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京都七景【第十七章】前編

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 実は、おれも物心ついて家庭の事情を知ったとき、突然大風に吹き倒されたような運命の理不尽を覚えて、怒り心頭に発しました。ところが、生憎なのか幸いなのか、その怒りは長続きせず、いつしか諦めに変わっていきました。なぜなら、別の怒りを母に向けなければならなかったからです。でも、理由もわからず母に向ける怒りは、自分の心を消耗させるばかりでした。おれは、こんなことをしたくないという自分の心の声を誰に言うこともできず、また言ったにせよ、言い争いの真最中では誰も聞く耳を持ちません。おれの真の怒りは、この状況そのものへの怒りだったから、そのことを理解できる家族はいませんでした。良い方策も見つからないまま、おれの怒りは諦めへと変わり、最後に悲しさだけが残りました。それでも、その悲しさから文学へ逃げ出して、今救われているおれは、カッコよく言えば、逃亡の迷路を彷徨ったからこそ、独自の脱出口を発見できたのだと思います。これがおれの通ってきた道です。まだ、途中ですけどね。
 そうして、会食の時以来、どうして里都子さんが攻撃的になるのか、その理由を、おれなりの経験に照らしてずっと考えてきました。それは要らぬお節介かもしれないし、あるいは単なるおれの思い過ごしかもしれない。でもそれならそれでいいんですよ。そうとわかれば、何も心配する必要はありませんからね。
 おれは、こんな風に考えて見ました。人が攻撃的になるとしたら、何に攻撃的になるんだろう? それは、当然、本人の気に入らないことや人についてか、あるいは本人自身のことについてでしょう? ですが、里都子さんの場合、一般的に見て取り巻く条件だけでなく本人の条件さえも、誰もが羨むほどのものですよね。
 ならば、どこに攻撃的になる必要があるのか。裕福な家に生まれた子女によくある、エスカレートしたわがままなのか? いや、いや、おれの部屋に乗り込んで言い放った杉谷さん批判や、会食で見せた気遣いから判断すれば、里都子さんは、かなり正義感の強い女性らしく見える」
「あら、そんなことを言われたの、初めて。お世辞でもうれしいわ」
「やはり、そうですか」
「やはりって、どういう意味?」
「前々から気になっていたんですけど、里都子さんて、家柄や容姿のことを言われるとあまり好い反応はしませんよね? もちろん、すぐに「ええ、そうなの」と言う人は滅多にいませんけど、大抵の人は最初「いえ、いえ、そんなことありません」と謙遜はするものの、仕草はうれしそうにうなずいてたりするじゃないですか。あれがないんですよ。嫌いとまでは行かないでしょうけど、重きをおいてないと言うか、何らかの事情があって話題にしたくないのではないかという、おれの予想から来る、「やはり」なんです」
「ねえ、その予想にまだ続きはある?」
「ありますけど、聞きたいですか?」
「ぜひ聞きたいわ。だって私がどう見られてるのか興味深々だもの」
「里都子さんが怒って蒼ざめるようなことを、言うかも知れませんよ、杉谷さんみたいに」
「平気よ。だって、野上さんは、いく先々に恋人をキープしておくような人じゃなさそうだもの。ねえ、そうでしょ?」
「経験がないのでよくわかりませんけど、好きになったらその人のことだけしか考えられそうもないな、おれ不器用なんで」
「ねえ、怒ってもいい?」
「えっ、もう怒るんですか?」
「あたりまえよ。器用か不器用かで恋人の数が決まってたまるもんですか。恋は真心を捧げるものでしょう? 真心はいくつあるの?」
「たぶん、一つですね」
「それを、分けることはできる?」
「たぶん、できないですね」
「それを分けられると思っている人に真心はある?」
「いや、ないでしょうね」
「ほら、見なさい。あるわけないのよ、分けられる人に。愛情を手段として使うから、そんなことができるの。今日は、甲より乙に真心を捧げた方がたくさんのものが手に入りそうだ。明日は、乙に内緒で、甲に真心を捧げると見せて、うまくだましてやろう、わからなければ大丈夫、なんて都合のいいことばかり考えている。男って本当にずる賢くて許しがたい」
「手きびしいな。何か、それらしきことでもあったんですか? あっ、いや、おれが聞くことでもないな。すみません、忘れてください」
「いえ、いいのよ。こちらこそ急に怒り出してごめんなさい。初めて会ったときと同じになっちゃったわね。でも、自分なりに理由はわかってるの。こうなったら、乗り出した船ね、もう止められない。ねえ、理由を聞いてくれる?」
「ええ、おれでよかったら。そして里都子さんの怒りがおさまるなら」
「大丈夫。野上さんになら冷静に話せると思う。だって、もうすでに、こんなに長い時間話しているでしょ。それって私の人生にはなかったことだもの。でも、不思議ね、人前で自分のことを話すのは、いつも抵抗があってできないのに、野上さんには素直に言えるなんて。きっと、以前に野上さんの苦しい生い立ちの話を聞いたからだと思う。ああ、この人も苦しんでいるんだと思ったら、自分だけが苦しいわけじゃないことに気づいて、なんだか気持ちがすっと楽になったの、だから大丈夫」
「それを聞いて、おれも気が楽になりました。理由はどうあれ、やはり、孤独を感じていたんですね。おれもかつて(今もかな)通った道だから、なんとなく同じ気配を感じて気になっていたんです。
 でも待ってください。里都子さんが、今ここで、少しでも事実を明かすと、おれの予想に意味がなくなってしまうかもしれません。おれにとっては、そのほうが全然いいんです。いいんですけど、事実は語り出すと、とめどがなくなり、どこまで言っていいか悪いかの判断がつかなくなる。そして、いくら本人が口にしたにせよ、後から悔やむときがきっと来る。だから、そう言う事実は最小限に留めておいた方がいい。これは、おれが家族のもめ事で学んだ経験則です。
 まず最初に、おれの大まかな予想を聞いて、それから、その予想ついて、里都子さんが質問なり意見なりを出し、最後に、必要に応じて事実をつけ加える。これで、どうでしょう?」
「まあ、すっきりしてて、わかりやすいのね。それに、野上さんの心遣いが伝わってきて何だかほっとする、どうもありがとう。では、そうしてもらえる?」
「ええ、もちろんです。じゃ、そうさせてもらいますね。では、これがおれの予想です。
 里都子さんは、おそらく、人生のどこかで、挫折か、価値観を変えねばならない時が、あったんじゃないですか。そう考えないと、里都子さんが今、攻撃的な態度を取っている事情の説明がつかないからです。
 優れた家系に生まれた人は、代々その好条件を受け継いでなくさぬよう、日々心がけて暮らすのが、ぼくの知る限りでは、世の常識と言うか、家門の習いになっていると思います。しかも、そこに輪をかけて容姿の優れた女性であれば、二十代は、自他ともにその習いを受け入れ、自分の未来に大きな夢と期待をかける年頃だと言えます。