Savage Reflection
鹿野が自信ありげに姿勢を正すと、香織は首を横に振った。
「そんな、熱い意味じゃない」
その表情から、鹿野が要領を得ていないと悟った香織は、宙を仰いだ。
「あの子は頭がいいけど、直感を信じすぎるところがあるからね。敵だと思われたら、終わり。常に味方を探しているわたし達とは、根本的に違う生き物だよ」
鹿野は香織の目を見返して、すぐに逸らせた。自分に引け目があるから、話の通じる人間を見つけては隣に居ることを許されようとする。それは、今までの自分の生き方そのものだった。香織は言った。
「わたし達のような人間は、地獄に向かってる。それは分かるよね」
鹿野がうなずいたとき、香織はフィリップモリスを一本抜きながら、言った。
「バイマオは逆で、地獄から帰ってきた。だから、あの子がずっと探しているのは味方じゃなくて、殺すべき敵なんだと思う」
麻薬を体から抜いている最中、白猫は錯乱した状態で『殺してごめんなさい』と言っていた。そして、それが何を指しているのかは、うわ言を断片的に繋ぎ合わせただけで理解できた。この麻薬を体に押し込んだのと同じ人間に、自分の父親を殺すように仕向けられたのだと。香織は勝手に棚からこぼれ落ちてくる記憶を押し戻すと、煙草をくわえた。 火をつけかけたとき、外で引き戸がからからと開く音が鳴り、革靴の足音を聞いた香織は煙草を口から離して、音の方向に首をぐるりと回した。
「バイマオは?」
青いネオンを真っ二つに遮りながら、真山が言った。香織は火のついていない煙草を指先で弄びながら、首を傾げた。
「さっき、出ました」
真山は小さく息をつくと、逆回しのように革靴の音を鳴らしながら外へ出て行った。さっきのヘッドライトは、真山の車だ。香織はそう理解して、片方の眉をひょいと上げながら煙草に火を点けると、鹿野に言った。
「頭をすっきりさせといて。いつでも引き金を引けるように」
まず、シルバーのセフィーロに乗り換えた。次は、クリーニング屋のロゴが入ったフォードトランジット。乗り換えは必ず立体駐車場の中だった。白猫は言われた通りに車を移りながら、考えた。笹川は、一体いつから準備をしていたのだろうと。頬が赤くて、ご飯の前に飲んでいたビールが効いているということが、はっきり分かる。助手席のドアを開けた白猫は、隣に立つ笹川に言った。
「運転しますよ?」
「後部座席に座ってろ。運転手は別にいる」
白猫は言われた通りにスライドドアを開いた。内側には吸音材が貼られていて、テレビのような設備がいくつか置いてある。アンプのような機械に、大きなヘッドホンもあった。笹川に背中を押されて乗り込んだ白猫は、言った。
「監視用の車ですか?」
「そうだ。運転手が来るまで、ちょっと待ちだな」
こんな感じのバンは、何度か見たことがある。自分が復讐を果たすために、真山さんがありとあらゆるお膳立てをしてくれたときも同じだった。
これは、敵を偵察するための車だ。
白猫は笹川の横顔を見ながら、考えた。お酒が弱いのに、あとで運転すると分かっていてビールを飲むなんて、どうしてそんなことをしたのだろう。その頭の中にある『裏切り者掃討作戦』には、必要なことだったのだろうか。
二〇〇〇年 五月 台北市 ― 二年前 ―
物置でテーブルに肘をつき、ヘッドホンを片耳に当てて会話内容を書き起こしている姿は、受験勉強をする学生みたいだ。そう思いながら白猫がずっと横顔を見ていると、視線に気づいた真山は苦笑いを浮かべた。
「集中させてくれ」
白猫は少しだけ体を引くと、視線を逸らせた。右手はずっと痺れたように痛いが、もう慣れた。一日に二百発を撃つ訓練は、もう半年間続いている。殺しと拷問を担当する笹川夫妻、警察のネットワークに通じている林と陳、銃火器の整備をするヨウ。全員から口を揃えて言われたのは、相手の間合いに入るなということ。女の体格では、いくら鍛えても相手が素人でない限り、体を掴まれたら終わり。じゃあ、今学んでいる蹴りや投げ技は何のための技術だろうと思っていると、真山さんが自分のこめかみをこつこつと叩いた。
『その代わりに、頭を使え。蹴りも投げも、銃も。全部が頭とセットだ』
そんなことを言っていた真山が、今は頭をひねって会話を起こしている。白猫はくすりと笑うと、言った。
「内容が難しいんですか?」
真山はテープレコーダーの停止ボタンを押すと、ヘッドホンを片耳から外して首にぶら下げた。
「暗号で喋ってるから、どれがどの場所を指しているか特定するのが大変なんだ。でも、もう少しで全部の拠点が分かる」
白猫は、ひりひりと痛む親指と人差し指の間に視線を落とし、そのままうなずいた。本来は自分がやるべき仕事だ。ヘッドホンの中で話しているのは、あの日、自分を檻に監禁した男。
今思えば、どこから狙われていたのかも分からない。日本を出て一週間で捕まったのだから。現地側のガイドだと名乗った『森田』だけでなく、新しい家を見に行くまでの仮住まいと聞いて泊めてもらったホテルも仲間で、夜中にふと目を覚ましたときに内鍵が開いたときの音は、耳にずっと残っている。父は眠ったままだった。お酒のボトルと一緒に置かれた氷入れに引っかけられたアイスピックを掴んだとき、真っ黒な影が覆いかぶさるように入ってきて、咄嗟に振った刃先が木に刺さったみたいにぐにゃりと動かなくなった。それは男の腕に刺さっていて、ちょうどそのとき父が起き上がった。
今でも覚えているのは、父が長い棒のような銃で殴り倒されるまで、自分がアイスピックで刺した男と入口までの間に、父と二人で走り抜けられるだけの隙間が見えていたということ。訓練を積んだ今なら、もっとはっきりその道が見えるし、何より相手の腕には刺さない。まず目を狙う。白猫は、ずっと手で弄んでいたアイスピックをケースに戻した。その刃には錆ひとつ浮いておらず、手首の内側に隠せるよう刃と柄の付け根にリングが取り付けられている。真山はヘッドホンを片耳に当てると、再生ボタンを押した。白猫は、ふと思った。この人は、誰からこういう技術を学んだのだろうと。自分は、ほぼ全部を真山さんから教わった。体の自由が利くようになってからは、素手、ナイフ、銃とステップアップしていき、初めて手渡されたのはグロック17。だんだん狙ったところに当たるようになってきて、銃を撃つこと自体が楽しくなってきたとき、何故か全員が見に来た日があって、アトラクションを楽しみに集まったみたいに、みんな少し笑っていた。腕前を確認しに来たのだとしたら、いいところを見せないといけない。そう思って、まず調子よく十発を撃ち、次に引き金を引いたとき、電気のスイッチを触ったみたいなパチンという音が鳴っただけで、弾は出なかった。腕が無意識に動いて、顔の前を風が横切った。自分がターゲットめがけてグロック17を投げたということが分かったのは、紙のど真ん中に大きな穴が空いて、林の弾けるような笑い声が聞こえてきたときだった。顔を真っ赤にして振り返ると、ほとんど全員が笑っていた。真山さんを除いて。
『咄嗟に機転が利くのは、いいことだ』
作品名:Savage Reflection 作家名:オオサカタロウ