「悪魔の紋章」という都市伝説
「当時、満州では、さまざまな事態が起こっていて、結局、最後には、日本の食糧問題も一緒に解決するということで、最後には、満州での、軍事行動を起こし、最終的に、満州全土を征服する」
という行動だったのだ。
そのために、自作自演の爆破事件を引き起こしたわけだが、それも、中国による反日運動が究極の状態を迎えていたため、計画の実行は、必要不可欠だということになったのだろう。
そして、満州を、占領し、併合するということにしてしまうと、
「列強の不信感を買う
ということで、
「独立国家を形成し、そこには、清国最後の皇帝、愛新覚羅溥儀を擁立することで、あくまでも、日本の属国ではない」
というポーズをとったのだが、国連に提訴した中国側の要請で、調査団が作られ、
「国連による調査」
が入ったのだ。
そのおかげで、
「満州国は、日本の自衛のためではなく、自作自演だった」
ということになってしまい、多数決では圧倒的多数で、満州国は、否認されてしまったのだ。
そこで日本は、国連を脱退して、いよいよ、世界的に孤立の道を歩みはじめ、結局、
「ドイツ」
「イタリア」
と結び、
「ファシストとの協調を深めていった」
ということであった。
日本という国は、それだけ
「どうしようもないところまで追い詰められていた」
といってもいいだろう。
満州を占領して、日本から、たくさんの移民を受け入れて、そこで、新しい開発をさせるということに関しては成功したのだが、実際に、何かを開発できるだけの資源が眠っているわけではなく、
「満州は、王道楽土の、五属共栄の土地だ」
ということであった、
ここでいう、五族というのは、
「満州民族、漢族、超背にン族、蒙古民族、そして、日本民族」
ということであった。
日本人は、実際に、そうやって、いろいろと関東軍や日本政府の思惑に乗せられて、満州に渡り、
「酷寒の台地で、食物もほとんど育たず、豊富だと言われている鉱物も、正直、まともに使えるものもない」
というではないか。
それこそが、
「満州国の闇の部分」
といってもいい部分で、これも、一種の、
「悪魔の紋章」
ということで、考えられるものだといえるんおではないだろうか。
それが、
「進むも地獄、下がるも地獄」
自殺の名所としての、
「最初の一丁目」
ということになるのであろう。
相対するもの
今度は別の村で、
「対になっているものが、村を二分している」
という勢力があるところがあった。
その勢力というのは、まずは、
「二大勢力と呼ばれるものとして、二つの家が、対立して、村の雄」
というものを争っていた・
その勢力は、この土地において、
「お互いに、潰れることもなく、それぞれに、均衡した勢力を持ち続けられるのか?」
というと、それは、
「時代によって、必ず、その勢力が、定期的に、シーソーのバランスを保つことなく、反対の勢力に傾いていく」
ということからであった。
お互いに均衡を保ったままであれば、その均衡を保つ力が強すぎるがゆえに、その最大級の力を抑えることができず、耐えきれなくなって、壊れてしまうのは、時間の問題だということになるのであろう、
しかし、この勢力が、ある一定の期間ごとに、
「あっちにいったり、こっちにいったり」
するということは、
「力の均衡が全体をぶち壊す」
ということがないだけに、
「一番いい方法」
ということで、その理由は、
「それ以外に、方法はない」
ということで、結局は、
「実はうまくいくようになっている」
ということなのかもしれないのであった、
「日本における勢力というのは、結構二分されていることが多い」
つまりは、
「二大勢力の力が均衡することで、力が分散され、お互いに抑止力になる」
ということだってあるということになるのであろう、
日本の歴史においても、それは結構あるもので、
古代からすれば、
「蘇我氏と物部氏」
「源氏と平家」
「武田信玄と上杉謙信」
などというように、それぞれにライバルがいたではないか、
ということは、歴史が先に進むためには、そういうライバル関係にいる存在がなければ、
「時代は渋滞してしまう」
といってもいいだろう。
だから、
「歴史が動く瞬間には、必ず、そういう二大勢力が暗躍し、戦争となったりするのではないだろうか:
もちろん、そのことについての、
「いい悪い」
というのは、誰にも決めることができない。
しかし、それで、
「歴史というのは動くのだ」
それを考えると、
「何が歴史の真実か?」
ということは、必ず、歴史上の事実とされることの中に、隠されているといっても過言ではないだろう。
さらに、その村には、
「医者」
であったり、
「寺院」
そこに対抗しているものとしては、
「神社」
だったりする。
つまり、
「曖昧な存在のものまで、相対的な相手」
ということで判断するので、それは、一種の、
「対抗勢力」
ということになるのだろう。
それを、まるで、
「仮想敵国」
という考え方になるのも、無理もないことで、
「仮想敵国」
というものの存在が、部隊における、
「士気の高まり」
というものを維持しているといってもいいだろう、
つまり、相対的なライバルというものの存在は、ある意味、必要不可欠であり、そこに、一種の、
「抑止力」
というものが潜んでいるといっても過言ではないだろう。
日本という国は、今までにも、相対する勢力が潰しあうという歴史を作ってきた。
「大化の改新」
における、
「乙己の変」
しかり、
「源平合戦」
と言われる、
「治承・寿永の乱」
であったり、
「応仁の乱」
「関ヶ原の戦い」
などが、二大勢力による、全国を巻き込む戦だったといってもいいだろう、
近世になっても、軍には、必ず、
「仮想敵国」
というものがあった。
たとえば、
「陸軍であれば、ロシア、その継承国であるソ連」
そして、海軍などは、
「アメリカ」
だったりするのだ、
それが、結局は、
「軍の士気の低下というものを防ぐという意味でも、必ず必要だったのだ」
そのため、その感情が、過剰防衛を招くことによって、列強を刺激することになる、
「中国本土に対しての侵攻」
などというのは、どこまでが、大切なことなのか?
ということになるのであろう。
結果、日本は、アメリカに、
「引きずり出されるという形になり、戦争へと突き進んでしまった」
ということであった。
だから、この村にも、昔から、
「2大勢力」
というものが存在し、
「力の均衡」
というものを保っていたのだ。
そんな
「二大勢力」
というものが残っているところでは、
「それがどこでも、当たり前のことだ」
と思っているようだ、
しかも、その村の近くでは、
「うちの村では、双子が生まれる確率が高い」
ということを、まわりの街ではウワサヲされているようだった。
しかし、だからといって、その村で、
「うちは、双子が多いんだ」
作品名:「悪魔の紋章」という都市伝説 作家名:森本晃次