京都七景【第十七章】前編
「お安い御用だわ。それじゃ気分もすっきりしたところで、種明かしと行きましょうか。でも、聞いたら、なんだそんなことかと思うくらい単純な推理だから、がっかりしないように。それから、あくまで大家の孫娘の日常体験から割り出した予測なので、私の個人的偏見が、多少とも入ってしまうのは大目に見てね。
では、順序として、まずは予測の根拠から。
根拠一、うちの下宿で西日が直接当たって耐え難いのは野上さんの部屋だけである。
他の部屋の住人に、その種の苦情がかつて出たことはない。
根拠二、苦情が出るのはたいてい文系学部の住人からである。これは、西日の当たる季
節に在室するものが文系学部生に多いことによる。
根拠三、苦情の実態は、法学部、経済学部、文学部の順に数が増える傾向にある。
① 法学部生は、西日の当たる時期に関わりなく、参照図書との関係で、放課後でも大学図書館にこもって学習する者が多い。(苦情皆無)
② 経済学部生は、ときに大学図書館を利用することもあるが、大抵は友人の下宿に入り浸ってダベるなど交際に費やす場合が多い。(苦情ほぼ無し)
③ 文学部生は、半分は経済学部生の傾向に近いが、もう半分は講義が終わると、すぐ下宿に帰って読書するものが多い。中には、大学図書館利用を必要最小限に止め、自分で購入した本を読むことに無常の喜びを感じる者さえ少なしとしない。よって自室にこもる者多いがゆえに、苦情はふえる。
根拠四、理系学部生は、二回生以上になると、平日・祝日の区別なく、実験や実習に明
け暮れるがため、日が暮れてからの帰宅が常態になる。
根拠五、野上さんは以上のどの場合に合致するか。これまでの様子から見て、どうしたって文学部生の後半よね。
根拠六、文学部生の後半に顕著に認められる傾向
・基本的に大学図書館を利用しない
・すぐに自宅に帰る
・読書は自室で孤独にするものと決めている
・室内で読書が困難なとき、そのまま寝てしまうか、散歩に出かける。ただし散歩の時には必ず本を携行する。これは、偶然、読書に適する場所に遭遇したとき、読書時間を確保するためである、でしょ?
以上のことを総合して判断すれば、いつになく西日の強く照る今日の日の午後、野上さんが、自宅に戻ってから外出する確率は、非常に高いと思われた。だって寝るには暑すぎるもの。
しかし、真如堂に来る確率はあるのかしら? もちろん、大いにある。だって、部屋を出れば、真如堂の本堂やら三重塔が目の前にあるじゃない。散歩するのにこれ以上の場所が、この近くに、他にあるとは思えない。
しかも、たぶん知ってるでしょうけど、平日は人通りが少ないときてる。幸い今日は、平日の木曜日。ならば読書にも申し分がないはず。これはもう行くしかない。そう野上さんなら考えるだろうなと予想したわけ。どう、当たってない?」
「ええ、ええ、逐一その通り。まるでギリシア悲劇のオイディプスの運命みたいにピタリと当てられている。折りがあれば、非情な運命の女神を呪いたいくらいです。
でも、まあ、それはそれとして、問題は、今日のこの時間におれが来るのを、里都子さんがどうやって予想できたかということです。
おれが行きそうな場所を予想するなら、さっき挙げた根拠で十分だと思います。でも、今日のこの時間におれと出会うとなると、話は各段に難しくなる。
さっきの根拠の中には、おれの来る日時を予測できるような条件はなかった。ま、時刻は西日が差している間ということになるでしょうから、ある程度予測はつきます。でも、日付までピンポイントに予想するのは、まず不可能だと思います。里都子さんがどんな経験科学的手法を使ったのか、興味津々ですよ。ぜひ、聞かせてください」
「もちろん、そのつもりよ。でも覚悟してね。種を明かすと、たぶん呆気にとられてがっかりするわ。それほど単純で簡単なことだから。それじゃ、真相を教えるわね。
実は私、毎日、真如堂に来ているのよ。だから野上さんが来れば出会えて当然なの。確か十月の半ば頃からだから、もう二週間くらいにはなるかしら。
大学の実習や講義は午前中で勝手におしまいにして、午後は日がすっかり暮れるまでここで過ごしているの。平日だけね。それを、たぶん十二月いっぱいまで続けなきゃならないと思う。
さあ、これでもうわかったでしょう? 野上さんが私と必ず出会う理由が。だから、大晦日までの間なら、私が野上さんに出会ったときだけ「お待ちしてたのよ」と言えば、それで、いつでも占いが当たったようにできるというわけ。
もし、私がいないときに野上さんが来ても、私がいつも来ていることを知らない以上、野上さんは、私がいないのを変だとも思わないでしょう。だから、私の占いは百パーセント当たる。ね、簡単でしょ?」
「うーむ、確かに簡単で驚きますね。まさか、そんなことをしてたなんて! それじゃ、気がつかないわけだ。ところが、その簡単なことを続ける事情は、決してそう簡単じゃないと思いますから、おれは、その方にもっと驚異を感じますね。
どうして毎日、真如堂にくる必要があるんですか?
大学の午後の実習や講義に出なくて大丈夫なんですか?
会ってから何かしたようにも思えませんけど、いったいここで何をしてるんですか?
日暮れまでいて変な人に絡まれたりしないですか?
だいたいこのことを古川先生は知っているんですか?」
「そう、矢継ぎ早やに質問されたら、一度に答えられないわ。まるで娘の心配をする母親みたいなのね、野上さんは」
「ええ、全くその通り。見ていて、はらはらさせられますよ。事情は全くわかりませんが、やめた方が良かないですか?」
「心配してくれて、ありがとう。でもダメなのよ。事情があって、どうしてもやめるわけには行かないの。ちょっと込み入っているので、今は人に話せないけれど、いずれ時期がきたら、野上さんにだけは聞いてほしいと願っているの。たびたび厄介をかけて迷惑でしょうけれど悪く思わないでね。素直に相談できるのは野上さん以外考えられないの、本当にごめんなさい」
「気にしなくていいですよ。おれも何か不安なことがあると、その都度、信頼する叔父さんに聞いてもらい、どれほど安心できたことか。その叔父さんになり変わったつもりで聞かせてもらいますから。とにかく乗りかかった船です、里都子さんが話せるまで、ゆっくり待ちますよ」
「ありがとう、その一言で、何だか救われた気持ちよ。野上さんて、精神安定剤ね」
「だと、いいんですが。
おや、いつのまに、こんなに暗くなったんだろう。それに風が出て少し寒くなってきた。どうやら、時間も六時半を過ぎたし、そろそろ帰りませんか。今日の用事は、もう済んだんでしょう?」
「いいえ、まだなのよ。待ち人が来ないの」
「変な質問をしますけど、その人も毎日ここに来てるんですか?」
「いいえ、そうじゃないわ。いつもは私一人だけ。でも、今日は特別。来る約束になっているから、会わずに帰るわけにいかないのよ」
「あの、それも複雑な事情の一つですか?」
「まあ、そうとも言えるわね」その返事を聞いて、おれの心は急にざわついた。はて、待ち人とは?
「俗な質問をしていいですか?」
作品名:京都七景【第十七章】前編 作家名:折口学