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京都七景【第十七章】前編

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「ばかりかどうかはわからないが、財産目当てで結婚相手を探している女性(この時代には仕方のないことだ)が、あるとき相手の偽りを知って傷つくとか、反対に真実を知って、本当の愛に目覚めるとかいう筋立てが多いようだな。『高慢と偏見』や『分別と多感』を読めばそれがよくわかるよ。里都子さんのお母さんは、さしずめ『分別と多感』に出て来る、二人姉妹の妹マリアンの運命を思わせるね。もちろん、まるっきり同じじゃないけれど。
 すまん。読んでないとわからないことばかり言って。簡単にいうと、真実の恋だと思った相手に裏切られて傷つくという、つらい方の恋だ。だが、ちょっと急ぎすぎたようだ。つらい恋だと分かるまでに起きたことを述べておくのが、順序というものだな。
 当然二人は相思相愛の中となった。それから二人が卒業するまでには大小様々いろいろな揉め事があったようだが、おれにはよくわからないから割愛させてもらう。
 さて、二人の男女は、男が修士課程に進んだこともあり、同時に大学を卒業することになった。男は内定していた自動車会社の最初の任地、東京へと向かう。女は実家の猛反対を押し切って、家を捨てて男の後を追う。
 すぐに二人は東京で結婚式をあげた。当然、女の実家は女を絶縁する。男の実家も、女の実家を気遣い、表向きは男を絶縁する。が、しかし裏で経済的な援助は続けた。
 とはいえ、二人は、それほど経済的に困窮しなかった。男が、新車の開発部門に配属され、カーデザイナーの道を歩み始めたからである。その後、男は、順調に昇格を続け、一家を養うには十分な高級取りとなり、四年後には、二人の間に待望の第一子が生まれた。
 この第一子が里都子さんというわけだ。これを知った京都の両親は、表向きは渋々ながら、内心は医院の後継者ができたと、大よろこびで勘当を解いた。この時から、里都子さんが中学生になる直前までが、この家庭の最も裕福で幸せな時期だった。
 その後は、すでに知っているように、父親の浮気をきっかけにして、両親の不和、母親の体調悪化、里都子さんの父親及人間不審へと、雪崩れるがごとく一家の命運は右肩下がりに尽きてゆく。
 中でも母親の命運は切なくも儚いものだった。父親の浮気は『四時過ぎの雨と四十過ぎの浮気は止まない』との諺にある通り、相変わらずやまず」
「おい、ちょっと待った。そんな諺、聞いたことがないぞ」と堀井が疑義を呈する。
「うん、ローカルな諺かもしれん」
「ローカル? ローカルって、どういう意味だい?」
「うん、おれの祖母ちゃんがよく言っていた諺なんだ。もしかしたら、おれの故郷にだけ通用して人口には膾炙していないのかもしれない。でも意味はわかるだろう?」
「うん、よくわかるよ。なんだか手作りって感じがして好感が持てたから聞いたのさ。覚えておくとしよう。すまん、話の腰を折って。先を続けてくれ」
「で、相変わらず父親の浮気は止まず、その心労で、母親は健康の回復を見せずに次第に病み衰えて行くばかり。思いあまって、里都子さんは祖父(つまり古川医師)に相談をした。祖父は委細を聞いて、驚き呆れ、そして烈火の如く憤り、その勢いのまま、急ぎ東京へ行くや、「娘と里都子は自分が世話をする」と宣言して、京都に連れ帰ってきてしまった。
 母親は突然の祖父の行動に驚き慌てた。が、しかし、祖父の深い愛情に打たれて、自分の軽挙妄動を詫び、祖父は、自分が娘に自由気ままを許したせいで道を踏み外させてしまったことに深く思いを致し、娘をかくも苦しめ苛んだ浮気男と、娘に真実の愛という幻想を吹き込んだ文学部英文学科を仇のように憎むようになった。
 その後、古川医師の懸命な治療もあって、母親の健康は回復の兆しを見せる。健康が回復し精神が判断力を取り戻すと、母親は自分が祖父の唯一の希望(医師家系の存続)をいかに無残に打ち砕いてしまったかに思い当たった。
 もはや取り返す術はない。母親は、後悔の念を抱えて暗澹たる日々を病床に送り、健康は再び衰えだす。だが、そのとき、暗闇に差す一閃の光を彼女は見出した。
 そうだ、里都子がいる。里都子こそ一縷の望みではないか。母親は、そう思うと、すぐに里都子を枕元に呼び、親のわがままを押しつけてすまないと詫びながら、里都子を医院の後継者にするべく説得を試みた。
 里都子さんの返事は案外なものだった。
 お母さんとお祖父ちゃんがそんなに困っているなら、後継者になってもいい。ただし、条件がある。今のところ、自分には医師になって人の命を救おうという情熱も覚悟もない。それは承知しておいてほしい。もちろん代々の家業を継ぐ以上、自分が医師になるのが一番ふさわしいことだとは思う。幸い、勉強するのは嫌いじゃないから、まずは医学部合格を目指して努力はしてみる。でも、どうしてもその気になれないときは、次善の策として薬学部に行くことを許可してほしい。薬学なら興味もあるし、薬剤師の資格があれば、医師と結婚して病院を継ぐにしても共同で経営ができるだろう、そういうことでいいなら、自分は納得してその道を進むことにする。
 まだ頼りなさの残る十三歳の女の子は、健気にも、こう自分の決意を告げた。母と祖父は、それを聞くと、もったいなさに互いに抱き合って泣いた。
 この事件を境に母親は人が変わったようになった。祖父への負い目もあったのだろう、これまでの自分の生き方を改め、もはや里都子さんの母としてのみ生きようと(いや、おそらく古川医師の理想の娘としてのみ生きようと)したのだった。
 母親と祖父とは、里都子さんを医院の立派な後継者に育て上げるべく結束を固めた。二人は、できることは何でもした。いつしか役割は自然に分担され、互いに補い合うようになった。母親は川へ洗濯に、祖父は山へ芝刈りに出かけた」
「えっ、何だって?」大山だけが、はっとして顔を上げた。他のみんなは額をテーブルに押しつけたままである。

「冗談だよ。みんな眠っているから、ちょっとふざけてみただけさ。眠気は冷めたかい? じゃ、続けるよ。
 母親は、里都子さんの学習及健康管理と塾への送り迎えを受け持った。祖父は、母親から受けた苦い経験から学んだのだろう、里都子さんに保険を掛けることを思いつき、それを実行に移した。
 保険には二つあった。一つは、後継者がいないため使わなくなっている古川医院の建物を学生下宿にすることであった。下宿は、まず医学部生専用として始まり、ひとまず全十五部屋に医学部生が埋まりはしたものの、しばらくすると、古い病院にありがちな近所の虚実ないまぜの無責任な噂が、学生の耳に入るに及んで、一人、また一人と下宿を移る者が出てきて、空き部屋が増えるようになった。
 古川医師は仕方なく、その空き部屋を別の学部生に貸すことにする。しかし、これまでの経緯から判断して文学部生は除外した。もちろん英文科の学生が申し込みにきたときはにべもなく断った。
 で、学生下宿は何のために始めたのかといえば、すぐ想像がつくように、里都子さんの婿候補を選ぶためだった。だから、古川医師が、引っ越し早々下宿人を会食に招くのは、雨夜の品定めならぬ、婿の品定めをするからである。ゆえに、招かれるのはどうしても医学部生だけになる。