死神と魔法使い2
「二十年もこの女の好き勝手にさせてやったのよ!? いい加減、分を弁えてほしいわ!! あなたは私の男よ!! 目を覚ましなさい!! いつまであの化け物に縛られてるつもり!?」
「ジャネット!!」
蒼白になるランディに、ジャネットはフンッと鼻を鳴らして、
「あの醜い女と離れられるのよ? 泣いて感謝してもいいんじゃなくて?」
ランディが震えながら拳を握り締める中、セレンの静かな声が響く。
「別れないわよ。彼の人生は、私がもらったの」
その瞬間、ジャネットが弾かれたように動いた。ランディが止める間もなく、階段を駆け上がり、セレンにつかみかかろうとする。だが、その手が届くことはなく、ジャネットは階段下でたたらを踏んだ。
ランディも、ジャネット本人も、なにが起こったのか分からず、沈黙が降りる。そこに、パチパチと拍手する音が響いた。
「やあ、すごいな。陣も式も使わずに、転移魔法を使うなんて。さすがの腕前ですね、カーティス夫人」
薄い緑色の目を輝かせた青年に、セレンは軽く頷いて、
「ごめんなさいね、アットウェルさん。お騒がせしてしまって」
「どうぞルイスと呼んでください。またお会いできて光栄です」
セレンの視線が、扉の陰にいるヴィクトルに向けられる。一瞬、驚いたように目を見張るが、すぐに表情を消して、
「そちらは、アットウェルさんのお連れかしら?」
ルイスは振り向き、無言を貫くヴィクトルの腕を取った。
「ヴィクトルです。彼は僕の」
「なあに、黒づくめで気持ち悪い。死神みたいね」
「ジャネット!!」
ジャネットの無遠慮な発言に、ランディがたしなめるように名前を呼ぶ。ルイスは目を瞬かせて、
「ええ……当てずっぽうとはいえ、その発言はまずいですよ。彼、本当に死神なんで」
「は?」
ランディとジャネットの声が重なった。ルイスはやれやれと頭を振る。
「お二人とも元魔道士ですから、今の発言のまずさは分かります……よね? 多分。死神を死神と認識してしまうと、死の縁が結ばれてしまいますから」
「ああ、確かに結ばれたな」
ヴィクトルが肩を竦めて言った。
「だから、黙ってたんだがな。あんた、魔道士向いてないわ」
「まあ、いいんじゃないですか? この程度で死ぬなら、それはそれで」
ルイスが朗らかに言うと、ジャネットは金切り声をあげて、
「ふざけないで!! 今すぐなんとかしなさい!!」
「ああ、いいぜ。ほら、手を出せよ」
ヴィクトルが手を差し出すと、ジャネットは弾かれたように退く。
「触らないで!! 死神なんて、冗談じゃないわ!!」
ジャネットはそう叫ぶと、ルイスを押し退けて玄関を飛び出していった。
「ごめんなさいね、騒々しくて」
セレンがゆっくりと階段を降りてくる。ランディが、ハッとして妻に駆け寄った。
「セレン、その、彼は本当に」
言いにくそうに口ごもるランディに、セレンは仕方ないという視線を向けて、
「ランディ、後で説明するけど、死神は邪悪な存在ではないの。死の縁は、そう……少し不運なことが起こる程度よ。テーブルの角にぶつかるとか。だから、そんなに気に病む必要はないわ。アットウェルさん、ヴィクトルさん、失礼な態度を謝罪します。申し訳ありませんでした」
「どうぞお気になさらず。あなたがたに非はないので。むしろ、ご夫君に不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
ルイスが大仰な仕草でお辞儀をする。ヴィクトルは、セレンの隣で居心地悪そうにしているランディに目を向けて、
「あんたに抵抗がなければ、解くが?」
「えっ? あ、えっと、解ける……んですか?」
「これでも、本物の死神なんで」
ランディの言葉に、ヴィクトルが皮肉げな笑みを浮かべた。
もじもじするランディの背を、セレンがそっと押す。ランディが意を決したように手を出すと、ヴィクトルは苦笑しながら手をかざした。
「別に触らん。……よし、これで大丈夫」
ランディは自分の手をまじまじと見つめたあと、セレンを振り返る。
「あ、その、妻も」
「…………」
ヴィクトルは、無言でセレンを見つめた。セレンはふうっと息を吐いて、
「私は大丈夫よ、ランディ」
「死神を見分けられるほどの魔道士なら、自分で解けますよ。僕はむしろ、縁を切らないようにしたいですけどね」
ルイスが胸を張って言うと、ヴィクトルが呆れたように手で頭を押さえ、ランディが信じられないものを見るような目を向けてくる。本人は全く気にする様子もなく、セレンにお辞儀をすると、
「今日は落ち着かないでしょうし、これで失礼します。また明日、お訪ねしてもよろしいですか?」
「ええ、もちろん。良かったら、一緒にお昼をどうかしら?」
セレンが誘うと、ルイスは「喜んで」と笑顔を浮かべた。
「いやあ、思いがけず良いものが見れましたね! 短距離とはいえ、安定性に欠ける転移魔法を、なんの触媒もなしに使うなんて」
上機嫌なルイスに構わず、ヴィクトルは考え込む様子で黙っている。
「ヴィクトル、なにか気になることが?」
ルイスの言葉に、ヴィクトルは顔を上げた。
「ん……ああ、いや、なんでも」
「隠し事ですか? 隠し事をされると、僕はとことん追求しますよ? しつこいですよ、僕は?」
「うるせえな、お前は」
ヴィクトルは苦笑して、
「あの奥さん、死ぬな」
「えっ!? そうなんですか!? いつ!? なんで!?」
驚いて声をあげるルイスに、ヴィクトルは落ち着けと身振りで示す。
「四十八時間以内……としか言えん。原因は知らんが、事故か事件か自殺だろうな」
「病気や寿命ではなく?」
ヴィクトルは腕を組んで考えたあと、「まあいいか」と呟いた。
「死亡予定ってのがあってな。死神は、四十八時間以内に死亡する人間が分かるんだが、事故や自殺といった、「予定を変えられる」相手には話しかけられねえんだ。それで、試してみたが駄目だったから、そうなんだろう」
「へー……それって、死神が予定を教えられないように、ですか?」
「まあ、そうだな。死神が死亡予定を変えることはできねえが、他の奴の干渉で変えられるんだ。まあ、それなりに、命を賭けてもらわねえと駄目だが」
「死神には、賭ける命がないですもんねえ」
ルイスはふむふむと考え、ポンと手を叩く。
「あ、さっきの小細工はそれですか?」
「小細工言うな。つーか、気づいてたのかよ。油断も隙もねえ」
「ランディの縁を解くとき、妙なことしてるなーと思ったんです。あれ、なんですか? 教えてください」
ルイスが目を輝かせて聞くと、ヴィクトルは溜め息をついて、
「大したことじゃねえ……。簡単な予知っつーか、嫌な予感がする、その程度のもんだ」
「虫の知らせってやつですね!? あれ、死神が使う術だったんですか! 初めて知りました! 僕にも教えてください!」
「やだよ、めんどくせえ」
「酷い!」
夜明け前。
セレンはベッドの中で身を起こすと、隣に眠るランディを見た。
静かに寝息を立てているランディ。念の為かけた安眠の魔法がよく効いたのだろう。