エーテル論者と天球儀
10.星に殺意を
宅配便の段ボールを受け取った憂一(ゆういち)は、テーブルにそれを起き、ばりばりとガムテープをはがし始めた。
中にあったのはこぶし大の石ころ。憂一はそれを見て一瞬、苦い顔をしてからそれを取り出してベランダに向かう。
ベランダの無機質な床にはビニールシートが広げられている。その中央にこれまた無機質な石が置かれと、憂一はそのそばに座り込んだ。
目の前の石を眺め、彼は自分の人生を振り返る。
憂一は来年で25になるが、その人生は順風満帆とは言えなかった。もちろん、大変な人生を送っている人は世に多くいるだろう。だが、とにもかくにも憂一は自分の人生に納得してはいなかった。
憂一は父親を知らない。ただ、母が性にだらしなかったことはよく覚えている。そんな母が片親という立場で育ててくれたということになってはいるが、実際は母の母、祖母に子どもを預けて遊びほうけていただけだった。
話によると、祖母も同じように女手一つで母を育てたらしい(こちらは死別のようだが)。そんな祖母は、もうガキの面倒なんか見たくないという思いと、夫婦で娘を育てられなかった罪悪感の中で、やむなく憂一を育てていたというのが真相のようだった。
そこに愛情はなく、経済的にも困窮した。そんな中でどうにか育った憂一だが、そこにさらなる苦難がのしかかる。中学を出たらもうおまえの面倒は見ないと二人が言い出したのだ。
せめて高校までは行きたいと頭を下げる憂一に対し、にべもなくそんな金はないと母は言い放った。化粧を塗りたくった顔で、派手な衣服や貴金属を身につけた体で、ブランド物のカバンを脇に置いて。祖母もそれに加勢し、働き出したら仕送りをしろとまで言い出す始末だった。憂一は苦学生の道などを模索したが、何より、この二人から離れることを優先した。その結果、高校へは行かずに住み込みの仕事に就いたのだった。
思い通りに行かない中で、助けてくれたのは勤め先の同僚や社長だった。彼らは憂一の境遇を気の毒に思い、安否を気遣うという名目で金の無心にやってきた祖母や母を体よく追い返してくれた。
こうして少しずつ仕事にも慣れ、お金にも余裕もできたので夜間の高校に通おうかと思った矢先、思わぬ来客が訪れた。
虎夏(こなつ)と名乗る7歳のその少年は、ボロボロの衣服と何日も風呂に入っていないような臭いを漂わせて憂一の前に現れると、泣きじゃくりながら素性を語り始めた。
話を聞いてみると、虎夏は憂一の母と別の男の間に生まれた異父弟らしい。憂一が就職で出ていった数年後に祖母に預けたようだが、そこでの仕打ちに耐えきれず、近所の人(この方は憂一にも同情的だった)がこっそり教えてくれた憂一の居場所を頼りに逃げてきたらしい。
もう戻りたくないと泣き続ける弟を追い返すわけにもいかず、憂一は勤め先と相談し、特例で近所にアパートを借りて、この会って間もない弟と生活を始めることにした。憂一の身の上を理解していた会社の人々や児相の助力もあり、虎夏は近所の学校に通えるようになった。
配偶者を持たずして一児の父のような立場になった憂一は、やっていけるだろうかという不安でいっぱいだった。しかし、すぐにそれは無用な心配だと気づかされる。母や祖母は厄介払いができたと思ったのかこちらに連絡もしてこなかったし、虎夏はどこをどう間違えたのか、兄である自分にも、あの淫奔な母にも似ず、品行方正で成績も良かった。
夜。弟の寝息を聞きながらベランダで一人、星空を眺め憂一は考える。最初は、弟に同情しつつも学費を弟や引っ越しに使ってしまったことを後悔していた。でも、最近はこれが正しい道だったと思うようになった。才能のない俺が高卒の学歴を手に入れるより、利発な虎夏に大学まで出てもらったほうがいい。自分は高校に行けなくても、代わりに虎夏が立派な大人になれればそれでいいじゃないか。
ちょうどその時、星空から一筋の光がこぼれ落ちた。憂一は虎夏の将来を星に託して、三回、心の中でしっかりと願った。
新たな夢へのヴィジョンが開き、そこに向かって歩き出したその瞬間、流行り病が世を襲った。その病に侵され、虎夏は体調を崩してしまう。病院に連れていったが、数日もたなかったというほど急な状況だった。二度見したらもうすでにいない幻影のように、優秀な弟はあっという間に消えうせてしまった。
憂一の失望は計り知れなかった。会社に連絡すらせず、アパートにこもりきり。寝食も忘れ、暗い一間でずっとこの理不尽な仕打ちを呪い続けた。
なんでこんなにうまく行かないんだ。ろくでもない母から生まれ、ろくでもない祖母に育てられ、進学を犠牲にようやく逃げ出せたのに、今度は最愛の弟を奪われる。世の中がそんなもんだというのならまだ割り切れるが、街を見てみろ、みんな幸せそうなやつらばかり。なぜ自分がこんな人生を送るんだ、なぜ虎夏はそんな人生を歩むことすら許されないんだ!
怒りにはらわたが煮えくり返る憂一が思い出したのは、あの夜に願ったあの星。夢を祈ればいつかはかなうはずの流れ星だった。
落ちた日付と方角を調べた結果、隕石となって地表に落ちたあの日の流れ星は隕石ハンターによって回収され、ネット上で販売されていた。大して価値はなかったようで、その宇宙からの飛来物は憂一にも手が届く値段がつけられていた。
あのとき夢を願い、裏切った流れ星。それが今ここにある。こんな石ころに生命は宿っていないだろう。それでもこいつへの殺意がほとばしる。憂一は両手持ちのハンマーを取り出して石に狙いを定める。自分の全てをぶっ壊したやつをぶっ壊す、そのために。
振りかぶったその瞬間、憂一の動きが止まった。その顔はぽろぽろと流れた涙でぐしゃぐしゃだったが、ほほ笑んでいた。
そうだよな。俺や虎夏の人生がうまくいかなかったのと同じように、おまえだって落ちたくもねえ星に落ちてきたんだよな。その最中によくわからねえ願いをされたってどうしようもねえよな。落っこちたところをよくわかんねえ生き物に拾われて、二束三文で売り渡されて、てめえが勝手に祈ってきた願いをかなえられなかったからってぶち壊される、そんな道理なんかどこにもありゃしねえよなぁ!
いつのまにか憂一はハンマーを放りだして隕石の前で号泣していた。自分や虎夏だけじゃない、こいつも、石ころすらも思い通りにならないんだという事実がつらくて、悲しくて、苦しくて。
ひとしきり泣いた後、憂一は会社に連絡をする。無断欠勤を繰り返したのでクビだと思っていたが、家族を亡くしたという事情をくみ、連絡はなかったが忌引と有休で処理するということ、まず顔だけでも見せにきてほしい、今後のことはそれから話し合おうということが伝えられた。
翌日、憂一は会社に向かうために家を出る。その部屋の片隅、虎夏が笑う写真立ての隣には、あの隕石が置かれていた。
作品名:エーテル論者と天球儀 作家名:六色塔