あなたに似た人1
『ウェイン・ノーマン。それが君の新しい名前だよ。気に入ったかい?』
誰かの声に目を開けると、見知らぬ天井が広がっていた。
ドクンと跳ねる心臓をなだめるように手を置き、荒く短い呼吸を無理矢理吸い込むと、長く長く息を吐く。
ゆっくりと瞬きして、改めて天井を見上げた。
そう、見慣れないのも当然。ここに戻ってきたのは十年ぶりなのだから。
頭を巡らせて、部屋の中を見回す。いささか子どもっぽさを感じるのは、兄が部屋の物に手をつけていないからだろう。
何一つ変えていない、と兄は言った。行方不明になった日から、何も。
「……ふー……ここは、俺の部屋。俺の部屋だ。俺はウェイン・ノーマン。二十六歳。兄はクリス・ノーマン。三十四歳。両親は十二年前に事故で死亡。兄弟二人暮らし。兄さんは会計士で……魔道士だ」
昨日、兄から聞いた内容を声に出してみる。聞き慣れないこの声は、確かに自分のものなのだ。
何も覚えていない自分を、兄は優しく受け入れてくれた。無理に思い出そうとしなくていいと。十年前、突然姿を消した弟を責めることなく。
自分の人生を歪めた弟に、恨み言をぶつけることなく。
魔道士……。魔道士? 誰が? 兄が。クリスが。そう。そして……が。
頭を振り、ベッドから抜け出す。時計が朝食には遅い時間を示していた。
鏡に映る、Tシャツにスウェットのズボン姿の男。誰だという言葉を飲み込んで、顎に手を当てる。
「うーん、兄さんに似てる、かな?」
クリスを真似て、髪を撫で付けてみた。面影があるようなないような顔にくすりと笑って、手を降ろす。
弟を探す手段として、兄は魔術を修めた。会計士の片手間にできることではない。「おかげで人助けもできた」とクリスは言ったが、それが血の滲むような努力の上にあることは、ウェインにも分かっていた。
「俺はなんで行方不明になった? 兄さんが嫌になったとか? 贅沢な奴」
自嘲気味に笑う。優しい兄に、どうやって報いればいいのか。どうにかして、記憶を取り戻せないものか。
「ウェイン、起きたのか?」
部屋の外から兄の声がした。この声は聞き違えない。
ウェインは笑みを浮かべ、扉を開けた。
「おはよう、兄さん」
「おはようと言うには、遅い時間だな」
ウェインの挨拶に、クリスは苦笑いを浮かべながらテーブルを示してきた。優しい兄に甘えて、ウェインは大人しく食卓につく。
「今オムレツを作るから、待ってろ」
「手伝おうか?」
ガスコンロに向き直った兄の背中に声をかけると、冷蔵庫を指差して、
「サラダが入ってるから、それを出して。牛乳も飲むなら、一緒に」
「兄さんは?」
「もう食べたよ。パンは棚の上の段だ」
言われるままに冷蔵庫を開けた。サラダと牛乳を取り出してテーブルに置き、棚の中に頭を突っ込む。籠に盛られたパンを手に振り向くと、フライパンからジュワッと音がして、辺りにバターの香りが広がった。口に出すより早く、腹の虫がぐぅと鳴く。顔を向けたクリスに、ウェインは照れながら、
「あんまりいい匂いだから」
「そうか」
ふふっと笑われ、ウェインもふにゃりと相貌を崩す。小さな声で、「多分、好物だ」と呟いた。