京都七景【第十七章】前編
それに続く君との会話も、あとから思い返すと、どうも、これまでの下宿人やうちの家族とは、ちょっと応対が違っているように思えて、新鮮な驚きを受けたようだ。
その違いがどこから来るのかはわからないが、君が文学部生だということにも、その一因があるのではないかと、里都子は言っている。
そのあと、私のことにも話題が及んだようで、新しい入居者があると、私がその人物の人となりを把握するため、一度は会食に招く習慣であることを教えたけれども、君は文学部だから声がかからないかもしれない、などと、つい、うっかりしゃべってしまったのだという。全く余計なことを言ってくれたものだ。
ところが、結果は予期に反して、私が君を会食に誘ったものだから、自分の思い込みのせいで、入居早々から、私についての悪い印象を君に持たせてしまい、本当に申しわけなかったと、自分が着く前に、ひと言私から謝っておいて欲しいと言ってきた。でないと君に会わせる顔がないそうだ。
自分がした不手際を私に謝らせておいて、なぜ、君に会わせる顔がなくて私に会わせる顔はあるのか。どうも納得がいかんが、まあ、そこは家庭内の問題だから、ここでは割愛しよう。すまんな、失礼な娘で。
だが、娘の失礼には、まだその先がある。しかも、それが私に対してなのだから、余計腹立たしくもあるが、まあ、これも前もって、君には率直に伝えておいたほうがいいだろう。それこそ、今夜、娘がここに来る本当の理由なんだから。
つまり、こういうことだ。娘が忠告したのは、私の文学部嫌いの態度に、のちのち君が気を悪くしないようにするためだった。今後、君と私が親しく話す機会を持たなければ、おそらく娘の忠告は十分君の役に立ったことだろう。
ところが、娘にとって不幸なことに、私が君を会食に招いてしまった。すると、娘は、自分の忠告が仇になる可能性が出て来たことに思い至った。ないものと思っていた会食が実現したら、自分の忠告が役に立つどころか、逆に忠告した点をめぐって、二人が話したくなるのは必定ではないか。
娘はこんなふうに言っている。
野上さんは、まあ、新規の入居者で立場が弱いこともあるから、私に「どうして文学部を嫌うんですか」などと、不躾な質問をすることはまずないだろう。だが、私は、あと先考えずに、「どうして文学部になんか入ったのか」などと、単刀直入で無礼な質問をするに違いない。きっと論争になって、せっかくの会食の良い雰囲気を台無しにしてしまうだろう。
ここが、私を腹立たしくさせるところだ。私だって、世の中で五〇年以上の生活経験を積んできた身だ。最低限の常識くらいは持っている。そんな、聞けば即、相手が反感を起こすような質問をするわけがないじゃないか。
だが、そんな私の言うことを、娘は一向に信じようとしない。娘に言わせると、私はワインを飲む前後で、人が違ってしまうのだそうだ。飲む前は、一見、口数の少ない、温厚な紳士と思われるらしい。ところが酔いが回ると、人にいろいろ意見がしたくなる癖があって、しかもその意見が容れられないと見てとるや、意見の正否に関係なく、自分の意見を感情的に押し通そうとする。そのくせ、あとで、そのことを全く覚えていないのだから、手に負えない。私と会食したことのある下宿人なら、みんなたいてい、身を以てそのことを経験している、と言うのだ。娘があまり何度も繰り返して私を非難するものだから、思い余って、過去に会食したことのある学生一人一人に、そのことを聴いてみたんだが、
「いや、そんなことありましたかね? 覚えてないなあ。あの時は、学生身分じゃ到底お目にかかれない豪勢な食事に招いていただき、今でも思い出しては、先生に感謝してます」とか
「あるいは、一つ二つ、もめ事があったかもしれませんけど、そんなのは酒の上での座興みたいなもので、座が盛りあがりこそすれ、そのことで先生を、あとで恨むようなものは誰もいませんよ」といった返事ばかりが返ってくる。
ああ、そうだ。君も知ってるかもしれないが、私は病院経営はやめたが、今も非常勤の医師を続けている。それで、うちの学生たちは私を先生と呼んでいる。
話を戻そう。学生たちから聴いたことを総合すると、どうやら彼らは豪華な食事ばかりに気を取られて、私の言動や態度などには一切興味を示さなかったようだ。
残念ながら、どうも里都子の意見に分がありそうだ。だが、たとえ、私に分がないとしても、私は自分の実態だけは、はっきりと把握しておきたい。そこで今回、君を会食に招いたというわけだ。
ご存知の通り、私は文学部の学生は好かない。理由は個人的なことなので差し控えさせてもらうが、君は文学部生なので、仮に里都子の言うことが正しければ、私がワインを飲むと、きっと君に絡んで、後でそのことを全く覚えていない状況に陥るに違いない。
そうなれば、君には本当にすまんことになるが、如何せん、これまで一度も自覚症状の出たためしがない。そこで、君にお願いがある。ことの顛末を詳しく記憶に留めておいて、後で、とは、つまり私たちがお互い頭を冷やした後でということだが、逐一、思い出せる限り詳しく、私に報告してはもらえないだろうか。
どうして、君にこんなお願いをするかというと、自分で言うのもなんだが、私は医師として、つねに医学的見地から、患者に最善の治療を施すよう心がけて来たつもりだ。もちろん、患者のどんな不安も最大漏らさぬよう取り上げて丁寧に話し合い、十二分に納得してもらった上でのことだ。それについては、いささか誇らしく感じてもいる。
それが、ワインを飲んだ後の自分の行動に責任が取れないとは、何としても情けない話ではないか。しかも、会食したものはみな、私に気を遣って、というより料理に目がくらんで、本当のことを話していないような気がする。しかも娘だけはそれを知っていて、私の会食時の態度を批判して来る。
会食は、私が良かれと思ってしていることだから、娘に差し出口をきかれるいわれはない。それより、娘のために行っていると言ってもいいくらいなのに、その気持ちが娘には伝わっていない。伝わっていないどころか、逆に私の独断を責めてくる始末だ。
私は本当に人の意見を聞かず、自分の意見を押し通しているのだろうか。私は医師として随分、患者のわがままな言い分にも耳を傾けて来たつもりだ。それが文学部の学生を相手にしたときだけ、本当に人が違って無礼な行動をとってしまうんだろうか。私は、医師としてだけでなく人間としても、自分の本当の姿を知りたいと願っている。それを第三者である君に今夜見極めてほしいんだ。失礼なことで、まことに申しわけないが、どうかよろしくお願いしたい」
「わかりました。文学部嫌いは納得行きませんが、人が自分の真実の姿を知るのはソクラテス以来良いこととされていますから、不肖、この野上、万難を排して手伝わせていただきます。それで一つ確認しておきたいことがあるんですが、いいでしょうか?」
「いや、その前に、先にお礼をいわせておいてもらおう。どうもありがとう。で、確認しておきたいこととは?」
作品名:京都七景【第十七章】前編 作家名:折口学