよ。あのGliese 966gちゃんが旅烏の彗星になんて嫁ぐわけないだろう。あの娘にゃかなわないが、うちにもいい娘はたくさんいるんだから、変な夢ぇ見てないでさっさとお入り」
と、あわやガス惑星の重力に引き込まれる寸前、そこにやってきたのは同士の彗星たちでした。
「おう。WASP-738の女将。今日は先々で彗星仲間に偶然会って意気投合してね。これからみんなで大いに飲んで騒ごうって腹だから一つ頼むよ。でも、俺たちゃこいつが好きな清楚な娘っ子より、小股の切れ上がった姉御肌のほうが好みだ。そこんとこもよろしく頼む」
「おや、そうかい。なら、急いで支度をしないとねぇ」
思わぬ大口の客にガス惑星女将が顔をほくほくさせた瞬間、同士彗星の一人がそっと近寄ります。
「C/1698 S1兄貴から話は聞いたよ。あいつはいつも女将に引っかかるから助けてやれとも言われてね。うまくことが運んだら、ここの支払いは頼むぜ」
そう言ってにやりと笑うと、この同士もまたスイングバイを行って男を重力圏から逃がし、そそくさと惑星女将の店内に引き込まれていくのでした。
作品名:エーテル論者と天球儀 作家名:六色塔