死神と魔法使い1
ヴィクトルは棚からシナモンパウダーの瓶を取り出すと、ルイスに投げて寄越す。椅子の背にかけておいた上着を手に取ると、帽子を被り、扉へと向かった。
「あなたはどこへ?」
ルイスの問いかけに、帽子の縁から視線だけ投げて、
「仕事だ」
言い捨てて、そのまま出ていく。
室内に残された一人と一匹はお互いに目を向けて、同時に息を吐いた。
三毛猫は、前足で器用に顔を洗いながら、
「シャロンになにを言われたんだい?」
「予想通りのことですよ、レディ。調査員の変更を申し立てる、死神を連れている僕と話す気はないと」
「そうかい……あの子は真面目で根気強いが、視野が狭くてね。頑固な子だよ。神様の理が真実なのに」
三毛猫の言葉に、ルイスは懐疑的な視線を向ける。
「そこまで到達してないだけでは?」
「入り口に立ってはいるけど、なかなか踏み込めないのさ。死神は彷徨える罪人で、生者の命を刈り取ると思い込んでいる」
猫は大きなあくびをして、ぐいっと体を伸ばした。
「あんたみたいに、一足飛びで答えに辿り着ける子ばかりじゃない」
「確かに、理を解いたのは後からですけど、考えてみれば分かるでしょう。死神に殺された人がいないんですから」
「当たり前のことが理解できない。「常識」の怖いところさ」
「はあ……死神を見分けられるから、もしかしたらと思ったんですけどね」
ルイスが手を伸ばして三毛猫の頭を撫でようとすると、前足でピシャリと叩かれる。
「百年早いよ、坊や」
「えー、その頃には死んでるじゃないですか。死神って、結局、贖罪の為になるもの、でいいんですか?」
「簡単に言えばそうだね。罪を犯してしまった善なる魂が、天国に行くための救済処置。神様のお慈悲さ。彼らは贖罪の為に、地上に留まってしまった魂を解放し、神の御許に送るんだよ」
「それが、なにをどうして、恐怖の存在になってしまったんですかね?」
首を傾げるルイスに、猫は肉球で優しく彼の手を撫でた。
「分からないからだよ、坊や。一般人に死神は見分けられない。分からない存在が、近くにいることが怖いんだ。死神を理解することは、神の理を紐解くこと。罪を犯してまで死神に近づこうなんてものは、そういないさ」
「魔道士以外は、ですね」
「魔道士ですら、だよ」
三毛猫は首を振り、もう一度体を伸ばす。
「さ、片付けたら今夜はもうおやすみ。あの子に、朝食はパンケーキにするよう伝えておくれ。ホイップクリームに削ったチョコレート、大きめの苺ふた粒」
「今時期の苺って、酸っぱくないですか?」
「魔法で保存してあるから大丈夫さ。あの子のスーツと同じ原理だよ」
「えっ!? レディ、あのスーツのこと分かるんですか!? 僕にも教えてください!!」
「百年早いよ、坊や」
まばらな街灯を避けるように、ヴィクトルは村の外れへと歩を進める。黒服に身を包んだその姿は、生身の者が見たら不吉だと感じるだろう。だが、月明かりの元に佇むその男は、振り向いて安堵したように息を吐いた。
「エリック・アンダーソンだな?」
ヴィクトルの問いかけに、男は頷く。そして、再び村外れの家に顔を向けた。
そこは、シャロン・ワイラーが暮らす家。
「ここじゃ気づかれる。こっちへ」
ヴィクトルが促すと、エリックは大人しくついてきた。
「あなたは、あの魔道士の方の友人なのでしょう?」
エリックの言葉に、ヴィクトルは口を開きかけて思い直し、
「……ヴィクトルだ。あいつはルイス」
「ヴィクトルさん。ルイスさんに伝えてください。シャロンは私を殺してなどいない」
「…………」
ヴィクトルは頭をかきながら、視線を落とす。
「それが、あんたの心残りか」
「そうです。彼女が無実の罪で裁かれるなど、あってはならない。罪を犯したのは私です」
真っ直ぐな視線を向けてくるエリックに、ヴィクトルは「あー」とうめきながら夜空を振り仰ぎ、
「……今から、あんたには受け入れ難いことを話す。落ち着いて……は、まあ、無理だろうから、できるだけ声は抑えてくれ。夜中なんでね」
「え? なにを」
戸惑うエリックに、ヴィクトルは同情するような顔で、
「自殺は罪にならない」
「は?」
「自殺は罪にならない。あと……思いを秘めていただけでは、姦淫の罪にならない。神様はそこまで狭量じゃないんでね」
「……えっ」
「悪いな。死神が迎えに来た時点で、あんたは無罪確定で天国行きだ」
ヴィクトルの前で、エリックが崩れ落ちるように膝をついた。
「そんな……それでは……なんの為に彼女は……」
「あんたの名誉を守った。世間的に、自殺は大罪だと信じられているから。だから、まあ、後は……」
ヴィクトルは言い淀み、息を吐く。列車で聞いたルイスの言葉を思い出しながら。
『魔道士であること以外の罪を犯すような輩に、同情は無用ですよ、ヴィクトル』
明かりを落とした寝室で、シャロンは目を開けた。
耳を澄ますと、遠慮がちに玄関を叩く音が聞こえてくる。まだ夜明け前。時計を見るまでもなく、人を訪ねるのに非常識な時間だ。
だが、ノックの音が止む気配はない。シャロンは溜め息をついて、ベッドから滑り出た。
ガウンを羽織って玄関を細く開けると、ルイスがにこやかな笑顔で立っている。
「おはようございます、いい朝ですね」
「……非常識ではないかしら、ミスター・アットウェル」
「やあ、覚えていてくれたんですか。レディがあなたを褒めるだけありますね」
シャロンはきつく腕を組むと、ルイスを睨みつけた。
「調査員の変更を申し立てたはずだけど?」
「まだ正式に通達が来てないので、この件の調査員は僕です。残念ですね」
「ええ、本当に」
シャロンの皮肉な口調に動じることなく、ルイスは続ける。
「全くですよ。僕としては、あなた方の事情なんて知ったことではないのです。正直、全く、心の底から、本当に、どうでもいいです。早く帰って、朝食にパンケーキを食べる方が、遥かに重要です」
「では、そうなさったら、ミスター?」
「そうしたいのは山々なんですけど、僕が焼いたパンケーキでは、レディのご機嫌を損ねてしまうんです。なので、とっとと解決してしまおうと、そう思いまして」
不機嫌そうに睨みつけるシャロンに、ルイスは軽い調子で、
「エリックさん、事故死ってことにしませんか?」
「妻は……レイチェルは、私の幼馴染です。子供の頃から一緒で、大人になったら結婚するのだろうと思っていました。そのことに不満はありません。家族同士も仲が良くて、彼女となら添い遂げられると、そう思っていました」
エリックが、ポツポツと言葉を紡いだ。
「シャロンとは高等部で知り合いました。レイチェルが同じクラスになって、課題に苦戦していたところをシャロンが助けてくれたんだそうです。シャロンは見た目の印象で避けられることが多くて、レイチェルはよく見る目がないと怒ってました。こんなに優しい人はいないと……そう言って……」
顔を覆ってうめき声を上げるエリックに、、ヴィクトルは溜め息をついた。