死神と魔法使い2
「スーツを新調しましょう、ヴィクトル」
唐突なルイスの言葉に、ヴィクトルみはティーポットをテーブルに置いた。
「要らん」
アーモンドタルトを皿に乗せ、ルイスの前に差し出す。
ルイスは皿を受け取りながら、もう一度「スーツを新調しましょう」と繰り返した。
「俺は聞こえてたし、返答もした。お前の耳か頭がおかしいんだ」
ヴィクトルの言葉に動じることなく、ルイスは紅茶に角砂糖を落としながら、
「だって、そんな真っ黒だと、死神みたいじゃないですか」
「死神だよ」
真っ当な返しに、ルイスは眉を寄せて紅茶を啜る。
「つまりですね、そのスーツを着てると、魔道士でなくても、あなたを死神だと認識してしまうんです」
「……ああ。そういうことか」
納得したヴィクトルに、ルイスは鷹揚に頷いて、
「そういうことです。下手に縁を結ばれたら面倒でしょう? あなたは気にしそうですし」
「お前が昼間に連れ出さなきゃいいんだ」
「嫌です。なんでルームメイトがいるのに、一人で外出しなければいけないんですか。家主は僕なので、僕に付き合ってください」
人の流れに乗って街中を進む二人。ヴィクトルは、とりあえずとして着せられたダークグレーのジャケットを、落ち着かない様子でいじっていた。
ルイスはヴィクトルの腕を取り、
「サイズが合わないのは我慢してください。でも、色は良い感じではないですか? いきなり明るくするのは抵抗あるでしょうし」
「大して変わんねえだろうが」
「全然違いますよ!」
信号を渡ったところで、ヴィクトルが「銀行に寄ってくれ」と言う。
「え? 銀行? 何故?」
首を傾げるルイスに、ヴィクトルは当然のように、
「残高を確認すんだよ。先月分が振り込まれてるはずだ。スーツをオーダーするなら、それなりにかかるだろ?」
「は?」
驚くルイスに、ヴィクトルは肩を竦めてみせた。
「は? ってなんだ。昨日は給料日だったんだよ」
「給料日……?」
「生まれて初めて聞いた、みたいな顔すんな」
ルイスは、真剣な顔で口元に手を当てると、
「失礼ですが……お仕事は何を?」
「何をって……今更なんだ。つーか、外で聞くなよ。何の為にスーツ作るんだ」
ヴィクトルは周囲に視線を向けながら、小声で言った。皆、こちらに注意を払っていないが、それなりの人数が脇を通り過ぎている。
ルイスは、ヴィクトルの返答に目を丸くして、
「はああ!? 死神って給料制なんですか!? というか職業!?」
「ちょっ!? 馬鹿!!」
ヴィクトルは慌ててルイスの腕を取ると、建物の脇に引っ張り込んだ。
「馬鹿。こんなとこで叫ぶな」
声を抑えて注意するヴィクトルに、ルイスも声をひそめる。
「だって、初めて聞きましたよ? あなたが給料もらってるなんて」
「いつも『仕事』っつってるだろが。家賃も食費も払ってるのに、何を今更」
ヴィクトルの指摘に、ルイスは真顔で、
「後ろ暗いお金かと思って、追求しませんでした」
「はっ倒すぞ」
ヴィクトルから、死神が職業なことと、専用口座を持っていること、そこに魂を送った件数で給料が振り込まれることを聞いたルイスは、壁に手をついて項垂れる。
「そんなにか」
ヴィクトルが呆れたように声をかけると、ルイスは弱々しく首を振った。
「なんか……なんというか、死神って、もっと神秘的な存在かと……」
「神秘的だろうが。死者だぞ?」
「そうじゃない……そういうことじゃないです……」
すっかりしおしおになったルイスに、ヴィクトルは溜め息をつき、
「いいだろうが、死神が給料もらったって。ほら、テーラーに行く前に、そこの店でケーキ食ってこうぜ? 新作が出たみたいだし」
「……あなたが作ってくれたほうが美味しいです」
「そりゃどーも。俺のレパートリーを増やす為にも行くぞ。ほら、ほら」
ケネス・バルコンは、若者で賑わうカフェのテラス席で、深い溜め息をついた。
目の前に並べられているのは、湯気の立つ紅茶と新作だというケーキ。これだけで、所持金のほとんどを使ってしまい、財布には小銭がわずかに残るだけだった。
「…………」
ケネスは無言でフォークを手に取ると、ケーキをつつく。
魔道士になって三十年、手に入れたのは白いものが混じり始めた濃茶の髪と、寝不足で充血した緑色の瞳。皺が刻まれた目尻とたるんだ頬が、年齢よりも老けて見せていた。
いい加減、自分には才能がないことを認めるべきかもしれない。金になるどころか、出費ばかりかさむ研究も行き詰まり、家賃の滞納もそろそろ限界だろう。
数ヶ月前、最後の望みをかけて研究機関に送った論文には、一向に音沙汰がなかった。
「いざとなったら、レディに泣きつくかな……。彼女、最近は大分ご機嫌がいいみたいだから」
手厳しくも愛情深い、丸々と肥えた三毛猫の姿を思い浮かべながら、紅茶を一口啜る。彼女から魔道士を引退しろと言われたら、素直に従うのも良いかもしれない。きっと再就職先を見つけてくれる。
自嘲気味の笑みを浮かべ、ケーキを口に運ぼうとしたその時、店の入り口に何気なく視線を向けて、ケネスはフォークを取り落とした。
「……死神」
ポツリと言葉を漏らし、ケネスは慌てて周囲を見回す。幸い、誰も気づいた様子はない。
そのことに安堵しながら、再び店の入り口に視線を向けると、相手からも視線を向けられていることに気がついた。
黒髪黒目の、痩せた男。年はケネスとさほど変わらないようだった。サイズの合っていないダークグレーのジャケットを羽織り、じっと見つめてくるその視線に気まずさを覚え、ケネスは顔を逸らした。
横目で様子を伺っていたら、連れらしき年若い男と言葉を交わし、二人は店に入らず立ち去っていく。バツの悪い顔で、ケネスは残りの紅茶を飲み干した。
店を出て、通りをぶらつくケネス。先ほど見た光景を思い出しながら、悪いことをしたなと考えていた。
魔道士の端くれとして、死神が邪悪な存在でないことを知っている。知ってはいるが、白昼堂々と街中を出歩く死神という、あり得ない光景に驚愕したのだ。彼らは人目につくことを嫌い、深夜にそっと活動しているというのが、ケネスの常識だったのだから。
連れの若い男は魔道士のようだった。彼に聞けば、事情を明かしてくれたかもしれない。死神というのは、魔道士にとって非常に興味深い存在だ。自分たちも、死後に死神になると知っていれば尚更。
「この辺りで活動している死神だろうか。ここは上品な老婦人の担当だと思ったのだが。ひょっとして後任か? 死神の引き継ぎとは、どのように行われるのだろう。興味深いな」
先ほどまで引退を考えていたことも忘れ、ケネスは思考を巡らせる。
「あの若い男性が魔道士なら、レディに聞くのが一番早いな。彼女なら事情を知っているだろうし、彼らを紹介してくれるかもしれない。そもそも、彼はどうやって死神と親交を深めたのだろう」
考え事をしながらも、長年の経験から赤信号で足を止めた。周囲の人々も足を止める中、不意に一つの気配がケネスの横を通り過ぎる。