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イン・シトゥ

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「ちょっと待ってね。そろそろ時間よ」時計を見ると、十五時を回ろうとしていた。「目覚めている人間が三人になれば、更なる実験ができそうだと思うの」亜衣はそう言って、紘一の頬を勢いよくビンタした。紘一は飛び起きて、椅子から床に崩れ落ちてから目を覚ました。
「そんな起こし方ある?」僕は亜衣に笑いながら言った。
「まあ。これもありでしょ」亜衣は手をはたきながら、いたずらっぽく笑った。

 僕と亜衣と紘一は四階にあるセミナー室に移動し、今の状況を整理することにした。ロの字に縦長のデスクが組まれていて、四方に簡素なオフィスチェアが設置されている。この部屋は実験の進捗報告や論文紹介の発表など、ゼミを行う場で、話し合いをするには適した場所だった。
 まず、先ほど亜衣から受けた話について紘一に確認を取ることにした。
「亜衣の仮説については、紘一も異論はないのか?」と僕は訊いた。
「ああ。お前が目を覚ましたことで確かにわからなくなったが、少なくとも亜衣と俺は、そのような状況であることは間違いないぜ。さっきまで見ていた夢も、この世界と寸分違わない、現実と見分けのつかない場所だった。その場所で更に眠らないように、亜衣に起こされる瞬間をただ待っていた。そしたら、とんでもない起こされ方だったけどな」紘一はやや赤みを帯びた頬をさすりながら亜衣に目をやった。
「それで、どんな検証を行って、その仮説にたどり着いたんだ」
「それは私が説明するわね」と亜衣が言った。「私は不眠症であまり眠れないのよ。あの地震があったあともしばらく寝れなかった。紘一は全然気にもせず寝ていたの。いびきをかきながらね。ただ、妙だったのよ。地震の起きた夕方に寝たにもかかわらず、次の日の昼になっても彼は目覚めなかった。人間でそんなに長時間連続で寝るなんてあり得ないわよね? 一旦起きて二度寝ならまだしも。連続よ。そこで不安になって、彼を叩き起こしたの」
「そこで目を覚まして俺は驚いた。寝ていた時に見ていた夢は現実とまったく同じで、それが夢だとは認識できなかった。それで、次に亜衣に眠りについてもらうことにした。そしたら、彼女も十二時間以上連続で眠りに落ちた。彼女を起こすと、俺と同じ状況だったというわけだ」
「私の見た夢も現実世界と同じだったのよ。それから交互で眠りにつき、休息を取ることにした。二人共眠ってしまったら、この現実世界に戻ってこれなくなる気がしたから」
「説明してくれた内容は理解できる。ただ、やっぱり信じられないな。現実的じゃない」と僕は言った。
「だから、次に試したいことがあるのよ。三人いれば、次の検証ができる」
「どんな検証?」
「例えばね、一人が起こす役として現実世界に残り、二人が夢の世界に行くの。そして二人が異なる夢の世界にいるか、それとも一緒の夢の世界にいるかを確認するの。それからもう一つ。夢のなかの更なる夢に落ちた人を、夢のなかで起こすことができるか、それを確かめたいの。実はこの建物に眠ったままの人が何人かいるの。でも無理やり起こそうとしても起きない。きっとその人達は夢のなかの夢に閉じ込められている……のかもしれない」
「信じがたいな。夢の世界が他人と共有されるなんてことあるわけないし、夢のなかに閉じ込められるなんてことも……」
「だから、確かめたいんだ。それに、秋も“あれ”を見れば、信じるはずだぜ」と紘一は言った。
「あれ、ってなんだよ。亜衣も言っていたけれども」

 瞬間、得体のしれない咆哮のような音が窓外から聞こえた。紘一が窓のブラインドを引き上げ、指を差した。「お、出てきた。あれだよ、あれ」
 外を覗き込むと、そこには得体のしれない異形の存在が闊歩していた。人間のようなサイズで二足歩行をしているが、二本の足はまるで象の足のように太く、腹部は風船のように膨れ上がっていた。腕は上腕しか見当たらなかった。頭部は蝶のように左右に割れ、目、鼻、口の形は識別できなかった。服は着ておらず、肌の色は焦げたような茶褐色で、皮膚には奇妙な紋様が刻まれていた。そのような異形が青空の下をまるで何事もないかのように歩いているのだ。
「何だ、あれは……」と僕は独り語のように呟いた。
「あの地震の後、おかしな状況になっているのがよく分かるだろ。俺達の夢の話も少しは信じる気になったんじゃないか?」
「……ああ。少なくとも、その仮説を確かめるのは必要だと思う」
「ちなみにあれは今のところ無害だぜ。建物に入ってくるような気配はないし、攻撃的な行動も見たことはない。ただ散歩しているだけみたいだ。たまに昼寝もする。現状、あの一体しか見たことがない」
「けれども、少し怖くて」と亜衣は言った。「それで、今のところは外に出ずに研究棟に籠もっているの。それで今日が四日目ね」
 僕は深く溜息をついた。それからあることに気がついて、声を出した。「ニュース。ニュースはやっていないのか。テレビでも、ネットニュースでも何でもいい。何か情報は?」
「それがネットが全く繋がらないんだ。スマホやパソコンでも試したけどな、あの地震の後に、すぐにネットが繋がらなくなった。俺のau回線も駄目だし、亜衣のdocomo回線も駄目だった。テレビも映らないし、ラジオもやっていない。つまり、情報を得る手段がないんだ」
「この地震の規模とか、発生場所とかもわからないのか?」
「地震当日に緊急地震速報が鳴っただろ? スマホの画面を確認したが、地震の震度や発生場所の記載はなかった。ただ、“強い揺れに注意してください”、の一文だけだったんだ」そこで紘一は一度区切った。それから、ややあって再び話し始めた。「地震が発生して一日目から二日目の朝あたりまではパトカーやら救急車、消防車のサイレンの音は聞こえていたんだ。だけど、三日目からもう聞いていない。近くの外の状況すらもよく分からない」
「もしかしたら、ほとんどの人がこの状況に気づかずに夢のなかに落ちていったのかもしれない」と亜衣が言った。「情報から隔絶されるというのは、とても孤独なもので、世界を小さくするものね」
 何ということだ。今、目に見えている状況だけが現実ということか。訳の分からない記憶喪失の少佐の夢を見て、ようやく目を覚ましたかと思ったら、その現実世界もまるで夢のような世界じゃないか。果たして、どちらが夢で現実なのか。
 夢のような現実、現実のような夢、夢のなかの夢。いったい僕達の現実はどこにあるのだろうか。僕達はひどく混乱しながらも、今できることを黙ってやるしかないのか。

作品名:イン・シトゥ 作家名:篠谷未義