イン・シトゥ
「じゃあ、私ですね。小嶋亜衣です。秋、紘一と同級生です。出身は東京で割と近いんですが、大学近くで一人暮らしをしています。世界がこんなことになってすごく不安だったんですが、他の人にも会えて少し安心しました。よろしくお願いします」
「うん、よろしく」と鷺沢が言った。「これでそれぞれのことを少しは理解することができただろう。このような状況では、私たちは互いを理解し、尊重し、助け合うことが大切だと思うんだ。偽善的にも感じるかもしれないが、信用してほしい。協力してくれると助かるよ」
僕達、四人は同時に頷いた。
鷺沢がハイエースの運転席に座り、薬剤師の笹木が助手席に座った。僕と亜衣は後部座席に座った。鷺沢は車のエンジンをかけ、サイドブレーキを下げ、ゆるやかに発進をはじめた。院内スタッフ用の駐車場を出ると、ゆるやかな下り坂が前方に見える。そこを軽やかに抜けていき、住宅街のなかに入り、さらに前方へと車を走らせた。
広い道路を直進し、何度か交差点を曲がり、県道22号に入った。上方には新東名高速道路が並走している。しかしながら、車が通過するような音はまったく聞こえなかった。
道なりに三キロほど進むと、左手に目的地であろうショッピングモールが見えた。スーパー、衣料品店、シューズショップ、ドラッグストアの並びだ。よく郊外にあるような小さなモールだった。鷺沢は駐車場にゆっくりと左折して進入し、スーパーの店舗前に車を横付けで停車した。それから、サイドブレーキを上げ、エンジンを切った。
「さあ、あっという間に到着だ。バレないように、くすねるとしよう」バックミラー越しで僕たちを見ながら、鷺沢が言った。
スーパー入口の自動ドアはねじ曲がり、ガラスが四方に飛び散っていた。あの日に起きた地震の規模を感じさせるには十分すぎる光景だった。店内に足を踏み入れ、辺りを見回す。天井にぶら下がっていた蛍光灯はほとんど床に落ち、かろうじて繋がっている蛍光灯が不規則な明滅を繰り返していた。ここにも電気は一応、通じてはいるようだ。商品棚のほとんどは倒れており、様々な商品が床に散乱していた。
僕たちは先頭の鷺沢に着いていく。鷺沢は時折こちらに顔を向けて、足元を注意するようにと表情で伝えた。しばらくして、缶詰やレトルトの置かれた商品棚に到着したが、そこもひどい状態だった。かつては整然と並んでいたであろう商品は床にすべて落ちており、埃にもまみれていた。中身が散乱しているものもあった。
「問題なさそうな缶詰やレトルト食品、乾麺をできる限り回収していこう」と鷺沢が言った。
僕たちは携帯したリュックサックを肩から下ろし、そのなかに食料を入れていった。ツナ缶、焼き鳥缶、トマト缶、パウチ式のレトルトカレー類などだ。あっという間に4人の背負っていたリュックサックは一杯になった。僕たちは一旦、車に戻り、荷台にそれらを置いてきたあと、同じ作業を淡々と繰り返した。途中、薬剤師の笹木は隣の衣料品の回収もしてくると言って、外に出ていった。その後も、淡々とリュックサックに食料品を入れ、車の荷台へと運んでいった。ふと、生鮮食品類のコーナーに目を向ける。そこには腐敗した食材が散乱していた。地震後、このスーパーはどのような状況だったのだろう。ふと、そのようなことを想像した。
「ずいぶん、残っているようで良かった」と鷺沢が言った。「郊外のスーパーということで期待はしていたが、予想以上だな」
「本当に良かったですね」と僕は言った。
「ああ」と鷺沢は言った。それから神妙な顔で呟いた。「ただ……今回、初めて遠出したが、起きている人間は見つけられなかったな」
「鷺沢さんたちは病院付近の探索はされていたんですよね。その時にも起きている人は見かけなかったんですか?」
「ああ、見かけていない。探索といっても、近くのコンビニやスーパーがほとんどだったからな。基本的に物資目当てだ。民家には入っていない。おそらく多くの人々は家で眠りに落ちている可能性が高いと思うが、そもそも確かめられていないんだ。あの日以降、時間が経過するたびに、眠りに囚われる者が増えていったのだろうとは推測する」
「僕も同意見です。家に避難し、眠りに落ちれば、そこから覚醒できないですからね。眠りの階層に気がつけないと難しいですよね。時間経過とともに、一人また一人と階層に落ちていったのでしょうね」
「おそらくな。ただ、これほど誰もいない街というのは不気味すぎる」そう言って、鷺沢さんは最後のクラッカーの缶詰をリュックサックに詰めた。「あとはペットボトル類を詰め込もう」
僕たちは商品カートを複数台持ってきて、水やお茶のペットボトルケースを詰め込み、車に運んだ。これも何度か往復して繰り返した。
瞬間、衣料品の店舗から勢いよく飛び出し、こちらに向かってくる笹木が視界に入った。そして、その後方には、決して見たくない存在が見えた。
「土人がいました! 鷺沢先生、車を出してください」笹木がそう叫ぶのを待たずに、僕たちはすぐに車の中に乗り込んだ。僕は車のドアに手をかけながら、笹木を手招きした。笹木が勢いをつけて、車のなかに転がり込んだあと、僕はドアを勢いよく締めた。
しかし、土人は空をただ見つめており、こちらには見向きをしなかった。しかし、奴をじっくりと観察することなど、僕たちにはできなかった。今まで出会った土人との形状の比較をする余裕もなかった。なぜなら、僕たちは皆、奴らがどのようにして人を襲うかを知っているからである。たとえ、大人しい個体がいるのだとしても、油断することは決してできないのだ。鷺沢はアクセルを勢いよく踏み込み、エンジンを吹かせながら、モールを離れた。
病院に到着し、荷物を下ろすまでは僕たちは一言も発さなかった。何か言葉に出すことで何か不吉な出来事が起きるのではないかと、皆が思ったのかもしれない。外の世界には奴らが徘徊しており、いつどこで遭遇するか分からないという現実を突きつけられた。そして、奴らは元は人間であったという事実もある。
考えれば、病院で眠る人々がいつ目を覚ますかもわからない。鷺沢が言ったように、いつしか夢を食い破って穿孔してくるかもしれない。言葉に出すことで、そのような現実が襲ってくるかもしれないと大きな不安にかられたのだ。しかし、その沈黙を破ったのは、鷺沢だった。
「皆、お疲れ様だった。おかげで今いる人数を、しばらく賄えるくらいの食料は確保できた。笹木も衣料品を確保してくれて助かった」
「いえいえ」笹木は照れる仕草をした。「四村さんに頼まれていたってのもあったんでね」
「あいつ、また他の班に頼み込んだのか。仕方ない奴だな」
「あの」と僕は聞いた。「四村さんって?」
「ああ、そういえば伝えていなかったな。四村はもう一つの班のリーダーだ。奴の班は今は睡眠中だな。そろそろ交代で、次は我々が眠る番だ。随分疲れただろうからすぐに眠れるだろう」
「早く、キックしましょうよ~」僕たちの存在に気がついた看護師の柴村がこちらに駆け寄ってきた。キック? 不思議そうな顔をしていた僕と亜衣に気がついた鷺沢は口を開けた。