死神と魔法使い2
ベッドの上で、セレンは自身の体に魔力を巡らせる。麻痺した部分に引っ掛かりを感じるが、大したことではない。すぐに滞りなく魔力が巡り、全身に活力が溢れた。セレンはベッドから降りると、しっかりと自分の足で立ち、手際よく寝巻きを着替える。
一度だけ振り返り、静かに眠るランディに目を細めると、ショールを体に巻いて、音もなく寝室を出た。
朝靄の漂う湖の上、一艘のボートが静かに水面を滑る。
船底に横たわっていたジャネットが、うめき声を上げながら目を開けた。灰色の目が見下ろしているのに気づき、小さく悲鳴をあげる。セレンがショールを撒き直しながら、呆れたように声を掛けた。
「ジャネット、寝巻きに着替えもせずにベッドに入るなんて、感心しないわ」
ジャネットが思わず自分の体を見下ろせば、昨日の服装そのまま。ジャネットは苛立たしげに金髪をかき揚げ、セレンを睨む。
「こんなことして、一体なんのつもり?」
「まあ、心当たりがないの? あなたらしいわ」
セレンの冷ややかな目に、一瞬気圧されるが、すぐ気を取り直して、
「あんた、騙したのね? なにが体が不自由、よ。動けるじゃない。騙して、私からランディを奪ったのね」
ジャネットのギラギラした目に睨まれ、セレンは溜め息をついた。
「ジャネット……あなた、本当に、魔道士ではなくなってしまったのね。この程度の魔力操作、魔道士なら簡単なことよ。ただ、ランディが」
「はあ? 私は魔道士よ。あんたなんかより、よっぽど上等な、ね」
ジャネットは胸を張って答えるが、セレンに憐れむような目を向けられ、「なによ!」と声をあげる。
「二十年前のこと、まだ根に持ってるの? むしろこっちが被害者だわ! 実験の失敗のせいで方々から疑われて! あんたがそんな怪我するから、私が悪いみたいに言われるんじゃない! 謝りなさいよ!」
「…………」
「そもそも、あんな欠陥のある研究を押し付けたあんたが悪いんじゃない! あの程度の魔力干渉で爆発を起こすなんて! 馬鹿じゃないの!?」
セレンは溜め息をつくと、湖面に顔を向けた。
「なんとか言いなさいよ!」
激昂するジャネットに、セレンは静かな目を向けて、
「ジャネット、死亡予定って、分かる?」
「はあ?」
「死亡予定……神様が決めた、近いうちに死ぬ人。二十年前、ランディは死ぬはずだった。恐らく自殺……。あの時、彼が償いたいと申し出てきたとき、なぜか見えたの。だから、彼の人生をもらった。私が不自由なままでいるのも、彼を守る為よ。彼は、私に償い続けないといけないの。……そうでなければ、きっと死を選ぶから」
「はあ? 馬鹿じゃないの? そんな都合の良い話、あるわけないでしょう? あんた、事故の衝撃で、頭までイカれたんじゃない?」
ジャネットの言葉に、セレンは諦めたように首を振る。
そして、ポツリと言った。
「ルイス・アットウェルを調査員に指名したのは、私なの」
「は?」
「彼は本物の天才よ。私なんか足元にも及ばないくらい。それに、とても優秀な調査員だわ。彼は二十年前の事故についても、最近起こった窃盗未遂についても、全部分かってる。だから、あなたは処罰されるでしょうね。でも、それじゃ足りない。……ランディを守れない」
「処罰される? この私が? あり得ない。私はなにもしてないもの。研究内容を差し出してきたのは、あんたたちじゃない」
尊大な態度を崩さないジャネットに、セレンは顔を伏せる。
「私は差し出してないわよ。私は、ね。それに、今はもう、あなたの美貌も通用しないのでしょう?」
「っ! あんたのつまらない研究を使ってやったのよ! むしろ感謝してほしいわ! それに! 化け物みたいなあんたと違って、私にかしずく男は星の数ほどいるの!!」
「……ふふっ」
「なに笑ってるのよ!!」
顔を上げたセレンの表情に、ジャネットはギョッとして後ずさろうとするが、狭いボート上では思うように動けなかった。
「ふふっ……それが本当なら、二十年前も前に取られた男に執着しないわよ。他にいないんでしょう? 可哀想なジャネット」
「……なんですって?」
「可哀想に……皆あなたから離れてしまったのね。彼らは、今では私に擦り寄ってくるわ。皆、私を褒め称えるわよ。あなたでなくて」
「なっ……!」
セレンは頬に手を当て、小さく首を傾げると、優雅に微笑んだ。
「羨ましいでしょう、ジャネット?」
「あ、突き落とした」
湖のほとりで、ボートの行方を観察していたルイスが、気の抜けた声を出す。
隣で、双眼鏡を覗いていたヴィクトルが、嫌そうに顔を顰めた。
「本当にやりやがった、あの女」
「殺人、最低でも殺人未遂はやってくれないと、処罰が軽いと思ったんでしょう。自分が亡くなった後で、ジャネットに夫の周りをうろつかれないように。いやあ、女性は怖いですね? セレン女史なら、いくらでも抵抗できたでしょうに」
「……やっぱ、見えてんな。死亡予定」
「僕には見えません! どうやって見えるようになったんだろう。きっかけがあったのかな? 詳しく聞きたいなあ」
「助けに行けば?」
ヴィクトルが言うと、ルイスは意味が分からないといった表情で、
「それは僕の役目じゃないでしょう? あ、ほら来た」
少し離れた場所に、死に物狂いで走ってくるランディが現れた。着衣のまま、躊躇わず湖に飛び込む。
その泳ぎを見て、ルイスが感心したような声を上げた。
「荒削りだけど、魔力で身体強化していますね。さらに、水で濡れないよう、体に障壁を纏わせてますよ。複数の魔法を同時に行使するなんて、やりますね」
「凄いのか?」
ヴィクトルが聞くと、ルイスはにっこり笑って、
「僕やセレン女史から見れば、大したことありません。でも、二十年のブランクがある元魔道士にとっては、奇跡に近いんじゃないですか?」
「へえ。火事場の馬鹿力ってやつか」
「土壇場で才能が開花したんですかねえ。良い師匠につけば、それなりの魔道士になれますよ」
ジャネットがボートを操ろうと四苦八苦しているのを無視して、ランディは湖に潜る。ジャネットがオールを振り回して喚いているが、距離があってなにを言っているかまでは分からなかった。
離れた場所に、ランディが顔を出す。ついで、セレンの顔が現れた。むせこむセレンの体を抱え込み、ランディは岸へと泳いでくる。ルイスは手を振って合図を送ると、
「ちょっとだけ、お手伝いしましょうかね」
そう言って、手首をくいっと曲げた。途端に、ランディの体が速度を増して岸に近づいてくる。
「おい、ぶつかるぞ」
「さすがに、そこまで馬鹿じゃないです」
ヴィクトルの警告にルイスは苦笑して、今度は手のひらを伏せた。
緩やかに岸に近づいてきたランディが、セレンの体を抱えて立ち上がる。そのまま岸まで引き上げると、どさりと倒れ込んだ。
ヴィクトルが慌てて近づきセレンを抱き上げる。ルイスが「乾かしますよ」とやってきた。
「妻を……セレンを先に」
倒れ伏すランディを無視して、ルイスはまじまじとヴィクトルの手元を覗き込む。
「……なんだよ」
「本当に濡れないんですね! 凄い、どうなってるんでしょう?」
「後にしろ」