死神と魔法使い2
ヴィクトルに睨まれ、渋々セレンの体に手をかざした。次の瞬間、濡れねずみだったセレンは、汚れひとつない状態になる。セレンが目を開けて、ふらつきながら体を起こそうとした。
「おい、無理するな」
「……今の、浄化の魔法? 触れずにこの状態まで持っていくなんて、さすがね、アットウェルさん」
「光栄です、カーティス夫人」
二人のやり取りに、ヴィクトルは溜め息をつく。
ようやく息を整えたランディが、半身を起こすと、未だ湖面に浮かぶボートを指差して、ルイスに顔を向けた。
「……あれを、岸に寄せてもらえるでしょうか、ミスター?」
「お安い御用ですよ」
ルイスが笑顔で請け負うと、ランディは立ち上がり、少し離れた場所で待ち受ける。
手振りでボートを引き寄せながら、ルイスはセレンを振り返ると、
「カーティス夫人、あのオールをこちらに移転させてもらえますか?」
「……今、溺れかけたのに?」
「はい。それで、僕を利用したことは許してあげます」
ルイスがにっこり笑うと、セレンも微笑んで、
「セレンと呼んでちょうだい」
「僕のことはルイスと」
諦め顔のヴィクトルの前で、セレンの手元にオールが現れた。ルイスは礼を言ってオールを手に取ると、素早くランディに近づき、オールを差し出す。ランディは一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐに頷いてオールを握った。また素早く戻ってきたルイスを、ヴィクトルが小突く。
「さっきからなにやってんだ、お前は」
「え? 巻き込まれたくないですし? それに、素手はちょっと」
こそこそ話していたら、ボートが岸まで辿り着いた。
「ランディ! あんた、なんであの女を助けたのよ!! いい加減に目を」
ボートを降り、目を吊り上げて喚きながら寄ってくるジャネットに、ランディは無言でオールを振り上げた。
驚いたジャネットが尻もちをついたすぐ横で、派手な水飛沫が上がる。
青ざめた顔のジャネットに、ランディは絞り出すような声で、
「……自分が女に生まれたことを、神に感謝するんだな。男だったら殺してた」
ジャネットは振り下ろされたオールと、ランディの顔を交互に見て、震える声で「どうして」と言った。
「どうして、セレンなの? どうして、皆、あの女のことばかり褒めるの? あなたも、先生も。あんな……あんなつまんない、地味な女」
ジャネットは、ぎりっと歯を食いしばると、弾かれたように立ち上がる。
「どうしてよ! あんたが……あんたさえいなければ!!」
ランディが止める間もなく、ジャネットがセレン目がけて走り出した。ヴィクトルがセレンを背に隠すと同時に、ルイスが懐から出した紙を広げ、
「はい、さよーならー」
一瞬でジャネットの姿が消え、ルイスは魔法式を書いた紙を折り畳んで懐にしまう。
「調査員への暴行未遂も加えるなんて、あの人、どこまで自爆の才能あるんですかねえ」
「調査員? あれはセレンに」
ヴィクトルの疑問の声に、ルイスは両手を広げて、
「あの人、僕につかみかかろうとしましたよね? 凄く怖かったですよー。殺されるかと思いました。殺人未遂……は厳しいかな、さすがに」
「ええ……」
「セレン!」
ランディが駆け寄って、セレンを抱き締めた。
「君が無事で良かった……!」
「大丈夫よ、ランディ。もう大丈夫」
セレンはランディの背中に腕を回して、一度力を込めた後、
「本当に、危ないところでしたね、ルイスさん」
ルイスに顔を向けて、いかにも心配そうな声で言った。
「ジャネットは昔から激しい性格で……私以外にも被害に遭った人は多いの。それに」
セレンは言葉を切り、ルイスの背後に目をやる。
「もし、湖に落とされていたら、溺れてしまいましたわね?」
「ええ、全く。水深が三十センチもあれば、溺れてしまうそうですし?」
「まあ、怖い。あなたが無事で、本当に良かったですわ」
うふふあははと笑い合う二人から、ヴィクトルはげんなりした顔で離れた。
「先ほどの魔法式について聞きたいわ。あれはあなたが改良したの?」
セレンがランディの腕を解きながら言うと、ルイスは胸を張って、
「はい、あれは僕のオリジナルですよ。あの一瞬で見破るとは、さすがです」
「負荷を軽減した分、移動先での着地に難がありそうね?」
「ええ、だいぶ乱暴になりますから、壊れてもいいものにしか使いません」
ルイスが答えると、セレンは一瞬キョトンとしてから、綻ぶように笑みを浮かべる。
「良かったら、朝食を一緒にいかがかしら、ルイスさん? もっと詳しく聞きたいわ」
「光栄です、セレン女史」
二人のやり取りを横目に、ランディがヴィクトルに近づいて、
「まずはお礼と、謝罪を。あなたへの失礼な態度を謝ります。妻を助けていただいて、ありがとうございました。あと、あなたの心遣いにも感謝します。お陰で、目を覚ますことができました」
「えっ? あっ、ええ?」
戸惑うヴィクトルに、ランディは指を一本立てて自分の唇に当てた。
「このことは黙っておきましょう。魔道士がああなると、長いですから」
ランディが示した先では、ルイスとセレンが魔道談義に花を咲かせている。ヴィクトルはうんざりしたように頷き、
「うるせえのは一人で十分だ」
と呟いた。