死神と魔法使い1
ルイスは、ベッドにスーツケースを放り投げると、ヴィクトルに向き直る。
「いいんです。ここも魔道士専用の宿ですので。ここは僕、奥があなたの部屋です。受付は一階なので、荷物を置いたら来てください」
「ないが?」
肩を竦めるヴィクトルに、ルイスはポンと手を打って、
「ああ、そうでした。死神って身一つで動くんでしたね。疑問なんですけど、着替えとかどうしてるんです?」
「汚れないんでね。どういう仕組みかは知らんが。だから、これしかない」
ヴィクトルの答えに、ルイスは目を丸くする。
「えっ、そうなんですか? 水かけてみていいですか?」
「はっ倒すぞ」
一階に降りる間、しつこく「どうなるのか試してみたい」とまとわりつくルイスを、ヴィクトルは鬱陶しげにあしらいつつ、宿のフロントと思しき場所へ目をやった。
簡素なカウンターの上に大きな三毛猫が丸まっているだけで、人の姿は見えない。
「使い魔か?」
ヴィクトルの声に、猫が顔を上げた。金色の目が二人を捉える。
「いえ、ご本人ですよ」
「夕飯はどうするんだい?」
ルイスの返事と猫の質問が被った。驚くヴィクトルに構わず、ルイスは、この辺りで食事できる場所はあるかと聞く。
三毛猫はあくびをしながら、
「あたしの知る限りないね。食事が必要なら、キッチンを使って構わないよ」
「それはご親切に、レディ」
「他に客はいないけど、良い子にしてるんだよ、坊や」
「もちろんですとも」
ルイスが恭しくお辞儀をすると、三毛猫はフンッと鼻を鳴らして、再び丸くなる。
信じられないものを見るような目を向けるヴィクトルに、ルイスは振り向いて、
「ヴィクトル、料理できますか?」
ヴィクトルは三毛猫から目を離すと、二、三度瞬いて、
「あ? ああ、まあ、趣味でな」
「それは素晴らしい! 僕、焼くしかできません」
「焼く……?」
戸惑うヴィクトルを置いて、ルイスは三毛猫の方を向き、
「材料は村で揃えた方がいいですか?」
「悪いこと言わないから、キッチンの食材を使いな。あたしには、鶏のクリーム煮とサーモンのパテを頼むよ」
「いいですね。付け合わせに人参のグラッセと、茹でたインゲン、マッシュポテト。スープも欲しいです」
「スープにはササミを入れとくれ。細かくほぐすのを忘れるんじゃないよ。食後には紅茶だ。棚の二段目にある、緑色の缶だよ。濃いめでね。温めたミルクが先、砂糖は三つ」
「デザートも欲しいです! 果物を剥くだけでも!」
「いや、お前ら……ああ、もう、分かったよ」
キラキラした二対の目を前に、ヴィクトルはガシガシと頭をかいた。
村の舗装されていない道を歩きながら、ルイスは今回の指令についてかいつまんで話す。
「亡くなったのは、エリック・アンダーソン。38歳。男性。妻のレイチェルは以前から病気がちで、今は入院しています。レイチェルが自宅にいた頃、看病をしていたのがシャロン・ワイラー。37歳。女性。夫妻とは学生時代からの友人で、魔道士です」
「魔道士」
ヴィクトルが反復すると、ルイスは頷いて、
「薬学と医学に精通していて、レイチェルの為に薬も調合していたとか。レイチェルの体調が回復に向かってくると、病院側から強く入院を勧められたそうですよ」
「えっ? あ……あー、そうか」
ヴィクトルが納得したように声をあげ、顔を顰めた。ルイスは腕を組んで、うんうんと頷く。
「回復すれば病院側の手柄、悪化すれば魔道士の落ち度。後は調剤のレシピ狙いですかね? 腕のいい薬師だそうで」
「全部渡したのか」
「親友の為ですからね。魔道士が調合した薬など、病院は受け取らないでしょうし」
ヴィクトルの顔に視線を向けて、ルイスはふっと笑い、
「世間での扱いなんて、魔道士を目指す前から知ってますよ。それでも、僕らは知りたいという欲求に抗えなかったんです。自業自得ですね」
「……そうか」
「神の理を紐解く大罪人ですからね。むしろ、問答無用で処刑されないだけありがたいのかも」
「……それで、その魔道士がなにしたって?」
「ああ、エリックを殺害した容疑がかかってるんですよ。彼が亡くなった日、寝室からシャロンが出てくるのを通いの掃除婦が見たとか。それで警察が呼ばれて、彼女が魔道士だと判明したと。この村では隠してたようですね。まあ、当然ですが」
緩やかな坂を登りきり、視界が開けたところで、ルイスが行く手を示した。
「あ、見えてきましたよ。あの家です」
村の外れ、他の家とは離れた場所に佇む、小さな一軒家。ほんの僅かな庭は手入れが行き届いており、幾つもの鉢が並べられている。
ルイスは柵越しに覗き込んで、感嘆の声を上げた。
「おお、自家製ハーブですか。質も良さそうだし、これを調合するんですかね。うん、見慣れない植物が幾つかある。教えてくれるかな、これ」
ルイスが玄関に回ったのを見て、ヴィクトルは離れようとするが、ルイスに腕を取られる。
「おい、なにしやがる」
「僕、人見知りなんで。一緒に来てください」
「はあ? 誰が? お前が? おい、引っ張るな!」
「怖いですよねー。知らない魔道士ってー」
「だから引っ張るなって!」
ルイスが扉を叩くと、中から女が出てきた。灰色の髪をきちんと結い上げ、切れ長の目がきつい印象を与える。細い肩にショールを巻いて、体を抱くように腕を組んでいる。
胡散臭いものを見るように、ルイスを上から下まで眺めると、
「……あなたが調査員? そちらは」
ヴィクトルに視線を向けた途端、顔をこわばらせた。ルイスは構わずお辞儀をして、
「シャロン・ワイラーさんですか? 初めまして、僕はルイス・アットウェル。彼は」
「死神と話すことなんてないわ」
シャロンが扉を閉めようとした瞬間、ルイスが足を差し込んで扉を止める。
「彼はヴィクトル、僕の友人です。死神を見分けられるとは、本当に魔道士なんですね」
シャロンは顔を上げてルイスを睨むと、
「調査員の変更を申し立てるわ。その権利はあるはずよ」
「ありますよ、当然。その前に」
「あなたと話す気はないわ。死神を連れてくるなんて……なにを考えているの?」
「庭に植えてあるハーブ、名前を教えてくれませんか?」
無邪気なルイスの質問に、シャロンは呆気に取られた後、すぐに気を取り直して扉を閉めた。
ルイスは、肩を竦めてヴィクトルを振り返る。
「残念、教えてもらえませんでした」
「……当たり前だ」
「ふーん。あんた、なかなかやるじゃないか」
夕飯を平らげた三毛猫は、満足気に口の周りを舐めながら、ヴィクトルに金色の目を向けた。今のヴィクトルは、帽子とスーツの上着を脱いでシャツ姿になっている。捲っていた袖を下ろしながら、鍋でミルクを温めていた。
「坊やに愛想を尽かしたら、あたしんとこにおいで。歓迎してやるよ」
「それはどうも」
「駄目ですよ!」
ルイスの抗議を無視して、ヴィクトルは猫の皿にミルクと紅茶を注ぎ、砂糖を三つ溶かす。猫が慎重に舌を出すのを見届けてから、ルイスの前に焼き林檎とアイスクリームの皿を置いた。
「お前はこれ食ってろ」
「やったー! シナモンください」
「細けえな、お前は」