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イン・シトゥ

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第一章 現実には、夢と虚構が織り交ぜられる



 車窓から朝の光が入射し、僕の閉じられた目蓋に明るさを与える。柔らかな温かさに包まれながら、僕はしばしの眠りから目を覚ます。ふいに列車が駅への到着を告げるアナウンスを流す。僕は小さな伸びをしてから、ゆっくりと立ち上がり、座席に置いていたバックパックを背負った。列車がゆるやかにプラットフォームに進入し、やがて停車する。それから少しタイミングを置いてから気だるそうな音を立てながら扉が開かれた。
 僕は列車から足早に降り、右手の階段を上り、改札を抜けて、南口に出た。大学前の駅であることもあり、休日の朝にも関わらず、駅前広場には大学生らしき男女がちらほらと確認できた。南口の階段を下り、こじんまりとしたロータリーに出る。駅に併設する形でなか卯、マクドナルドがある。マクドナルドは営業していて、辺りにフライドポテトの匂いを漂わせていた。
 僕はその匂いを振り切り、突き当りの横断歩道を渡り、左に折れる。それから二ブロックほど進んだあとにセブンイレブンが見えたら右に曲がり、緩やかな坂道を十分ほどかけて登り、大学へと向かう。
 通りは大学近くということもあり、ラーメン屋や食堂などの飲食店が立ち並んでいる。どの店もボリュームが多いにも関わらず価格が安く、昼時や夕食時はいつも大学生たちで賑わっていた。僕は少し息を切らしながら、大学の門にたどり着く。
 門前は車止めがされており、歩行者しか入れないようになっている。守衛もいるのだが、いつも欠伸をして退屈そうにしており、どのような人物も簡単に通行させていた。いささかセキュリティが心配ではあるが、どの大学もきっとそんなものだろう。正門を抜けると、道がY字の下り坂になり、下りきるとその先には長いケヤキ並木が続く。
 僕の通う大学は学生数が多く、いわゆるマンモス大学の一つで二十学部以上を擁していた。僕はそのなかの理学部の生物化学科に在籍している。ケヤキ並木を進み、野球場を抜け、更に陸上競技場を抜け、そこから左に曲がると、理学部の研究棟が見えてくる。
 理学部は金が掛けられていないのか、他の学部と比べるとみすぼらしい見た目をしていた。壁はコンクリートむき出しで塗装もされておらず―塗装はされていたが剥げたのかもしれない―、汚れも目立ち、建物の周りに生えている草木も手入れされているとは言い難かった。建物内もどことなく薄暗く、気分が滅入りそうな雰囲気だった。
 文系の学部はガラス張りであったり、エスカレーターが設置されていたりと、明らかに優遇されていた。しかしながら、研究を行う上では、外観や内装が良かろうが悪かろうが関係なく、不満をあげる教職員や学生はあまりいなかった。研究設備が他の大学と比べても恵まれていたことも理由の一つだろう。
 僕は入口のリーダーにカードキーをかざし、研究棟に入る。土曜なので守衛室に人はいない。それからエレベーターで三階に上がる。研究棟は四階建てで、一階がロビーで、二から三階が研究室、四階が機器分析室や会議室、セミナー室となっていた。各階はロの字になっており、エレベーターから降りたあと、左右いずれかで周り、部屋へと向かうことになる。
 僕の研究室はエレベーターのちょうど反対側に位置するため、左に回ろうが、右に回ろうが、同じだった。今日は右回りで研究室に向かうことにした。いつも気分で右か左かを選んでいた。廊下の壁には学会発表で使用されたポスターや研究室紹介の展示がされている。通りがけにいくつかの研究室を覗いてみたが、誰も見当たらなかった。
 突き当りを左に曲がり、少し進むと僕が所属する研究室に到着する。電気が点いていなかったので、まだ誰も来ていないようだ。研究室の隣は僕達の教授の部屋となっているが、土日は大体不在なので今日もいなかった。僕は研究室紹介の掲示板の裏側に引っかけられている鍵を取り出し、研究室の扉を開けた。そして部屋に入り、電気を点けた。
 僕達の研究室は狭く、窓側に作業デスクが六台置かれており、中央に実験台が三台置かれている。研究室のメンバーは六名なので、実験台三台を六名で融通しながら使用している。壁側にはビーカーやフラスコなどの実験器具や、各種試薬が雑然と置かれており、劇薬・毒物も厳密に管理されているとは言い難い。
 僕は作業デスク側の窓のブラインドを引き上げ、陽光を部屋に招き入れた。夏の朝の光。一面透き通るような青空が広がっていた。蝉の鳴き声もこだまする。窓から陸上競技場とケヤキ並木も見え、欠伸が出そうなくらいに平和な光景だ。僕はバックパックを背中からおろし、自分のデスクに置いた。
 雑然としたデスク。実験ノート、実験結果のメモ、論文のコピーが山積みにされている。僕は椅子に座り、それから小さな伸びをしてから、大きな欠伸をした。その時、入口の扉を開ける音が聞こえた。目を向けると、同級のラボメンバー、小嶋亜衣(こじまあい)と古谷紘一(ふるやこういち)の姿が見えた。
「秋(しゅう)くん、おはよう」と亜衣が言った。そのあと、紘一も続けて「秋、おはよう。早いな」と言った。
「いや。こっちも今、着いたところだよ」と僕は答えた。
「そっか」と紘一は言った。「なんだか天気が良すぎて、眠くなっちまうな。まだ寝てたくなるね。だって土曜の朝だぜ」
「でも、しょうがないでしょ。余裕があると思っても、卒研発表はきっとあっという間よ。早めにデータを取らないと後で痛い目みるよ」亜衣はそう言って、紘一の額をこつんと叩いた。
「はいはい、そうだな。文系の皆は時間に余裕があるようで羨ましいぜ。俺も理系じゃなくて、文系にしとけば良かった。卒検しんどいよな」
「紘一の日本語センスじゃあ、文系の学部は卒業できないでしょ」と亜衣は突っ込んだ。僕は確かにと、笑ってしまった。
「今、笑ったよな。笑ったよな」と紘一は僕に迫って、小突いた。
 僕は軽くあしらってから、「まあまあ。早く、実験の準備をしようじゃないか」と言った。
「私はマウスを使った動物実験は初めてだから、慣れている秋くん、よろしくね」と亜衣は言った。
 僕達の研究室では再生医療のための移植用基材の研究開発をしていた。今日は新たに開発した基材の動物移植実験を行う予定で、僕と亜衣、紘一で一緒に行う計画を立てていたのだ。

 僕は研究室の隅の小部屋にある小動物飼育スペースから、マウスの入ったケージを取り出す。ケージを開け、マウスの尻尾を掴み、持ち上げる。それから重量計の上に乗せ、体重を測った。26g。体重を図る理由は、マウスに麻酔をかける必要があるわけだが、体重換算で麻酔薬の投与量を調節する必要があるからだ。
 メモ用紙に必要量を計算したあと、試薬棚から麻酔薬セコバルビタールを取り出し、チューブに必要分を移した。それから、希釈用の生理食塩水で濃度を調整した。注射器に針を取付け、麻酔薬を吸い上げ、片手でマウスを掴み、腹に注射針を刺し、腹腔内投与を行った。
 投与を終えた後、マウスをケージに戻し、麻酔が聞くまで、実験台の下の棚にしまい、光を遮断した。光の刺激によって、眠りへの導入が遮られることがあるので、こうする必要があるのだ。やはり、眠るときは暗闇のなかが心地よいわけだ。
作品名:イン・シトゥ 作家名:篠谷未義