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京都七景【第十七章】前編

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 それで、祖父はこの条件を学生の父親に提示したのだが、学生の父親は、一旦持ち帰って家族全員で相談した上、最後は息子本人の意思に任せるという返事をした。
 で、返事はどうなったか。簡潔に言うよ。息子は大方の予想に反して(?)、これを承知したんだ」
「いや、大方の予想に反して、というのは違うだろう。野心のある者なら、美貌の妻と金の成る木が同時に手に入るんだ、願ってもないことじゃないか。この場合、大方の予想通りにと言わなくちゃ」神岡が冷静に言ってのける。
「だが、そう簡単にいくだろうか? 美貌とはいえ里都子さんは人間不信、それも強い男性不信に陥っているし、母親と祖父のために自分の気持ちを無理に抑えているのが垣間見えるときもある。そこへ欲望丸出しの人間がきたら、いくら後継者とはいえ幻滅するだろう。おれはそう思うね」とわたし。

「相手次第だな。つき合っている学生の人間性によるだろう。その人物について何か情報はないのかい?」大山は、やはり目が高い。「なるほど」と人を唸らせてしまう。

「詳しくは後で話すが、二度ほど会ったことがある。この後、どういう展開が待っているのか、すでにおれは知っているから、客観的には言いにくいなあ。今は、会ったときの印象だけ先に話しておくよ。
 まず、外見だが、すらっとして、優男という感じがした。身長は170センチの半ばぐらいかな。顔は長面で、鼻は高い。ただし、長髪を額の真ん中で半分に分けて両目を隠すようにしているから、確かなことは言えないが、人づきあいはあまり得意でないように思えた。しかし、時折、髪を通して見える目に光があって、ああ、この人は髪をあげれば、きっと知的ないい雰囲気が出るのにな、と思ったりもした。
 ほかに、何か特徴があったかな? あ、そうそう、動作が、わりとゆっくりしていたな。それから、会ったときは、雨でもないのに毎回大きな黒い傘を手に持って、ステッキ代わりにゆっくりとつきながら、少し前屈みに歩いていた。それが、なんだか若さにかけているようで気になったくらいかな。
 性格については、おれ自身ではなんとも言えない。後で里都子さんが語ったその男の話をまとめてするから、そのときに判断してくれ」
「ああ、じゃ、最後に俺に質問させてくれないか。もっと早く聞けばよかったんだが、うまいタイミングが見つからなかったものだから。いいかい?」と、堀井がやや深刻な顔つきをして言った。

「うん、かまわないよ。どんなことだい?」
「話が、かなり先に進んでいるので、今更こんな質問をするのもどうかと思うが、おれにはどうしても知りたい一つのことがある。そのことに気を取られて、野上の話も上の空になって話の続きが頭に入ってこなくなっている。でも、誤解しないでくれよ。野上の話がつまらないとか、そういうことじゃない。逆にこんな話が本当にあるんだと、興味津々、息を呑んで聞くから、呼吸困難に襲われそうなほどなんだ。でも、どうしてもその知りたい一点に注意が集中して堂々巡りをして困っている。だから、その堂々巡りから逃れるためにも俺の疑問を払拭してもらえないだろうか?」
「もちろんさ。おれに分かることならなんでも答えるよ」
「ああ、ありがとう。じゃ、早速お願いする。時間もないから、単刀直入に聞くよ。その里都子さんて、そんなに美しいのかい? 何度も直接会っている野上が、美人だの美貌だの容姿端麗だの眉目秀麗だのと最大限の表現を使うからには、確かに美しいことに間違いはないだろうけれど、俺にはどうしても里都子さんのイメージがわかなくてな。話の冒頭からずっと困っているところなんだ。
 ほら、かの有名な批評家小林秀雄も言っているじゃないか。「美しい【花】がある、【花】の美しさという様なものはない」、『無常といふ事』の中の〈當麻(たえま)〉という文章の一節だよ。
俺にとって里都子さんはあれと同じなんだ。「美しい【里都子さん】がいる、【里都子さん】の美しさという様なものはない」というわけだ。つまり、どんなに美辞麗句を積み重ねられても、俺は里都子さんの具体的な美しさを何一つ想像することができない。これが言葉の本質であることは、ここにいるみんなには、すでによくわかっていることと思う。言葉は具体的な事物を抽象化してしまう働きがあるからな。
 たくさんの美人がいること、それは事実だ。だが、心苦しいことに、誰もが美人だというわけにはいかない。そこには、純然たる基準がある。ではその基準は一体どうやってできたのか? 
 俺はこんな場面を空想してみる。とにかく、それぞれが美人だと思う人全員に、同時に一堂に集まってもらい、その美人たちに共通する条件は何か、集めた人たちで、ああでもない、こうでもないと議論をした。おそらく果てしない議論が続いただろう。だが、そうするうちに、だんだん妥協が進んで、最大公約数みたいな条件が生まれた。それが、さっき例にあげた、眉目秀麗とかいう「女性の美しさ」をあらわす言葉なのだと俺は愚考する。
 さて、そこでだ。ならば、その最大公約数みたいな美人は果たしてどんな美人なのか? 俺は、以前そのことを疑問に思い、いくつかの美人論も読んでみた。しかし、誰もが納得する最大公約数的美人は、残念ながら、どうやら存在しないようだ。
 美しさは(美しさに限らないかもしれないが、それはともかく)必ず時と場所と個々人の好みに左右される。ある本では、その具体例として天平時代の『鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)』の美女と、現代の美人女優との対比を行っていた。俺は、なるほどと納得した。
 その天平の美女の顔は、ふっくらと下ぶくれがして、現代では美女というより、やや太り過ぎた、上品な山の手の奥様のように見える(ここで、堀井、失礼の段はお許しくださいと、天を見上げて小声で合掌)。
 だから、抽象的な言葉からは、自分好みの美人を想像できても、里都子さんという類まれな美女の具体的な容姿は思い描けない。それは、場所はわかっているのにどうしても手が届かない目標のようなものだ。
 美は個々の具体物にのみ存在する。言葉はその不十分な説明に過ぎない。そこが口惜しいところだ。何か里都子さんの美しさを表す具体的なものはないのかい? 例えば、写真とか肖像画とか、野上のスケッチとか? そういうものがあれば、俺も納得するんだがな」
「ないこともない。ただし、それに堀井が納得できるかどうかは、保証の限りではない」
「保証はなくてもいいから、あるなら教えてくれ」
「折よく、ついこの間、有名な画家の画集に里都子さんによく似た肖像画を見つけたんだ。それでよかったら教えるよ。ただし、ここには持っていないから、後で自分の持ってる画集で確かめてくれ。堀井は美学が専門だし、ヨーロッパ絵画にはかなり詳しいはずだから。確か、どちらの画集も堀井の部屋にあったと思うよ」
「どちらの、というからには画家は二人ということだな。じゃ、モデルひとりを二人で競作したということかい?」
「いいや、それぞれ別の時代の別の画家だよ」
「それって、おかしくないか? 別々の時代に別々の画家が描いた肖像画が、なぜかそっくりに見えるってことかい?」
「いや、そういうことでもないんだ」