京都七景【第十七章】前編
「今も言った通り、会食の席での野上さんの話に、私、すっかり感心させられたの。きっと、いくつも辛い困難に直面し、その時々に先行きや解決策の見出せない不安に苛まれながら、言葉にならない怒りや悲しみを、何とかして乗り越えてきた人が、素直に淡々と自分の来し方行く末を理路整然と語る姿に、本当に心動かされたわ」
「いや、決してそんなえらそうなことをしたわけじゃありません。結果としてそうなっただけで。たぶん運がよかったんですよ」
「謙遜はしなくていいの。ただ運がいいだけで切り抜けられるような問題じゃないのは、このわがまま娘にだって想像くらいつくわ。だから、時間をとらせて悪いけれど、私の話、最後まで聞いてくれる?」
「すみません、話の腰を折っちゃって。どうぞ続けてください」
「あの時は、野上さんの話に何だか気持ちが楽になった。その話はさっきしたわね。
それで、その話を思い返すうちに、「自分はどうしていつもこんなにいらいらして周りの人を攻撃してばかりいるんだろう?」って、思いはじめたの。
もちろん理由は、一つ一つ自分にもよくわかっている。攻撃を受けた相手は、その時々の理由をわかってはくれるけれど、残念ながら、どうして私がそんなささいなことに怒るのか、理解しようとは全然してくれない。
ゆとりある生活をして、容姿に恵まれ(気が重いな)、さらに、ちゃんとした学歴まで揃っているのに、なぜ不満なのかわからないって言うのよ。それは、私だって、物心つくまで、いえ、物心ついてもしばらくの間は、お気楽に、絵に描いたような楽しく贅沢な暮らしをしてきたわ。その生活から身に余る恩恵さえ受けてきた。
だから、この生活がこのまま永遠に続きますようにと祈りはしても、それを疑うことなど夢にも思いつかなかった。でも、父の浮気で、家族の運命が一変してしまったの。もはや後戻りできないくらいに。
それから、野上さんの言った、もらい事故のような不運が続いたわ。それに応じて私の気持ちや態度も少しづつ変化しないわけにはいかなくなった。そうするうちに、周りのものわかりのいい、賢い人たちの価値観や意見に合わせて、利害や打算の日常を送ることにうんざりしてしまったの。
こんなこと、私がしたいと願ってきたことじゃない。もっと、他のことがしたい。でも、それを訴えても、これまで通り、私の気持ちを理解してくれる人は全くいない。持てるもののわがままとしか思ってくれないのよ。
それも、当然なんだけどね。だって私にさえ自分が何をしたいのか今もってわからないんだから。でも、したくないことはだけはわかるの。これまでしてきたどんなことも、もうしたくない。
そこから先なのよ。そこから先をどうしたらいいのかわからない。何だか、自分の周りに空白の空間が拡がり、これまで知り合いだった人たちの間にどんどんと入り込んで、その人たちを私からますます遠ざけて、最後は点にして消してしまう。残ったのは、私とただ広いだけの何もない白い空間だけ。声も伝わらないし、聞こえてもこない。いつか自分も消えてしまうかもしれない。そんな感じの孤独を毎日感じるようになった。
軽い吐き気もする。いけない、このままじゃダメだ。何とかしなくちゃ。そうだ、人との関わりだけは、なくしちゃいけない。でも、攻撃や反発する以外に今の自分に何ができるだろう? だが、どうしようもない。ひとまず、自分が正しいと判断できることには、攻撃や反発の手を緩めないでおこう。そう決めると、私の思考は、そこで、はたと停止してしまった。しかも、実際、攻撃や反発をしていると、沈黙の世界に取り残されたような孤独も軽い吐き気も、嘘のように忘れることができた。
だから、いつのまにか、杉谷さんを攻撃したり、祖父に反発したりするようなことが、ある意味、私の存在理由になってしまった。今も、そう。
でも、本心では、自分がしたいのはこんなことじゃない、自分がどんな人間でどんなことができるのか本気で探している、そのためにこそ生きているんだ、と毎日毎時間、自分に言い聞かせてきた。正気をなくさないためにね。
そんなある日、杉谷さんの部屋に怒鳴り込んだのがきっかけで、偶然、野上さんの身の上話を聞かせてもらうような成り行きになった。
最初は、野上さんの話を耳にしながら、自分の取った行動が野上さんにいかに大きな迷惑をかけたか、ひしひしと身に迫って、私は愚かな自分を心の中で呪っていた。
でも、耳を傾けているうちに、野上さんの経験談にどんどん引き込まれて、自分のしたはずのない体験なのに、これはどうしても、私の心の中が読まれているにちがいない、そんな気がして仕方なかった。ね、不思議でしょう?
もちろん、野上さんと私では、生活環境も立場も、まるで異なっているのはよくわかっている。それなのに、どうして、野上さんの心の動きにこんなに共感してしまうんだろう? そう思うと、もっともっと知りたくなって、野上さんの一言一言を、かみ締めるように真剣に聞いたわ。だから聴き終わったときには、軽いめまいがしたくらい。でも何だかすっきりして清々しい気持ちになった。どうしてだかわかる?
私には、どうしてだか、わからなかった。それで、ここ一月ぐらい、野上さんの話を何度も思い返して、たどり直してみたの。
そしたら、ちゃんと野上さんが言っていたじゃない。私は、それを(その日の夜に、覚えていたところだけ、ノートにメモさせてもらったの、ごめんなさいね、許可もとらずに)、野上さんの言葉通りじゃないけれど、思い出して、思わず納得してしまった。
確か、こんなふうに言ってたはず。
「自分は、他者の悲しみを書いた本を読んで、自分だけが悲しいわけじゃないことを知って、心救われる思いがした。
だから、他者の悲しみを知るには言葉によるほかはない。なぜなら、言葉は、心の中の悲しみを、目に見える形にして外に取り出してくれるからだ。しかも、同時に、心の中の未整理だったもの(つまり葛藤かな)に表現や秩序を与えて、整理してくれる。それはつまり、やり場のなかった心のいろいろな悩みを、断片や文章という読める形にしてくれるから、悩んでいる本人が、距離をおいて(感情を抑えてということよね)読んで(あるいは話に聞いて)、冷静に判断できるようになる。しかも、他者にも伝えられるので、誰でも、というわけではないけれど、共感する人はいて、自分は一人じゃないと心救われる思いになる」
これと同じことが私の心の中にも起こったのね。だから、私は、救われた思いになった。野上さんの話は、私が言葉にできずにいたことを表現するように促して、攻撃と反発の世界から抜け出すヒントを、それとなく教えてくれたんだと思う。
だけど、今なお片づかない心の悩みを、そんな簡単に自分の言葉で表現できるとは、私には、どうしても思えない。だから、それができるようになるまで、迷惑でしょうけど、私を助けると思って力を貸してもらえないかな?」
「あの、お役に立つことならよろこんで、と言いたいところだけど、おれにできることが何かあるでしょうか?」
作品名:京都七景【第十七章】前編 作家名:折口学