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イン・シトゥ

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「ああ、ありがとう」そう言ってから何かに気がついたようで僕達に目を向けた。「そういえば、私の名前を言っていなかったな。私は鷺沢霞(さぎさわかすみ)だ。まあ、詐欺師とでも呼んでくれ。あながち、間違っていない」それが冗談だと気がつくのに、少し時間がかかった。
「鷺沢さんですね。僕達も名前を言っていませんでした。僕が刈谷秋。そして彼女が……」
「私が小嶋亜衣です」亜衣がお辞儀をしながら言った。
 鷺沢が警備隊もとい薬剤師から薬を受け取り、ラテックスのグローブをしてから、抗生剤軟膏を紘一の腕に丁寧に塗り広げた。それから、デスクから清潔な包帯を取り出し、慣れた手つきで巻き付けた。それから外れないようにクリップをとめた。
 それから紘一の耳元で声を掛けた。意識は朦朧とはしているが、こちらの声が届かないわけではない。紘一が静かに頷くと、鷺沢に支えられながら上体を起こした。それから鷺沢は診察室の奥にあるシンクに向かい、乾燥かごに置いてあったコップに水道水を汲む。
 解熱剤の錠剤を紘一の口に入れてやり、水をゆっくりと飲ませる。紘一は少しむせるが、鷺沢が背中をゆっくりと擦ってやり、落ち着きを取り戻す。再び寝かせてやり、紘一は静かな眠りに落ちた。
「寝てしまったな。夢のなかで夢を見ないように、時折起こしてあげるといい。仮にその先に行ってしまっても、私達がいる。呼び戻すこともできるから頼ってくれ」
 鷺沢という人物はやはり不思議な雰囲気を纏った女性だ。抱えている不安を払拭させてくれる。心の拠り所となってくれる奇妙な魅力がある。
「ありがとうございます」僕は感謝の意を伝えた。「何から何まで」
「いいや、私は何も出来ていない。君は騙されている。何故なら、私は詐欺師だからな」
 僕と亜衣は小さく微笑んだ。それから、先程の彼女の奇妙な発言を思い出した。土人を生み出した、という発言だ。
「先ほどの話に戻しますが、土人を生み出したとはどういうことですか?」
「ああ……」鷺沢は神妙な面持ちで静かに語り出した。
「私達は今、十数人から成ると先ほど伝えたね。また、これを三班に分けて、順番に交代して行動している、と。ある時、うちの一班に近辺の探索を依頼したんだ。そうしたら、強い余震が発生してしまってね。その建物の瓦礫が崩れ落ち、メンバーの一人の女の子の足を挟んでしまった。残りのメンバーが彼女を助け出したが、まあ酷い怪我だった。それから病院に戻ってきて、私が彼女の外科手術をすることにした。痛みに耐えられるように全身麻酔を施し、手術をしようとしたんだ。だが、麻酔をかけた途端だ。彼女の身体が大きく痙攣しだして、皮膚がみるみるうちに剥がれ落ちて、そこから土のような皮膚が出現した。それから、皮膚を抉るかのように奇妙な紋様が浮かび出てきた。腕は抜け落ち、頭部は半円上の形に変形して、土くれのような異形の姿へと変貌を遂げたんだ」
 僕は黙って聞いていたが、言い表せぬ嫌悪感のようなものが胸を去来した。人が偶人になることは予想していたが、実際に変容する瞬間を見たということだ。人間が人間でなくなっていく。人間が土くれで作られた人間に変わっていく、その瞬間を。実に忌々しい。
「おそらく、全身麻酔を施したのがいけなかったのだと考えている。強制的に眠りに導入した。その行為がいけなかったのだろう」
「眠りの奥深くに落ちたものが土人になってしまうのでしょうか」と僕は言った。「僕のいた研究棟には起きない人が二人いました。男の子と女の子。男の子は夢のなかで起こすことができましたが、女の子は起こせなかった。おそらく、夢の更なる奥にいたんです。それに僕達は夢のなかでも土人に遭遇しています。その土人が、夢のなかで男の子を殺しました。そして現実世界でも死んだんです。それから、現実世界に戻ると、再び別の土人に遭遇した。変容した瞬間を見たわけではないですが、現実世界の女の子の姿が消えていた。したがって、女の子が土人に変容したと予想したんです。……だけど、その変容の瞬間を実際に見たなんて」
「ああ、あれは恐ろしいという言葉では足りないくらいに、惨たらしいことだ。私を含め、その場にいた五人が我を忘れて暴れ狂う土人と戦った。その場にあった手術器具を手に取り、何とか押さえつけながら倒したんだ。ただ、これは恐ろしいことだ。今、救おうとした命を自分達の手で奪い取るんだ。こんな不条理なことがあるか。ただ、それを引き起こしたのは誰でもない。麻酔をかけることを決断した、この私だ」
「それはまだ分かりません」
「いや、君の話を聞いて確信した。おそらく、眠りのなかの更なる眠りに落ちた者が異形として、眠りの奥底から這い出してくるのだ。夢を食い破るかのように、現実世界に向けて、穿孔してくるのだ、きっと」
 夢を食い破るように。何故だか、その言葉がまるで刻印を押すかのように僕の心に残った。
「いったい何なのでしょうか。夢のなかに落ちていく現象。謎の異形に変わり果てる現象」それから地震が起こった時に見た、あの謎の飛翔体を思い出す。「そう……地震当日に現れた空を飛ぶ大きな岩のような飛翔体。あれもそうです」
「私も窓外からあれを見た。全てが一様に東の方向へと飛んでいった。……いったい何なのかは分からない。分からないが、何か惨たらしい意志のようなものを感じる。まるで、祟りのような」
 祟り。僕達がどんな祟られるようなことをしたと言うのだろう。情報からも隔絶され、自分の目の前のものしか信じられない。その場所で、見えるもの。その場所で、聞こえるものしか、現実として捉えられない。
 こんな世界に閉じ込めた者の目的はいったい何なのだろう。これは日本の何処から何処までで起きているのだ。いや、世界の何処から何処までで起きているのだ。それすらも分からない。僕達の家族や友人は今どのような状況なのか。これを考えると胸が締め付けられるように苦しくなるので、あえて考えないようにしていたが、箍(たが)が外れるかのように溢れ出してきてしまった。僕は再びその考えを閉じ込める。

 突然、診察室の扉が勢いよく開け放たれる。警備隊の二人よりも、明らかに乱暴な開け方だった。
「鷺沢先生! 外部から来た者をこの病院に入れたと聞きました。いったいどういうおつもりですか?」怒号のごとき声。それから僕と亜衣、それからベッドに眠る紘一の姿を見つけ、蔑んだ目で見つめた。三十代前半くらいの神経質そうな表情をした男。「もしや、彼らですか?」
 鷺沢は、やれやれといった調子で答えた。「芹澤(せりざわ)先生、落ち着いてください。私達、医師は怪我や病気で困った人を助けるのが仕事です。この状況でも同じことです」
「貴女は何時だってトラブルを持ち込む。昨日だって、私の班の一人を土人にして、他の三人を重症にした。それをしたのは他でもない貴女です」
 この芹澤が所属する班がさきほど鷺沢の言っていた探索を担当していたのか。発言から察するに班のリーダーだったのだろう。それでも、鷺沢を問い詰めるのは酷ではないか。誰もこの不可思議な状況を理解しきれていないし、まさに手探りの状況にも関わらず、この言い様だ。芹澤の表情と語調からは、鷺沢に対する何やら嫉妬心のようなものも感じ取れた。
作品名:イン・シトゥ 作家名:篠谷未義