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輪廻する因果応報

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年11月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。

                 彼女の気持ち

 世間でいう、夜勤という仕事は、今の時代には、当たり前のようにある。昔であれば、警備の仕事や、夜間の道路工事、あるいは、病院勤務の人などが主だったといってもいいだろう。
 だが、今は、そんなことはない、
「24時間営業」
 という店も多く、それに伴った、仕事も結構ある、
 忘れてはいけないところで、
「長距離トラックのドライバー」
 というのも、結構大変だったりする。業界によっては、
「深夜の方が大変」
 というところもあるだろう。
 アルコールを伴う飲食店などは、深夜時間帯の影響もしていたりする。それだけに、繁華街などでは、
「眠らない街」
 などという言葉が結構叫ばれていたりするではないか。
「ただ、夜勤というと、昼間に比べれば、夜勤手当というものがあり、結構ありがたい。しかし、皆が寝ている時間に起きているということが、どれほど大変なことなのか?」
 ということを考えると、実際に、自分も昔は、
「夜勤なんて、起きているだけで大変な仕事だよな」
 と思ったものだった。
 最初に、
「深夜時間帯」
 で勤務したことがあったが、とにかく、静かすぎることが不気味で、建物を歩く時の、靴音ととして、
「カツーン」
 という、乾いた音が耳に響き、却って眠気を覚ます効果があるのが、怖いくらいだったのだ。
 それを思い出すと、
「静かすぎるのは、急に音が鳴った時に響く乾いた音で、びっくりさせられることに、恐怖を感じるであろう」
 ということを予感させることを、恐怖に導くからであろう。
 大学時代に行ったアルバイトを思い出していた、
 あの頃はまだ昭和の時期で、アルバイトも結構楽しかった。ほとんどは、昼のものが多かったが、たまに、深夜バイトというのもあった、
 たとえば、
「スーパーや、百貨店の店内改装であったり、イベント設営」
 などというものが主流ではないだろうか。
 要するに、
「閉店後の店内改装」
 ということである。
 今でこそ、スーパーといっても、午後8時過ぎくらいまで開いていたりするので、店内改装というと、大規模にやる場合は、1,2日くらい、時短経営したり、丸一日閉店し、一気にやってしまったりということであろう。
 だから、店員総出だったり、アルバイトを雇うということになるのだろうが、昔の場合は、
「閉店が午後7時前くらいであれば、8時から、アルバイトが入って、作業が始められる」
 ということである。
 そのための、アルバイトというのも、結構募集もしているだろうから、アルバイトをしている人は、たぶん、一日くらい」
 ということでするのだろう。
 ただ、スーパーの店内改装であれば、かなりの人数がいるので、
「乾いた靴音が響く」
 などという状態ではないだろう。
 もちろん、BGMなどもないので、
「音がまったく響かない」
 というのは当たり前のことで、それだけ、
「深夜らしくない」
 と店員は思っても、バイトの人は、そこまでは感じないということになるのだろう。
 深夜働いて、終わるのが、3時ころだったことがあった。当然、始発電車が走っている時間でもない。
 当時は、どこの店も開いていなかったので、
「何かを食べて、時間を潰す」
 ということもできない。
 ただ、駅は、今と違って開いていた。駅の構内で、始発まで待つという人もいたことだろう。
 そういえば、一度アルバイトに行ったところで、ユニークなところがあった。
「古びた旅館みたいなところで、半日の休憩をとってもいい」
 というのだ。
 だから、
「お風呂に入って、仮眠して、それで昼頃になってから、帰る」
 ということもできるという。
 さすがに、その日、朝から予定を入れるなどということをするはずもないので、その人は、ゆっくりしていったことだろう。
 本当に木造建築の旅館で、一歩間違えれば、昔の、
「連れ込み旅館」
 というものを彷彿させた。
 昭和の頃は。そういうところも結構あったということだろう。
 来年になれば、定年退職を迎える相沢という男は、大学2年生の時にアルバイトで泊まったその、
「古びた旅館」
 を思い出すと、実は別の時の思い出を感じていたのだった。
 それがいつだったのかというと、ちょうど、あれは大学1年生の時であったが、実は、似たような旅館に泊まったのを思い出したのだ。
 昭和の頃は、まだそんな旅館が、都会の片隅にはいくつかあり、利用する人もいたりした。
 中には、営業で、
「ビジネスホテル暮らし」
 をしている人が、たまに、
「宿代をケチる」
 という意識からか、このような、日本旅館で、出張旅費を浮かすこともあったのだ。
「たまには、こういう旅館というのも、いいだろう」
 と思う人もいるようだったが、会社によっては、
「最初から、こういう旅館分くらいしか、出張旅費の宿泊費というものに当てられない」
 という会社も、昭和の頃にはまだまだあった。
 しかも、
「宿と会社が契約をしていて、そこに泊まるということが、当たり前」
 という営業の人もいるようだ、
 だから、それでも他に泊まりたいと思えば、新しく泊まる宿の宿泊費を、
「自分持ち」
 ということにしなければいけない。
 昔は今のような、
「デリヘル」
 というものはなかったので、
「デリヘルを呼べる宿」
 ということはないだろうから、いろいろと考えさせられることもあるということになるのであろう。
 相沢は、大学1年生の頃を思い出していたのだが、その時、確かに、都会の一角にあった、
「古びた日本旅館に泊まった」
 という記憶がよみがえってきた。
 その時一緒に泊まった相手というのは、何と、当時付き合っていた女の子であり、
「付き合う」
 ということになってから、
「まだ、数回しか会ったことがない」
 というくらいであった。
 だから、デートと言ってもぎこちなく、2回目のデートの時は、悲惨だった。
 というのは、
「彼女と一緒にいて、何を話せばいいんだ?」
 ということが分からなかったのだ。
 いくら、
「女性と付き合うというのが、初めてだった」
 ということであったとしても、それを差し引いたとしても、その時のぎこちなさというものは、今でいえば、
「ないわ〜」
作品名:輪廻する因果応報 作家名:森本晃次