京都七景【第十七章】前編
「あの、里都子さんは…、すいません、里都子さんと呼ばせていただきます、結局、具体的にはどんな理由でお見えになるんですか?」
「ああ、そうそう、それだよ。それを言い忘れていた。ひとことで言えば、監視に来るのだ」
「それはまた、どうしてでしょう?」
「わからんかな? 娘は、親切のつもりで君に私の情報を伝えたのだろう? ところが、それが裏目に出て会食が実現することになってしまった。そうなると、高確率で、私たちの間に口論が持ち上がりそうなのは、見やすい道理だ。しかも原因を作ったのは結果的にせよ、娘自身なのだ。娘は自分の言動に責任感が人一倍強いから、まさかのときには仲裁しようと自ら監視役を買って出たというわけだ」
「なるほど、そういうことでしたか」
「おや、うわさをすれば影。どうやら娘が来たようだ。野上くん、さっきの私の件は、くれぐれも娘には内密にな」
ということで、ここに、いよいよ三人が会席することとなった」
「で、どうなったんだ? 波乱はあったのかい?」と、堀井が興味津々たる顔つきをする。
「あったか、なかったかはとんと分からぬが、なかったこともあったとして聞かなければならぬぞ、よいか。なあんてね。
ま、おれの失恋話は、結果より過程が大事だから、とにかく話の続きを聞いてくれ。もちろん必要なところは、かいつまんで簡潔を心がけるつもりだ。
それで、ワイングラスにロゼが注がれ、前菜が運ばれると、ついに会食が始まった。
テーブルは円卓だった。椅子は、正しく三等分された位置に置かれている。ゆえに、誰かが誰かの正面になることはなく、一人は、必ず残り二人の斜め横顔を見る位置になっているので、やや緊張が緩和される体勢ではある。
とはいえ、誰もが予期していることは一つだから、いつそれが始まるか気が気ではない。いくらおいしい料理にしろ、互いに前方の二人の顔を時折上目遣いにチラチラ見ては、またうつむいて黙々と食べる仕草は、側(はた)から見ても、食を楽しみに来たようにはとても見受けられない。嵐の前の静けさとはまさにこういうことを言うのだろう。
この沈黙の会食に最初に業を煮やしたのは、もちろん主催者の古川医師だった。むっとした顔つきで娘を見つめると、グラスに残ったワインをグッとあおり、その後、手ずから注いで、二杯立て続けにグラスを干した。そして、フフフ、飲んでやったぞ、というような得意顔を娘にむけた。
さて、ここからは思い切り端折ることにしよう。
会食中に危機的瞬間は二回あった。この三者会席(会戦?)が紛争の勃発を回避できたか、できなかったか、その二回を話して、野上失恋話第一回を終わらせてもらうこととする」
「あの、素朴な質問をしてもいいかな? この失恋が結末を迎えるまで、あと何回こういう話を聞かなきゃならないんだ? どうも俺たち一人ひとりに、かなりな覚悟と我慢が求められていそうにみえるが、気のせいだろうか?」
「いや、気のせいじゃないよ。大山の言う通りさ。何しろ、おれも含めて会席に臨んだ一人ひとりに、複雑な背景があって、その背景をざっとでも知っておかないと、話が納得できないかもしれない。ということで、できるだけ簡にして略を心がけるから、あと四回の御謹聴をお願いする。
さて、最初の危機的瞬間は古川医師が、ワインを三杯立て続けに飲んで、約十分過ぎたあたりにやって来た。ワインがほどよく回って、上気した顔に笑みが浮かぶと、舌の廻りみるみる滑らかになり、明らかに口数が増えて来ている。それを不安げに見ていた里都子さんの表情が陰り、肩に緊張が走った、その瞬間だった。
「君はなんで文学部なんかに入ったのかね?」と古川医師が、やや非難するように問いかけて来た。
「おじいちゃん! 失礼なこと聞かないでよ」里都子さんが、自分の口に右手の人差し指を立てて、たしなめるように低く言った。それから、すぐ、おれに向かって、今度は右の手のひらを左右に振った。取り合わなくていい、との合図だった。
「文学部に入った動機を聞くのが、どうして失礼なのかね? じゃ、医学部や経済学部や薬学部に入った理由を聞くのも失礼なのか? そりゃ、動機は人様々だから、言いたくないこともあるだろう。それに医学部や経済学部や薬学部なら、動機はおよそ見当がつくから、正面切って動機を聞くことはないかもしれない。
でも、私にとって文学部は別なんだ。文学をやりたいと言う学生の動機が私にはよく分からない。と言うより、今まで聞かせてもらった動機に私はどうしても納得がいかない。
文学部の学生は、だいたいがこんな答え方をする。自分は、鷗外や漱石の作品を読んでとても感銘を受けた。だから日本文学を研究するため国文科を選んだのだと。つまり、文学部の学生の答え方は、自分は何々が好きだから何々学科を選んだという定式に、ほぼ当てはまってしまう。これは芸術系学部の学生についても同様だ。
私にはこれが気に入らない。では、医学部や経済学部や薬学部の学生は、ただ医学や経済学や薬学が好きだから、それぞれの学部を選んだのか。
もちろんそこに、その学問へのなにがしかの好感情があったことに間違いはあるまい。だが、それだけなのだろうか? いいや、そうではないのじゃないか。
私は、こうした学生たちに、それ以外の感情が働いていることを知っている。端的にいえば、その学問を手段として、人を助けたいとか、社会の役に立ちたいとか、金持ちになりたいとか、そういう社会の一員としての責任感みたいなものがあるように思う。まあ、金持ちになることが直ちに社会的責任を果たすものだとはいえないが、金があれば、人に迷惑をかけることも少なくなるし、家族を無事に養うことだってできる。それこそ社会の役に立つというものだ、
しかし、文学部の学生に、そのような社会的責任を果たす気持ちはあるのだろうか? 自分の好きなことだけやって、人生を気ままに暮らしたいと願っているだけではないのか?
昔、こんな学生がいた。自分は金持ちにならなくていいから、好きな日本文学やフランス文学の本を読んで一生を暮らせたらどんなに幸せかと思っていると。こういう自分の趣味だけに没頭するような学生に、本当に日本の社会や未来が任せられるのか、私はかなり疑わしいと判断している、というわけなのだ。君はこれをどう思うね?」
「あの、先生のお考えはよくわかりました。確かに、文学部の学生に、そういう傾向が強いのは否定できないと思います。何しろ個性的で自分の意見をしっかり持っている人たちですから。ただし、動機となると、個人的な事情が深く関わって来るので、一概にこうとは言えない場合が多いんじゃないかと、ぼくは思うんです。ですから、ここでは、ぼくの個人的な事情を述べるにとどめていいでしょうか? その場合、ぼくの動機は文学部の学生を代表するものではないことも、了解してください。お願いします」
作品名:京都七景【第十七章】前編 作家名:折口学