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京都七景【第十七章】前編

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「ええ、いいわよ」里都子さんは不審そうにおれを見つめた。

「男ですか?」
「ええ、そうだけど、よく分かったわね」
「ボーイフレンド?」
「うーん、難しいところね。そうとも言えるし、それ以上とも言える。どちらにしても手を焼かせる人間であることは間違いないわね。今日もこんなに人を待たせるし、いい加減にしてほしいわ、まったく。でも、どうしてそんなことを聞くのかな? 気になる?」里都子さんは、いたずらっぽく微笑んだ。初めて見る、いい表情だった。

 あっ、そうだ、このタイミングですまんが、一言つけ加えてもいいかい?
 
「ええっ? このタイミングでか?」と堀井が不平を鳴らす。

「うん、ここで里都子さんの弁明をしとかないとね」
「弁明ってなんだい?」さすが哲学科露野、「弁明」という言葉に機敏な反応をする。

「だって、これまでの経緯から、里都子さんにボーフレンドがいるなんて妙な気がしないかい。彼女は、豪華絢爛の道を捨てて、自分の納得がいくイバラの道を選んだんだぜ。もし、里都子さんに今ボーイフレンドがいるなら、里都子さんの覚悟もその程度のものだったのかと、あるいは疑う向きもあるかもしれない。だから、その弁明をしておくのさ」
「で、どんな弁明なのかな、野上くん?」
「お、おお山さま、時間が押しているのは、わ、わかっています、ひ、ひと言で、お、おわらせますから、どうかお慈悲を」
「なら、一言でね」
「じゃ、大山様の機嫌を損ねないよう、超特急でつけ加えるよ。後で里都子さんから聞いたことだが、そのボーイフレンド、親同士が決めた許嫁だそうだ。以上、任務完了。話を戻すよ。
 実は、そのときボーイフレンドがいると聞いたおれは、大ショックだった。もちろん、恋人になりたいなんて、そんなおこがましいことを考えていたわけじゃない。そばにいて一人の相談役として頼りにされることに、おそらく優越感を持っていたんだと思う。それが、ボーイフレンドと聞いて、なんだ自分は二番目以下だったのかと失望してしまったというわけさ。どうやら自分は聖人君子には到底なれそうにない、罪深い人間だとほとほと身にしみたよ。だから、里都子さんとは境内で別れて、ガッカリしながらとぼとぼと部屋に帰った。
 ところが皮肉なことに、その夜は、部屋に、ほどよくこもった西日の余熱のおかげで、意外なほどぐっすり眠れ、翌朝、気分も体力も回復していたのだから、まさに西日様々だった。これで、西日事件顛末記は終りだ。
 では、間髪入れずに、次の事件へと話を進めたいところだが、少々喉も乾いてきたところだし、水入りならぬ、ビール入りを所望して良いだろうか。一杯飲んだらすぐに始めるからさ。よろしく頼む」

 すると、おそらくみんなも喉が渇いていたのだろう。神岡が気を利かせて手際良くジャイアント瓶から注いだビールを次々にコップリレーして、行き渡るが早いかみんなは無言で一斉に杯を乾した。それを眺めてから、私は、自分のコップをテーブルに置くコツンという音とともに再び話を始めた。


〈3〉

「すまんな、長々とつきあわせて。何せ、基本事情のミニマムだけでも承知しておいてもらわんと、みんながおれの失恋話をリアルに感じられないのじゃないかと思ったものだから、一気に早口で捲し立ててしまった。
 それにしても、事情が込み入っている時の説明は、やはり難しいものだな。こんなに時間を取らせてしまい、しかも、これでミニマムなんだから、我ながら気が引けるよ。本当に申しわけない。
 だが、このミニマムにはもう少し続きがある。失恋の核心に関わることなので、眠い目を擦(こす)りながらでも、どうか我慢して聞いてはもらえないだろうか。どうかよろしくお願いする。
 では、俺と里都子さんが知り合う直前までの古川家の様子を、俺が知る範囲で話しておこう。古川家が代々医師の家系だということは、すでに言ったと思う。ゆえに、古川医師の双肩には、医師の家系を絶やしてはならぬという絶対の家訓が、重くのしかかっていた。
 ところが、運の悪いことに、古川医師には継嗣が一人しかおらず、しかもそれが女児であった。とはいえ、その女児が医師になるか、医師と結婚して古川医院を継ぐかすれば、万事解決、別になんの問題もないはずである。
 しかし、人の世は、親の思いが必ずしもそんなにうまく届くものではない。まして、子の気持ちを無視して親が我が子を自在にコントロールしようとすれば、子の反発を招くのは必至、決して簡単に行くはずがない。また行ったとしても後々に遺恨を残すのは必定、ひいてはそれが家庭内の紛争の種になることは、ある意味、人間社会の常態とも言える。
 その恐るべき事態が、この家庭にも起きた。
 裕福で何不自由なく育った女児は、成人して、眉目秀麗な才媛となった。この人が里都子さんの母である。このまま、両親のいうことを聞いて、医師に嫁げば古川家は安泰だ。そこまでには、あと半歩だった。が、そこで風向きが変わった。
 両親は、自分たちと同じ価値観を持つ跡取り娘が時々見せるわがままな行動も、自主性を重んじるという名のもとに、安心してそれを許していた。
 だから、彼女が医学部を受験せず、文学部の英文科に入って、英国女流作家の研究がしたいと言っても特に反対することはなかった。つまり、娘が何学部に入ろうと、最終的に医師と結婚すれば問題はないとの理屈からだった。
 彼女は、憧れの英文科に入るや、熱心に学業につとめた。もともと英語は得意だったし、特にジェイン・オースティンの小説の研究に意欲を燃やしていたのだそうだ。
 ところが、入学してテニスサークルに入部したことから、彼女の人生は、思いがけない方向へと逸れて行く。
 一言で言えば、同じサークルの工学部三回生の先輩に一目で恋をしてしまったということなのだ。もちろん、その先輩は彼女の恋愛対象となるべき条件をも、よく満たしていた。つまり、ハンサムで背が高く、しかもスリム。そのうえスポーツマンと来て、口もうまい、あ、いや、話もおもしろい、ということさ。
 こうまで条件が揃っていれば、女の子なら誰だって気にならないものはいないだろう。もちろんおれだって気になる。気になって、そういう羨ましい男は、おれの嫉妬の炎で焼き尽くしやりたい。なあんて、みんな眠そうだから、ちょっと気つけに言ってみた。眠気は覚めたかい? ま、冗談さ。聞き流してくれ。
 でだ、彼女もその例外ではなかった。それどころか、本物の恋に落ちてしまった。いくら、利害得失の判断に長けた彼女とはいえ、真心から生まれる本物の恋には勝つことができなかった。やはり、ジェイン・オースティンの作品を耽読するだけのことはあるな」
「どうしてだい? ジェイン・オースティンの小説って、そんな恋の物語ばかりなのかい?」