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イン・シトゥ

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 僕がいた建物と同じように、奇妙な建物がいくつも乱立していた。石造と木造が組み合わせられたような、混沌とした作りをした建物だ。地面は石畳が敷かれている箇所もあったが、やはりまばらで、殆どが舗装されていなかった。人々が歩く場所が草木が生えずに道になっているという感じだ。
 遠くに他の建物とは明らかに異なる高さの大きな塔のような建造物が見える。いびつな形をしていて、やや傾いていた。そして、その横には巨大な岩山が見えた。
 僕はそれを指差して、「あの塔のような建物は何ですか?」と尋ねる。
「参ったな」パンダがこめかみを掻きながら言った。「記憶喪失というのはなかなかに厄介なものらしい。まるで君は街の外から来た異邦の民のようだ」
「申し訳ありません」
「いや、謝らなくて構わないさ。この街の成り立ちを今一度教えよう。我々の民は遠い昔からずっとこの街で暮らしていた。人々で互いに協力しあいながら、質素ながらも慎ましく暮らしていたわけだ。獣を狩り、魚を釣り、穀物を栽培し、それを皆で分け与えていた。そんななか、ある時、街の外から来訪者が現れたのだ。その方は、空からこの街に降り立った。それは比喩でも暗喩でもない。文字通りだ。しかし、彼は大きな傷を負っており、君のように記憶を失っていた。私達は彼を献身的に看病した。しだいに彼の記憶も戻ってきて、自分のことを「空見(そらみ)の子」であると言った。「空を見下ろす民」という意味のようだ。彼がもたらす知識と技術によって、この街は短期間で大いに発展した。石工、鋳造、電気の技術がもたらされた。空見の子である彼の思想にも多大な影響を受けた。そして、いつしか彼は私達の心の拠り所となっていた。私達は彼を敬い、慕った。彼も私達を同様に敬い、認め、尊重した。あの塔はその彼が住んでいる場所だ」
「彼は、この街の君主のようなものですか?」と僕は訊いた。
「ああ。ただ彼はその呼び方を大層嫌がるがね。我々のような只の人にとって決して手の届かぬ空。それに手が届く存在、空から見下ろせる空見の子。それは、いわば神にも等しい。神という呼び方も彼はひどく嫌う。彼の本当の名前は知らないが……。いや彼自身も思い出せないらしいのだが……私達の命名法にちなんで、自分のことを鳶(トビ)と呼んで欲しいと言っている。皆、鳶様(とびさま)や鳶公(とびこう)、鳶の君(とびのきみ)などと好きに呼んでいるよ。そんな敬称をつけるのさえも彼は嫌がるがね。いずれにしても、私達は彼のことを心から慕っているのだ。この街には元々名前がなかったが、今は皆、空見の街と呼んでいる」
 僕はそのいびつな形をした塔をもう一度眺めてみる。傾きながらも、空にも届くかのような高さの塔。それからパンダに別の質問をする。
「この街では、外の何者かと戦争を行っているんですよね? それはいったい何者なんですか?」
「確かなことはまだ分からないが。その勢力の指導者も自分のことを空見の子と称しているようだ。この街を明け渡すように、ということのようだ。本来、争いを是としない、鳶公と同じ血族とは考えられない。国盗りを図るなど、きっと紛い物の類に違いない。我々は抗戦する道を選んだ。しかし、鳶公はこの戦いに心を痛められている。戦で死んでいく人々に対して、あの塔でいつも祈りを捧げられているのだよ。我々は我々であり続けるためにも、この戦争には勝たねばならない。互いに助け合って生きていける平穏な世界を取り戻したいのだ。誰にもそれを奪う権利などないはずなのだ。私はその勢力が、憎くて赦せないのだよ」

 パンダは街を歩きながら、僕を案内していく。通りを歩く人々が僕達にお辞儀をする。僕達も同じようにお辞儀を返す。それから、近くにあった建物に入っていく。建物のなかでは、畳の座敷の上で数名が瞑想にふけていた。
 パンダが小声で囁く。「彼らは夢見師(ゆめみし)と呼ばれる存在だ。夢のなかで今後の戦いの進め方について神託を受ける。その作戦に基づき、我々は兵を動かす。ちなみに少数精鋭を組織し、秘密裏に街の外へ兵士を送り込むことを決定したのも、彼らの夢見の神託の結果だ」
 その建物を後にし、パンダは歩みを進めた。数ブロックほど進んだ後に、火薬の臭いが立ち込めてる建物の中に入っていく。狙撃銃のようなものが部屋の壁には大量に掛けられていた。数名が座敷の上で銃を手に、何やら整備をしているようだった。
「ここは我々の武器を製造している場所だ。我々の武器はこの銃だ。だが、なかに込めるのは火薬を詰めた銃弾だけではない。銃弾には火薬と「言葉」を詰める。我々には言葉には霊(たましい)が宿るという思想があるのだ」
 整備している人達を見ると、目をつむり、銃に何やら語りかけているようだった。
「彼らは言葉師(ことばし)。この戦いに勝つために、つまり紛い物の空の子らを退けられるように、圧倒的な敵意をもって、ありとあらゆる言葉を銃弾のなかに込めている。その銃弾を銃に込め、我らは戦地へと向かうのだ。込められた言葉を撃ち放つのだ」

 建物の外に出たパンダは無言で僕を誘っていく。僕は彼の後ろを足早についていくことしかできない。しばらく歩くと、バス停のような場所が見える。錆びたトタン屋根の小屋で、中にも錆びついた小さな椅子が二脚設置されていた。僕とパンダはそこに座り、無言のなか時間を消費した。
 数分後、そこにはバスではなく、人力車が到着する。パンダは僕を先に乗せてから人力車に乗り込んだ。続いて、車夫に行き先を告げた。
 穀物を栽培している畑を抜け、川にかかる小橋を抜け、緑の丘を抜ける。その丘で数名の者が狙撃銃を片手に獣を得るための狩りをしている様子が見えた。砂利道を走り、そして、街の郊外に辿り着く。
 さきほどまで僕が居た街が彼方に見える。パンダが先に人力車から下り、僕が続いて下りる。目の前にある一際大きな屋敷のような建物に入っていった。
「ここはこの街を支えるための、呪われ師(のろわれし)と呼ばれる人々がいる場所だ。呪いを受ける代わりに、空の子に匹敵するような力を得ることができる。……私も呪われ師の一人だ」パンダは服の袖をまくり、腕を露出させた。そこには奇妙な紋様の黒色の入れ墨のようなものがみえた。「これが呪いを受けたものの証だ。我が軍の大佐以上、つまり大佐と将官の階級の者は皆、呪われ師だ」
「呪い? 呪いを受けると、何かしら害があるんですか?」と僕は訊いた。
「今のところ、害は確認されていない。ただ、いつ何が起こるかは分からない。この戦争に勝利するために、呪いを受けることを選んだのだ。君の階級は少佐だ。君は呪いを受ける必要はない。いずれにしても呪いを受けることは心地の良いものではないから、呪いなんてもらわない方が良いに決まっている」
「呪いを受けることで、どのような力が手に入るんですか?」
「それは、まだ秘密さ」そう言ってから、パンダは虚空をみつめた。
 それから僕の方に向き直った。「今日の君への街の案内はこれくらいに留めておこう。何か思い出したことはあったかね」
「……いえ。何も」と僕は言った。「申し訳ないです」
作品名:イン・シトゥ 作家名:篠谷未義