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京都七景【第十七章】前編

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 初めは、事情を汲んで会食につき合っていた里都子さんも、祖父の条理を弁えぬ、あまりのあざとさに辟易し、出席を見合わすようになった。そのことを薄々知った古川医師は、態度を軟化させて医学部でない学生も会食に招くようになった。
 が、しかし、それでも文学部は別格に除外された、というより、文学部生で入居を認められ、会食まで招かれたのは、どうやらおれが初めてらしい。それほどに、里都子さんの反発と攻撃が激しくなったということだ。これには古川医師も目下、手を焼いているみたいだ。
 さて、二つ目の保険とは何か? これも見当がつくだろうが、許嫁の件だ。古川医師も母親の件では、ほとほと困ったものと見える。その経験に照らして、孫娘が選ぶ医師を、ただ手を束ねて待つのでは急な心変わりに対応できぬと気づき、別口に許嫁を用意しておくことこそ最良の策と考えた。これが後々大きな災いを呼ぶことになる。が、それは後の話。
 して、その人選だが、ここに一人その条件に叶う人物がいた。里都子さんが通う医学部進学専門予備校に、一つ年上の学生がいた。その学生の父親もやはり医師で、里都子さんの祖父を恩師として慕い、互いに家族ぐるみの交際もしていたから、一人っ子の里都子さんもその学生のことはよく知っていて、ときどき冗談を言いあうくらいの中ではあった。
 その学生に祖父は白羽の矢を立てたのである。学生は二人兄弟の弟で、兄はすでに医学部を出て研修医として勤務していた。実は昔、祖父は、里都子さんの母がまだ学生の頃、その父親と結婚することを願っていたという縁もあるため、今度は孫同士がうまく結ばれてくれればと考えた節がある。古川医師は、そのことを里都子さんに確かめた。すると意外なことに満更でもないという返事が返ってきた。
 そこで、学生が高校三年生になって間もない頃に、学生の父親にそれとなく相談を持ちかけてみることにした。ただし現実主義に徹した祖父であるから伝えた条件は厳しかった。率直に次のようなことを伝えたらしい。真如堂で折々に聞いた里都子さんの問わず語りを、おれなりに編集して話すので、そのつもりで聞いてくれ。
 さて、古川医師は、こう切り出した。ご子息と孫娘の件で折り行って相談したいことがある。二人は同じ予備校に通い、医学部を目指すライバルとして切磋琢磨し、しかも親しい仲だそうだ。そこで、一つ大変失礼なお願いがあるのだが、聞いてはもらえないだろうか。
 私が、病院を継がせるために娘(里都子さんの母親)を医師にするか、あるいは医師に嫁がせようとしたことは、君もよくご存知だと思う。あの時は君に大変な迷惑をおかけして、申しわけなかった。
 ところが、皮肉なことに、我が家はあの時の状況から何一つ変わっていない。仕方なく病院を下宿用アパートとして使うことに決めたのだが、そこへ、孫娘が、私に降りかかる困難を見かねて、病院を継いでもいいと言ってくれた。私は涙が出るほどうれしかった。
 しかしながら、孫娘は、本気で医師を職業にする覚悟が持てるかどうか確言できないようで、薬剤師として病院を継ぐことも選択肢に入れてほしいと言う。私も孫娘に無理をさせてまで医師にしようとは思っていない。病院さえ継いでくれれば娘婿で十分である。だから、孫娘は、おそらく薬剤師の道を選ぶことになるだろう。
 ただし、自分の経験上、餅は餅屋で、病院はやはり医師が院長として経営するのが一番具合がいいと考えている。もし君の二番目のご子息の、医師になる志が堅固だとすれば(無礼な言い方は許してほしい)、うちの孫娘の許嫁になってはもらえないだろうか。
 もちろん今すぐにということではない。こんなふうに自分の家系のことばかりを優先させて、わがまま勝手でせっかちな物言いをするのは、私の人生の残り時間がいよいよ少なくなって来て、少々取り乱しているからなのだ。お見苦しいところは、どうか見逃してやってほしい。
 自分でも、冷静に判断を下さなければならないことはよくわかっている。だが、そうだとわかっていても、やはり、先祖が長い年月に渡って続けてきた医師という誇り高い職業を、自分の代に自分の不徳で失ってしまうと思うと、気ばかり焦って、どうにも落ち着かないのだ。
 とはいえ、私の意見を無理に聞き入れようなどとは決してしないでいただきたい。君は君自身の家族や生活を優先させて判断してほしいのだ。私は、あくまで君に冷静に考えてもらい、可能性があるかどうかを伺えれば、それでいい。そうして、仮に、わずかでも可能性があるなら、相談に乗ってほしいと願うばかりだ。
 だが、そのためには、あくまで話はフェアにしておかなければいけないと思う。これは娘のときにした経験から自ずと生じた自戒の念である。では、私の方の条件を包み隠さず申しあげよう。
 もし、ご子息が今から四年以内に(ということは四浪まで可という意味…野上注)、今、志望しているどこかの大学の医学部に合格し、かつ大学卒業後、医師の国家試験に合格することを約束するという二つの条件を満たすとき、そのとき、ご子息と私の孫娘とが許嫁となること、及二人が古川総合病院の後継者となることを、古川家を代表して私が確約する。ただし、誠にすまないことだが、付帯条件が二つある。

 一つ、ご子息の医学部合格までに四年が過ぎた場合、許嫁及古川総合病院後継の件は無かったものとする。
 二つ、ご子息が志望を医学部以外の学部に変更した場合、許嫁及古川総合病院後継の件は無かったものとする。

 ここでちょっと注釈を入れておこう。二つ目の付帯条件は、まあ、当然だろうけれど、一つ目の条件には納得のいかない向きもあるだろうから、おれが一言説明しておくよ。きっと理不尽に聞こえたと思う。が、しかし、これには悲しい理由がある。
 里都子さんの母の体調が小康状態となって、祖父、母親、本人が医学部受験の壁を乗り越えるべくタッグを組んだことはさっき言った通りだが、いざ始めてみると、古川医師は、母親の健康状態が思ったほどよくなっていないことに気がついた。しかも、重い病気の兆候さえ見られる。すぐ再検査をしたが、病状は一進一退を繰り返しながら徐々に悪い方へと向かってゆく。病名はおれに知る由もないが、今の医学では、症状を軽くするのがせいぜいで、進行を止めることのできない病だった。それがわかったとき、祖父は茫然とした。
 しかも母親は、自分でもそれを自覚しているのか、自分が生きている間に何とかして娘を後継者とするべく、気力を振り絞って娘の日々の生活や学習にかかりきりになっている。その鬼気迫る姿は里都子さんにも痛々しく見えたそうだ。
 祖父は、その健気な母親の姿を見て、何とか生きているうちに、病院の後継者を決めて、母親を安心させてやりたい、そうすれば、病状の悪化を少しでも緩和することができるに違いないと信じ、さっきのような、誰の目にも理不尽と見える許嫁の提案を考え出したというわけなのさ。
 祖父は、母親の余命をおそらく四年から五年と予測したのだろう。だから一つ目の付帯条件をつけることになった。それは、とても悲しい条件だった。が、しかし、外すわけには行かない絶対の条件だった。