エーテル論者と天球儀
11.とこしえのカレイド
ここは、どこなのでしょう。ここは、いつなのでしょう。誰にも、わかりません。そんな不思議な場所でのお話です。
そこには、とてもきれいな惑星が軌道を描いて存在していました。澄んだ海の深く青い色がとても鮮やかな惑星です。その海の合間合間に大地がぽつぽつと顔をのぞかせて土色のアクセントを加え、さらに、その上に生い茂る植物の生き生きとした緑が海と大地の彩りに華を添えています。そんなとてもみずみずしくて美しい惑星がくるくると自転をし、くるくると系の中心である恒星の周りを公転しているのです。
かつて、その星には非常に高度な文明が築かれていました。そのおかげもあって、この地に生きていた生物はこの上ないほどの栄華を極めていたようです。不自由なものや不足しているものはただの一つもありません。この星がつまらないと思うものすらいなかったのです。そこにいる生きとし生けるもの全て、無形のものも有形のものもどのようなものも、ほしいものをほしいだけ得ることができた上に、何をしても良かったのです。
その星は、この広大な宇宙の中で最も満ち足りた幸福な世界━━理想郷と言っても過言ではありませんでした。それぐらい安心で、安全で、守られていて、許されていた、素晴らしい世界だったのです。
しかし、そこに至るまでの過程はもちろん楽なものではありませんでした。
この星の生物は、全くと言っていいほど何もない状況から、少しずつ少しずつゆっくりと繁栄への道を歩み始めたのでした。もちろん、ときには生物同士で争いを起こすこともありました。ここに記すことをはばかるほどの残酷な所業をやむなく行わなければならないこともたくさんありました。それでも彼らは知恵を絞り、一つ一つ問題を解決し、洗練さを増し、よりよい世界を目指して努力を続けました。その様子は牛の歩みのように遅々としてはいましたが、前進は絶え間なく続けられ、着実にその星での生活を向上させ、豊かになっていったのです。
ところが、それほどの年月と苦労をかけてまでして現出させた絶頂期も、それほど長くは続きませんでした。
頂上にたどり着いたさしものその生物も、大規模な気候変動、環境汚染などの生態系の崩壊、他の星の爆発などによる光子などの影響といった、惑星自体にまとわりつく環境問題や近傍の星が抱える問題には太刀打ちできなかったのです。それ故、彼らはこの問題に有効な手を打つことができませんでした。その結果、じわりじわりと文明のたそがれが迫ってきてしまったのです。
斜陽の文明をどうにかするため、生物たちは懸命に話し合いを重ねます。しかし、大規模な災厄が次々と迫りくるような状況を前にしながら、彼らは空論をもてあそびつつ、それをただ眺めていることしかできませんでした。
結局、生物たちはその惑星から姿を消しました。滅び去ってしまったのか、他の星への移住に成功したのかは、その生物たちにしかわかりません。いずれにしても彼らが消え去った後、この惑星は文明が築かれれる以前の原始的な状態へと戻っていきました。
ただ、一つだけ。ある例外を除いて。
惑星内のとある場所。かつての文明の痕跡が残るその奇妙な丸屋根の建物の中に、その例外━━奇妙な形をした幻灯機械は置かれています。
それがどうやって動いているのか、どのような機構なのか、なぜ故障をしないのか、創り上げた生物が去ってしまった今となってはもう誰もわかりません。でも、創造主がいなくなった今も、動力源は確保されており、決められたタイミング━━惑星が一周、自転をする度に3回、必ず動作するようになっています。動き出すそのタイミングは、きっと機械が文明のただ中で働いていた頃の名残なのでしょう。
機械はその時刻になる前に、内部で完全にランダムな数値を元に星空のデータを生成する作業を行います。そして、時刻になるとその星空のデータを天蓋にパッと映し出すのです。
上映時間は20分。その間、まん丸い天井に機械が生成した星空が映され続けます。いつの日の空なのか、どの場所から見た空なのか、星々や星座の名前はなんなのか、それらを説明するアナウンスなどはありません。それどころか、その星空を見上げる生命すらもいないのです。ただただ空席だけが存在するドームで、耳を澄ませばようやく聞こえるほどの機械音以外は無音の空間に、1回の自転につき3度、天蓋に星空が映し出されるのです。
その機械は今このときも、観客のいないドームの中で、規則正しく荒唐無稽な夜空を創り上げ続けているのかもしれません。
その夜空は、もしかしたら大昔、ビッグバンの直後に見ることができた景色かもしれません。もしかしたら、気が遠くなるほど遠い未来に、最後の生命が絶望の淵で見上げる風景かもしれません。もしかしたら、今、私たちが見上げればそこにある光景かもしれません。もしかしたら、そのドームを出れば見ることができる空かもしれません。もしかしたら、宇宙のどこにいても見られない、架空の景色かもしれないのです。
機械が全く同じ夜空を映し出す確率は文字通り天文学的な数字です。気が遠くなるほど長い年月をかけて、途方もないくらいの夜空を映し出したとしても、同じ空は二度と映し出されることはないでしょう。
そんな作業を、幻灯機械は誰も見ていない空間で、いつまでもいつまでも続けています。世界にあまねく広がる本物の宇宙には目もくれず、ひたすら自分だけの宇宙を創り出し、誰もいない場所でそれを上演する、という創作を。
本物の宇宙が終わりを告げる、その最期の瞬間まで。
作品名:エーテル論者と天球儀 作家名:六色塔