欲による三すくみ
という女としての、ライバル心が親子で芽生えたことも、長門の計算通りだったといえるだろう。
そうやって、身体も心もしばりつけることで、二人とも、
「これが、自分の本性であり、運命だ」
と思うようになった。
母子で、相手に対して、言葉では言い表せない状況を作り出したことで、想像もつかないことが起こるのではないかということを、長門は、想像できていたのだろうか?
あくまでも、皆、
「自分さえよければ」
と思っていたのだ。
ある意味、それぞれに、
「三すくみの関係だった」
といえるだろう。
その後、事件が起こった。
「娘が母親を殺して、自分も自殺をした」
ということが、ニュースとなった。
これにより、長門はハッキリと、
「自分が、今回のことで、
「三すくみの関係だった」
ということに、この時に気が付いたのだ。
いや、
「分かってはいることであったが、まさか、本当に三すくみだったとは」
と考えていたのだろう。
三すくみの関係ということで、自分が、
「どうしてうまくいっていたのか」
あるいは、
「うまくいっていたと思っていたことが、こんなにも簡単に砕け散ってしまうというようなことになるのか?」
ということを分かったのかということであった。
「母親と娘の関係」
そして、
「自分と、娘、あるいは母親との関係」
後者は、自分の中で、
「平等な関係」
というように思っていたが、そうではなかった。
三すくみというのは、三人がそれぞれに、
「輪を描くように、一方向に向かって進んでいる」
というような関係で、それぞれが相対的な関係になることで、お互いに、抑止力のようなものが働くことで、結局、それが悲惨な関係に導かれるということであった。
それを考えると、
「その相対的な関係性の中に。それぞれに欲が絡んでいて、その優越性が、うまく、三すくみを描いていた」
ということで、その中で、立場的に優位だったというだけで、まるで、
「長門の一人勝ち」
の様相を呈してきたのだが、どこでどう間違えたのか、その、
「天秤という均衡」
が崩れてしまったのだろう。
そうなることで、出てきた結果が、
「娘が母親を殺す」
ということで、その結果、今まで一人勝ちだった長門の方に、その比重が重くなってくる。
それまで、
「俺が操っている」
と思っていて、このような事態を想像もできていなかったことで、長門は、次第に、
「自分から崩れていく」
ということになるのであった。
そこで、長門は、やっと自分の立場であったり、その先の事実に、目を向けるようになってきた。
「これって三すくみなんだ」
と考えると、いろいろ見えてくる。
というのも、
「三すくみで、どうすれば生き残れることができたのか?」
と、いまさらながら考えてもしょうがないことを想像する。
「三すくみというのは、先に動いた方が、必ず負けで、自分に対して優位性を持っている者が、生き残る」
という法則であった。
結局、警察に捕まりはしたが、一番得をしたのは、娘であった。
確かに母親を殺しはしたが、まだ未成年。しかも、
「自分を脅迫している男と、母親との関係から犯したやむを得ない犯罪」
ということで。情状酌量があった。
だが、もう長門は終わりである。
そうなると、
「どちらが、中の下なのか?」
ということは、おのずと分かるというものだ。
「五十歩百歩」
まさに、その言葉通りの、三すくみの関係だったといえるであろう。
そして、必要悪が、最後に残った娘だったということも、分かるということではないだろうか?
( 完 )
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