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イン・シトゥ

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「これから、あと数分待てば、寝ているはずだよ」と僕は言った。
「やっぱり、慣れているね。秋くん」と亜衣は言った。
 数分経過後、棚の扉をゆっくりと開く。ささやかな光が暗闇に招き入れられる。ケージに衝撃を与えないようにゆっくりと持ち上げ、マウスの様子を確認する。
「大丈夫、眠りに導入できている」と僕は言った。それからケージの蓋を開け、マウスの足を指で摘まむ。反射もない。問題なさそうだ。
 マウスを手術台に仰向けで固定する。腹部の皮膚をピンセットで持ち上げ、それから皮膚切開用の鋏で切る。そうすると、うすいピンク色を帯びた筋肉層が露出される。今度は筋肉層切開用の鋏で切り込みを入れる。そうすると、赤黒い肝臓とやや褐色の小腸が露出される。
 小腸をピンセットで避け、僕から見て、右側にある臓器を探し出す。そうすると、蛭のような形状の赤黒い臓器を見つけることができる。これが脾臓だ。それから僕達の研究室で開発している移植用基材を注射器に充填し、脾臓の表層を覆う薄い膜、つまり被膜のなかに打ち込む。脾臓の表面がぷっくりと膨らむ。それから注射器をゆっくりと引き抜く。脾臓をピンセットで元に位置に戻し、小腸も傷つけないように腹腔内に戻す。
「移植はできた」と僕は言った。「後は、筋肉層と皮膚層を縫合するだけだ。こないだ、亜衣は縫合糸での縫合練習はしていたよね。やってみる? 覚醒までにはまだ時間がかかるから少し手間取っても大丈夫」
「わかった。挑戦してみる」
 亜衣は縫合針に縫合糸を取り付け、ピンセットと鉗子を使いながら、閉腹作業を行った。まず右側の筋肉層に縫合針の先端を差し込み、それから左側に通す。それを引き抜くことで、糸が筋肉層を横断する。これを縛り上げることで、切開した層が閉じられる。これを繰り返し、筋肉層を閉じ、続いて、皮膚層も同じように閉じ、亜衣は問題なく閉腹作業を完了させた。
「亜衣も上手じゃないか」と紘一が言った。
「ふう。緊張した。意外と上手くできた気がする」
「上手だったよ」と僕は言った。「あとは結果次第だ。僕達の開発している移植用基材が組織に生着できるか、生体適合性があるかが確認できれば完璧だ」
 僕はマウスを手術台から外し、ケージのなかに戻した。それから麻酔による体温低下による死亡を防ぐため、白熱灯の下に置き、覚醒を待つことにした。

 “しかし、その瞬間である。それは突然起こる”

 研究室内にけたたましい音が鳴り響いた。東日本大震災を思い起こさせる、あの特徴的なメロディ。僕と亜衣と紘一のスマホが一斉に緊急地震速報のメロディを奏でたのだ。そして間を空けずに、すぐさまに、今まで感じたことのない大きな揺れが研究室を襲った。
 あまりにも大きな揺れだったため、声を上げることもできなかった。視界が大きく上下左右に揺さぶられ、皆立っていることが出来ず、床に倒れこむ。マウスのケージも床に叩きつけられた。瞬間、木屑のチップと固形餌が空中に舞い散り、まだ覚醒していないマウスも床へと投げ出された。実験台を掴みながら、揺れる視界の中で窓の外を見た。そして、その瞬間、またしても驚愕する。
「あれは何だ!?」紘一も外の様子が見えたようで、そう声をあげた。
「え? 何?」亜衣もそう言って、外に目をやった。
 驚かずにはいられなかった。何故なら、そこには数十機にも及ぶおびただしいほどの、航空機のようなものが空を埋め尽くしていたからである。あくまで「航空機のようなもの」と形容するのは、僕がこれまで見たことのある飛行機や軍用機とも形態が明らかに異なっていたためである。
 それはまさしく異様な形をしていた。左右非対称でいびつな形状で、まるで巨大な岩石のようだった。そして、また次の瞬間、視界が大きく崩されることになる。再び、スマホがけたたましい音を立てて、先ほどよりも大きな揺れが僕達を襲った。
 何か凄まじい衝撃が突然、僕の後頭部を襲い、瞬間的に視界がブラックアウトした。これは大地震なのか、何処かの国からの襲撃なのか。いったい何が起きているのかまったく理解できないまま、僕は気を失い、色も音もない世界へと落ちていった。

作品名:イン・シトゥ 作家名:篠谷未義