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イン・シトゥ

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 亜衣は泣きながら、縫合針に縫合糸を通し、震える手で縫い始める。僕は暴れる紘一を力付くで抑えつける。腕が動かないように完全に固定する。亜衣は集中して、一針、また二針と順調に縫合を進めていく。マウスの閉腹作業をしていたことが、こんなところで役に立つことになるなんて。
 亜衣は手際よく縫合を進め、全ての傷を縫い終える。亜衣は縫合部分に再びオキシドールで消毒を施し、包帯で腕をぐるぐる巻きにした。紘一は出血による貧血状態だろうか。青ざめた顔でぐったりとしていた。紘一を何処か安全な場所で休ませなければならなかった。
 僕達は守衛室に設置されていたコンパクトな担架に紘一を乗せ、四階の会議室まで運ぶことにした。会議室には死んだ男とまだ眠っている女がいるはずだった。

 しかし、四階に到着した僕達は驚愕することになる。死んだ男はソファにいたが、眠っていた女がそこからいなくなっていたのだ。
「彼女はいったい何処に」と亜衣は言った。それから何かに気がついたかのように床に膝をついた。「え……まさか」
「……ああ、そうかもしれない。どこかから、そいつが侵入した形跡はなかった。一階も出口はバリケードで封鎖されていたし、窓が割られた様子もなかった。この研究棟には僕達三人と、眠っていた男女二人だけだった。そして、男は死に、女が消えているとなると……」
「あれって……人間? 人間があんな異形の姿に変化しているということ?」亜衣は俯いて涙を流した。「意味が分かんない。私達、人殺しってこと?」
 僕は亜衣を抱きかかえた。「仕方がなかった。ああしなければ、僕達が死んでいたし、仕方なかったんだ」そう自分達を言い聞かせるしかなかった。
「分かってる……。分かってるけど。まだ、なんだか整理ができない」
 僕達は紘一を女の眠っていたソファの上に移動させた。
 それから二人で交代で紘一の看病をすることにした。幸いなことに、僕は眠りに落ちてもあの街の夢を見ることはなかった。僕と亜衣は、夢と現実を交代で行き来しながら、次の日の朝をようやく迎えることになる。

 紘一の症状は良くなることはなく、悪化した。腕には炎症が生じており、紫色の変色も認められた。体温計はなく温度は分からなかったが、明らかな高熱を出しており、常にうなされていた。
「きっと私の消毒や縫合がいけなかったんだわ」亜衣は自分を責めた。
「君のせいじゃない。僕がやっても同じことだった」
「いえ……秋くんだったら大丈夫だったのかもしれない」
「自分を責めるのは良くない。これからどうすべきか一緒に考えよう」
「……どうすればいいの。もう分からないわ」
「出血多量は抑えられたはずなんだ。今も紘一が生きているのは、亜衣のおかげだよ。ただ、奴による傷でおそらく炎症のようなものが起きているんだ。抗炎症薬や解熱剤とか、薬が必要だ」
「つまり……どうすればいいの?」
「つまり、ここを離れる必要があるんじゃないか、ってことだ」
「外には、あいつらが沢山いるのかもしれないのよ?」
「でも、ここに籠もっていては、紘一を助けられない」
「ええ、分かってる。……行くしかないわよね」亜衣は俯きながら小さく呟いた。「……それで、どこに行けばいいの? 病院?」
 僕は研究室の本棚に置いてあった大学案内のパンフレットを取り出し、机の上に広げた。それからキャンパス案内の地図のページを開く。そこを指差す。
「僕達の大学には医学部の大学病院があるだろ? その医学部のキャンパスに向かうことを考えている。ここのキャンパスから車で移動すれば、おそらく二十分ほどで到着する。僕の友人がそのキャンパスに通っていたから、彼と会うために車でそこに行くことがあった。道は覚えているんだ」
「車で移動できれば、多少は安全かもしれないわね。奴らから逃れられるかもしれない」
「そうかもしれない。そのために、まずはこの研究棟の前に車をつける。そこから紘一を乗せて、ここから脱出しよう。車を持ってくるのは僕がやるから、その間、亜衣は紘一を見ていてくれ」
「大丈夫なの?」
「大丈夫。紘一の車が近くの駐車場に停めてある。彼から車を借りて使うことがあったから、場所は知っているんだ。彼の車の鍵はデスクに置いてある。僕が守衛室の非常口から外に出て、そこに向かう。徒歩五分もかからない。そこまで行ければ、車に乗ってここまで戻って来る。きっと大丈夫だ」そう言いながらも不安をかかえていた。奴らが出てきたらどうすれば良いのかと。大丈夫という言葉は自分自身にかけていたのかもしれない。
「そうだ。あと、どうでもいい提案だと思うけど」と僕は前置きをしてから言った。「あれのこと。いつまでもあれとか、それとかでは呼びにくいと思うんだ。何か名前を付けて呼ぶことにしないか?」と僕は提案した。このどうでもいい提案は、僕のなかで渦巻く不安をかき消すためのものだった。
「確かにそうね。何と言う名前がいいかしら。あれって、何かに似ているのよね」そう言って、亜衣は何か考えるような仕草をした。
「僕もそう思っていたんだ」と僕は共感した。「もしかして……土偶じゃないか?」
「ああ、それね!」亜衣は手をぽんと叩いてそう言った。「まさに土偶よ。土のような身体に、奇妙な模様が施されている。すごく似ているわ」
「……じゃあ、そうだな。たとえば“土偶のような人間”として……偶人(ぐうじん)とでも名付けておく?」
「偶人ね。まあ、いいんじゃないかしら。名前がないより、ある方がましだわ。あれや、それでは呼びにくいものね。これからは偶人と呼ぶことにしましょう」少し不安がほぐれたような感じがした。
「それじゃあ、準備ができたら車を取りに向かう。亜衣は紘一の様子を見るのと、必要な物資をまとめておいてくれるか?」
「ええ、分かったわ。やっておく。秋、偶人に襲われないように注意してね。秋もいなくなったら、本当に私は……」
「ああ、分かっている。そのためにもしっかりと準備するよ」

作品名:イン・シトゥ 作家名:篠谷未義