小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

イン・シトゥ

INDEX|11ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

第五章 空見た子とか



 目を開けると、そこにはまた見知らぬ天井がある。
 明滅を繰り返す豆電球。くたびれたベッドサイドテーブル。その上にある欠けた花瓶と萎れた花。鉄格子のあるガラス窓からは弱々しく光が漏れていた。あの街に戻ってきたのだ。
 僕は震える手で、自分の身体や顔に触れ、自分を構成するものが確かにそこにあるかを確認していく。今でも、僕のなかへとめり込んだそれの感覚が確かに感じられたのだ。あの熱さのような痛みが僕のなかで、まだ這いずり回っている。
 服が汗でぐっしょりと濡れている。麻のような繊維を編んだ衣服だ。前回は気がつかなかったが、刺繍が施されており、独特な紋様がみえた。服を手でなぞりながら、質感を確かめていると、ふいにドアの向こう側から声がした。
「オルカ様、おはようございます。目を覚まされましたか?」キリンの声だ。何故か彼女の声で僕は安心する。僕は小さく深呼吸してから、言葉を発することにした。
「キリンさん、おはようございます。今は朝ですか?」
「ああ、オルカ様。おはようございます。そうです、朝になります。何やら、またうなされておりました。夢見がよろしくないご様子ですね。街に出て、気分転換をなさるのが良いかと思います」
「ええ、そうですね」
「ええと、朝食の準備が出来ておりますので、身支度が整いましたら、食堂までお越しになってください。そちらでお待ちしております」そう言って、キリンは立ち去ろうとした。
「あ、ちょっと待ってください」と僕は彼女を呼び止めた。「食堂ですが、どこにあるんでしょうか?」
「あら、私としたことが。申し訳ございません。オルカ様の記憶のことを、失念しておりました。承知いたしました。ご案内いたしますので、こちらでお待ちしております。ご準備ができましたらどうぞ」
「すみません。ありがとうございます」僕はそう言ってから、ベッドから立ち上がった。
 ベッドの下には革製のモカシンのような靴が置かれていた。きっとオルカの靴なのだろう。それを履き、部屋の扉を開けた。キリンは柔和な笑みを深べながら小さくお辞儀をした。僕もお辞儀を返した。彼女も僕と同じような質感の服を着ていたが、ワンピースのような形状をしていた。首には石を削ったような首飾りを付けていた。
「それでは食堂までご案内させていただきますね」とキリンが言った。「私の目の前で、当たり前のようにオルカ様が起きておられる。まるで夢のようですわ」
「僕もまるで夢のようです」と僕は言った。僕のその言葉には二つの意味が込められていた。

 僕の寝ていた部屋のなかからはこの建物の全体像が掴めなかった。部屋にはベッドとベッドサイドテーブルくらいしかなかったし、窓も小さく、外の様子が伺いしれなかった。部屋のなかの壁はコンクリート製だと思っていたが、部屋の外に出てからそうではないことに気がつく。どうやら岩を切り出し、成型された石壁のようだ。部屋の外に出ると、壁が連続していたので、それがよく分かった。
 しかし、それにしても奇妙な建物だった。石壁が連続しているのは途中までで、次には青色のタイル張りに切り替わっていた。それからしばらくして再び石壁になり、続いて緑のタイル張りになった。床は木製の寄せ木張りで、色もまばらで明らかにアンバランスだった。
 僕は部屋を出て、キリンに案内されるままに廊下を歩いていく。西洋風のランプが廊下の壁に設けられていたが、そのデザインもまちまちで、かつ等間隔にも並べられていなかった。
 廊下を通り抜けると、突き当りを右側に折れる。そうすると、ふいに良い匂いが辺りに漂ってくる。暖簾がかけられている部屋の入口を見つけ、それをくぐって中へと入った。
 そこは、いかにも昭和を感じさせるような台所だった。食器棚、炊飯用の大釜にガスコンロ、油で汚れた換気扇。タイル張りの流し台に給湯器。流し台の横には、包丁と木製のまな板が使われたまま置かれている。近くには、割烹着を着たキリンよりも少し年上かと思われる女性が立っていた。
「ああ、オルカ様。おはようございます」女性は振り返り、僕に挨拶した。「久しぶりでございます。お腹が空かれたでしょう。腕によりをかけて作りましたので温かいうちにお食べください」
「ウサギが作ってくれる料理は絶品ですからね」キリンは彼女を見つめて微笑みながら言った。
 彼女の名前はウサギというのか。やはり、皆が動物の名前だ。僕はウサギに小さくお辞儀をした。
 台所を抜け、その先にある木製の仕切り戸を開くと、横長テーブルに丸椅子が四脚置かれていた。何と説明すべきか、まるで町中にあるこじんまりとした中華料理店のような雰囲気だ。
 この街は非常に奇妙で、統一性というものがまるでなく、色々な要素がごちゃまぜになっているようだった。テーブルの上を見ると、湯気の立った温かい料理が並べられていた。
「こちらへどうぞ」とキリンが言い、椅子を引いてくれた。僕はそこに座った。
「どうぞ、ごゆっくりと食事をお楽しみください。ご飯が終えましたら、大佐がこの街を案内してくれる予定となっております。何か思い出されると良いですね。それでは」キリンは小さくお辞儀をして、仕切り戸を締め、出ていった。
 僕はそこでひどく空腹であることに気がつく。食卓に並べられた料理は、雑穀米のようなご飯に、焼き魚と野菜の汁物。いささか質素ではあるが、空腹の僕にはご馳走に見えた。僕は耐えきれず、箸を勢いよく掴み取り、かき込むかのようにそれらを平らげていく。生きるためのエネルギーが自分のなかに満ちていくことが分かる。
 まるで夢のなかのような奇妙な場所でも、生きるためには食べなくてはならないのだ。ふと瞳から涙が頬を伝っていることに僕は気がつく。それがしだいに嗚咽に変わり、むせてしまう。どうしてだろうか。自分でもよくわからなかった。
 食堂には窓ガラスが設置されていた。僕の寝ていた部屋とは異なり、鉄格子もなく、磨りガラスでもないので、外の様子が少しだけ見えた。僕はゆっくりと立ち上がり、窓に近づく。少しくすんだ青空と、緑の木々が見える。そこには生のある世界があった。
 それから再び、僕は席に戻り、残りの料理を平らげた。手を合わせて、ご馳走様、と心のなかで呟いた時、ふいに仕切り戸が開いた。そこには笑みを浮かべた藤沢パンダが立っていた。

 パンダは食事を終えた僕を建物の玄関先へと案内した。廊下をゆっくりと歩きながら、「久しぶりの食事はどうであったか」とパンダが訊いた。
「とても美味しかったです」と僕は言った。それは決して嘘ではなかった。
「それは良かった。食事を摂るというのはとても大事なことだ。自分がこの世界で生きているということを実感できる。他者の生をいただき、自らの生に置き換える。それは一つの儀式のようなものだ」
「儀式?」
「ああ、そうだ。君のなかには君以外の者たちも確かに生きているということだ」パンダがそう言って、玄関の扉を開けた。「そして、ここが君が生きている世界だ。何か思い出せると良いのだが」
作品名:イン・シトゥ 作家名:篠谷未義