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イン・シトゥ

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第四章 夢であいましょう



「それじゃあ、こうしましょう」と亜衣が人差し指を立てながら言った。「夢のなかには私と秋くんの二人で向かう。だから紘一には私たちを起こす役をお願いしたいの。起こすまでの時間は、取りあえず一時間にしておきましょう」
「分かった。俺は睡眠も十分取れているし、こっちで二人を待っている」と紘一が言った。
「居眠りは絶対に駄目だからね」と亜衣が念を押した。
「分かってるよ。今までだって、ちゃんと亜衣を起こしていただろう?」
「そうだけど。起こすまでの時間が約束よりも一時間もずれることがあったよ」
「悪りぃって。ちょっと忘れてて……」
「それが困るの!」
「だから、分かったって。ちゃんとスマホにアラーム設定しておくから」
「お願いだよ。本当に!」
 僕は二人のやりとりを眺めながら笑みを浮かべた。それから、気になることについて二人に確認することにした。「ちなみに、夢と現実世界で流れる時間の長さは同じなのか? つまり、夢のなかで行動する時間と、起こすまでの時間が一緒かどうか、という質問なんだけど」
「その可能性は高いと思っているの。私は紘一と違って時間にルーズじゃないから、紘一を決まった時間で起こすようにしていたの。例えば、一時間、三時間、五時間後に起こす約束をしてから紘一に寝てもらった。紘一には夢が始まった後の時間を夢のなかで計測してもらうことにしたんだけど、時間通りに起こすと、誤差は大体五分から十分程度だったわ。紘一は寝息が分かりやすいから、そこから時間をカウントしているけど、結構正確だと思うの」
「なるほど。つまり、寝ている時間は、夢のなかでその時間分を行動しないといけないわけだね」それから次の質問を思案し、問いかける。「そうだ。夢に落ちた時に夢とは気づけるのか? それから、夢はどんな場所から始まる?」
「まず一個目の質問だけどな、夢と認識できるのは夢が始まった数分程度だ。俺と亜衣で何度か検証したが、数分で少しずつ夢と現実の境が理解できなくなってくる」
「それでどうするんだ? そのまま現実と思い込めば、一日を当たり前に過ごして寝てしまうかもしれない。そして、仮説によれば、夢のなかの夢に落ちてしまうんだろ?」
「対策を考えたの。夢が始まったその数分の間に、身体に夢のなかであることを刻むの。刻むといっても、マジックでもボールペンでも何でもいい。そこが夢のなかであることが分かるように身体に文字を書いておく。私と紘一は夢に入ったら手の甲に「第2層」と書くようにしているわ。現実世界を「第1層」と考えてね」
「それから二個目の質問だったな。夢の始まる場所だよな。これは、寝たその場所から始まるわけじゃない。つまり、例えば作業デスクの机で眠りについても、同じ場所で起きるとは限らないということだ。ただ、現実にいた場所から大きくずれることはない。今のところ、現実の場所を中心とした近辺から始まる」
「夢が始まった時、どのように始まるんだ? 目を覚ますわけではなく、突然始まるのか?」
「そうだ。例えば、飯を食っているところから始まったり、本を読んでいるところから始まったり、色々だ。唐突に始まるんだ。明らかに奇妙なことだが、何故か些細な違和感としか感じられない。それくらいに巧妙に切り替わるんだ。ただその違和感が唯一夢と気づける機会なんだ。それを逃すと、次第に慣れてきてあたかも現実のように認識してしまう。だから、夢が始まった瞬間が一番重要なんだ」
「分かった。夢が始まったら、自分の身体に「第2層」と刻む。夢のなかだと忘れないように」と僕は自分に言い聞かせるように言った。そう言ってから、もしあの街の夢が始まってしまったらどうしようかと得体のしれない不安にかられた。僕はあの街で眠ることで現実世界に戻ってきた。亜衣と紘一の語る話とは大きく異なっているのだ。
 ただ、次はそのようなことは起こらないかもしれない。そう信じるしかない。何よりも、このまま絶えずに起き続けることは現実的じゃない。どこかで確認する必要が出てくる。だとすれば、亜衣と紘一がいるこの状況で試しておくのが最善だ。ここで二人に街のことについて話すこともできたが、どうしても僕には話せなかった。それが何故なのかは自分でもよく分からなかった。
「じゃあ、いい? 秋くん」と亜衣は言った。「私達はそれぞれ眠りに落ちて、夢のなかに向かうわ。夢に落ちたら、夢の世界が共有されるか、同じ場所をまず目指しましょう。場所は……」そう言って、亜衣は顎に指をあてた。「私達の研究室の小動物飼育スペースにしましょう。そこで落ち合うの」
「ああ、分かった」
「それから、二人で夢のなかで寝ている人を探すわ。今、二階の研究室に寝たままの人がいるの。いくら起こそうにも起きないわけね。もしかしたら、その人達は夢のなかの夢に閉じ込められているのかもしれない。だから、その人を探して、夢のなかから目覚めさせられないか確かめる」
「この研究棟で眠りに落ちているのはその二人だけなのか?」
「この三階の研究室には誰もいなかったわ。地震当日は土曜の朝だったし。四階は機器室とセミナー室、会議室だからここにも誰もいなかった。ただ、二階は二つの研究室でそれぞれ一人ずつ起きない人がいた。女の子と男の子。強く揺すっても、叩いても全く起きなかった。死んでいるわけじゃないわ。身体は温かいし、呼吸音もする」
「彼らはまだ研究室で寝かしたままなのか?」
「いや、そのまま寝かしておくのも心配だったから、この隣の会議室のソファに寝かしている。ちょっと見に行くか?」と紘一が言った。

 僕達は隣の会議室に向かった。扉を開けると、会議室のデスクと椅子は全て壁際に避けられており、窓際に二つのソファが並べて置かれ、その上に大学生の男女が眠っていた。二人の間はパーティションで区切られていた。身体には薄手の毛布が掛けられていた。
 二人の顔を覗いたが、学科が違うため、見覚えもなかった。男は黒縁の眼鏡を掛けており、いかにも理系という風貌をしていた。女は黒髪のショートカットに細身の眼鏡をしていて、こちらもいかにも理系という風貌をしていた。
「二人ともあの地震から飲まず食わずなわけだが、まったく変わらず、眠ったままだ。まるで時間が止まってしまったように」と紘一が言った。「何とかして起こしてあげられるといいんだが」
「仲間が増えると、安心できるしね。私も女の子と話がしたいわ」と亜衣が言った。
「そうだな。それじゃあ、夢のなかに向かう準備をしよう」と僕は言った。
 窓からは夕日が見えた。ケヤキ並木が橙色に照らし出され、ヒグラシの鳴き声が聞こえる。窓から地上を覗き込んでみたが、“あれ”と呼ばれた存在の姿は見当たらなかった。

 僕達は研究室に戻り、それから僕は小動物飼育スペースのソファで、亜衣は研究室に常設されていた折りたたみ式簡易ベッドで眠ることにした。亜衣は不眠症と言っていたが、余程疲れていたのか、すぐにささやかな寝息が聞こえてきた。僕もなんだかひどく疲れた。街の夢もひどく疲れたが、この現実世界もひどく疲れたのだ。これから向かう夢のなかでもきっとひどく疲れるのだろう。僕は街で目を覚まさないことを祈りつつ、夢のなかへ誘われていった。

作品名:イン・シトゥ 作家名:篠谷未義