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エーテル論者と天球儀

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09.捕獲



 念願だった仕事に就くことができた。

 地方の田舎町。その山上に建てられた小さな天文台。そこの研究員に採用されたのだ。

 これで思う存分好きな天体観測ができる。天体観測さえできれば田舎で暮らすのもいいだろう。そう思って勤め始めたのだが、そこには、僕の想像とはかけ離れた現実が存在していた。

 仕事の大半は観測準備、スケジュール調整、データ解析、報告書作成といった地味な作業ばかり。望遠鏡で実際に観測を行う時間は仕事全体の3割にも満たない。しかもその観測も、それほど個人的には興味が持てない小惑星の安定した軌道を確認するといった退屈なものが大半といった状況。
 その上、小さな天文台ゆえに常に人も足りない。当然、本来の業務以外のことも多発する。見学の子どもたちや新機材のセールス対応など、あまり得意ではない外部とのコミュニケーションなども頻繁に発生する。

 興味のない仕事ばかりでちっともやりたいことができない日々。ものの数カ月で僕はすっかりこの仕事が嫌になっていた。

 でも、これは新人だからこそ課せられた職務に違いない。長く勤めていけば、少しずつ好きな仕事の比率が増えていくはず。仮にそうならなかったとしても、別の天文台に転職をするためにここはキャリアを積むべきだ。そう考え、僕は必死にやりたくない仕事をこなし、少ない観測の作業でどうにかその憂さを晴らしていた。

 そんなある日のこと。

 その日はとある観測作業の3日目だった。観測は1日だけのときもあるが、場合によっては連夜にわたることもある。もちろん残業代や深夜手当は支給されるが、日中の勤務を免除されることはない。

 そんな働き詰めの状況だったので、思った以上に僕は疲れていた。それだけじゃない、やりたくない仕事をこなすストレスも疲労に拍車をかけていた。それでも、いつかやりたい仕事をするために気を張っている、そんな状況だった。

 レンズから見える光景はいつも通りの軌道を描いている。それをデータでも確認しようとして頭をもたげた際、ふいに視界が揺らいだ。気づくと僕は尻餅をついてへたり込んでいた。
 スタッフの一人が僕に手を貸してくれる。彼は僕のうっくつした感情に気づいているのか、今は仮眠を取って体調を整えるべきだ、と僕を気遣ってくれた。
 そのスタッフに礼を言い、一人で歩けることを確認して僕は仮眠室へと向かう。ふらふら歩きでどうにかたどり着いた僕は、部屋の鍵をかけずにベッドに突っ伏すと、疲労に任せてしばらくそのままになっていた。

 忍び寄る睡魔。夢か現か定かではない意識。開きっぱなしの扉から誰かが入ってきたような気配。直後にぱたんと扉が閉まり、カチャリと鍵もかけられた。

 誰かが様子を見に来てくれたのだろうか。人が少ない中、申し訳ないという気持ちとともに、あれ、この人、なんで鍵をかけたんだ、そんな疑問が沸き起こる。とにかく顔を合わせて礼を言わねば、そう思い、だるい体を仰向けにして上半身を起こし、来訪者を確認する。

 そこには、ここの数少ない女性職員である梅ケ枝さんがスーツを身にまとって僕を見つめていた。

 この珍しい名字の女性は数年前からここに勤務していて、主に機械類の操作やメンテナンスを担当している。研究職の僕にとっては他部署の先輩といった立場の人だ。そのため、僕はそれほど彼女と関わってはいなかったが、そんな梅ケ枝さんのうわさは僕の耳にも届いていた。
 話を聞く限り、彼女は非常に無口な方のようで、指示をしても返事はおろかうなずくことすらしないし、報告も最低限しか行わないそうだ。休憩中ですら世間話をしないほど、人との会話を避けているらしい。そのせいで、かなりの美貌の持ち主なのにもったいないという話や、それでも仕事ぶりは確かなので信用されている、という評価を僕は聞いていた。

 その梅ケ枝さんが僕に何の用だろうか。観測に問題が起きたのだろうか。声を出そうとした、その瞬間だった。

 梅ケ枝さんは素早く駆け寄り、開こうとした僕の口をみずからの口でふさいで押し倒す。そのまま唇を吸い、舌を差し込みながら、押し倒された僕の局部を右手でさすり始めた。

 疲労と混乱の中、むせ返るような女性の匂いが香り立つ。柔らかい肢体がむにゅんと密着して、脳をさらにかき乱してくる。経験のない僕はその勢いに、すっかり硬くなってしまっていた。
 さする手でその変化を確認した梅ケ枝さんは、唇を離して僕の足の間に入り込む。そして、手早く僕のスラックスと下着をずり下ろし、むき出しになって天を向くそれを口と舌で刺激し始めた。

 すぼまる唇とはい回る舌の刺激に、瞬時に限界がやってくる。

 梅ケ枝さんはそれを察知したのか、寸前で行為を止める。そして膝頭で僕の腰に歩み寄り、タイトスカートの中に手を入れ、股布を横にずらして受け入れる部分を露出させたようだった。

 彼女は目を伏せ、僕と目すら合わさず焦らすような遅さで腰を下ろしてくる。スカートに覆われて中の様子はわからない。けれど、かえって研ぎ澄まされた神経によって、ぬめる入口が自身の先端に接触したことに気づかせる。

 にゅるんとすべり込んだ瞬間、限界が来て、僕は梅ケ枝さんに大量にぶちまけてしまっていた。

 この日以降、僕が観測時に仮眠を取るたびに梅ケ枝さんがやってくるようになった。そして、もてあそぶように、むさぼるように、何かをわからせるように、僕をじゅうりんし尽くしては去っていく。

 だが、僕はこのことを誰にも言えなかった。仮眠時間とはいえ勤務中にこんなことをするのは立派な懲戒理由になるだろうし、疲れ切っていたとはいえ、最初にはっきりと拒否をすればこうならなかったはずだという後ろめたさもあったから……。
 相変わらず、彼女と僕は表向きは事務的な連絡くらいしか会話をしない。だから、梅ケ枝さんが何を考えてこんな行動をしているのか全くわからない。それも、第三者に打ち明けづらい理由の一つだ。

 ……いや、いい加減、自分の心にうそをつくのはやめよう。そうじゃない。もうすでに僕は、この仕事よりも梅ケ枝さんのほうに夢中になっている。仮眠室で横になって、「鍵をかけていない」ドアがそっと開く瞬間を何よりも待ち焦がれている。梅ケ枝さんがそのしなやかで肉感的な肢体をさらけ出して、荒々しく暴力的に尊厳を破壊してくるのが、たまらない。辛抱できない。待ち切れない。

 多分、僕は梅ケ枝さんという大いなる星の重力に捕獲された、ただのちっぽけな小惑星なんだろう。彼女に取り込まれ、なすがままにされ、抵抗もできずに延々と軌道を描き続ける。そんな運命をたどるに違いない。

 暗い未来を予感して目の前が真っ暗になる。でも、今夜も観測の作業がある。僕は再びやってくるであろう刹那の愉悦を糧に自分の心を慰め、今日の仕事に取り掛かった。


作品名:エーテル論者と天球儀 作家名:六色塔