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お教とお香の覚醒

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 の真っただ中に置かれるが、幸か不幸か、動物には感情がない(と言われている)。
 つまりは、
「もし、自分よりも強いやつに食われたとしても、感情がないので、恐怖を感じたとしても、本能からで、あっという間の出来事ではないだろうか」
 といえる。
 だが、人間の場合は、死を目の前にすると、
「死への恐怖」
 だけではなく、死ぬということへの感情がいっぱい出てくる。
「ここで人生が終わってしまうのか。あれもしたかった、これもしたかった」
 などという感情があるのだ。
 詩を迎えた時こそ、
「感情などなければ楽になれるのに」
 という人間に生まれたことを後悔することになるだろう。
 しかし、もっといえば、
「だから、宗教に入信するんじゃないか」
 ということになるのだろう。
 結局、
「人間というのは、弱い動物なので、宗教にすがるしかない」
 ということになるのであろう。
 それが、
「洗脳」
 であるということを分かっていない。
 ただ、洗脳する側の宗教に、
「何の得があるというのか?」
 ということも考えさせられる。
 確かに、
「信者を増やす」
 ということが一番の目的だということであろうが、
「じゃあ、信者を増やして、それが何になる?」
 ということを考えた時、
「それこそ、今の世界的なテロ集団を思うと、恐ろしいという発想でしかない」
 といっていいだろう。
 あいつらは、
「自分たちの目的のためには、死をも恐れない」
 ということで、
「自爆テロ」
 を平気でやるのだ。
 つまり、教祖というか、上層部は、命令するだけで、信者に対して、
「来世で幸せになる」
 とでも言って、
「彼らの純粋な気持ちを犠牲に使って、自分たちの保身であったり、利権を守ろうとしているだけなのだ」
 といえるだろう。
 だが、前述のような発想が少しでもあれば、
「自爆テロ」
 というものを自分が行っても、結局何も変わらないということに、気づかないのだろう。
 やられた国は、当然、報復に出るだろう。
 自国が空爆などをされて、それに敵うわけもなく、結果、自爆テロを行った人たちの家族が、
「報復」
 という形で、犠牲になりかねない。
 そうなったとして、
「自爆テロ」
 を命じた連中が補償をしてくれるわけもない、
 そもそも、保証できるわけもなく、
「死んだ人間が生き返るわけもないのだ」
 完全に、犬死ということであり、だから、自国が、幸せになれるわけでもない。
「泥沼の戦闘状態が、永遠に続く」
 という未来が待っているだけである。
 来世というものに、希望を持ったところで、分かるはずのない未来の世界」
 これこそ、まやかしといってもいいだろう。
 どこをどうとっても、
「未来や来世に救いを求めることが幸せだというのだろうか?」
 何といっても、
「見えてくるはずのないもの」
 それが、来世なのである。
「見えないのをいいことに、来世というものを解こうとしているのだろうが、見えないことがどういうことなのかということを、洗脳によって考えられないようにしているのだろうか?」
 だから、
「死を恐れずに戦う」
 という集団が出来上がるのだろう。
 かつての、大日本帝国は、そうではない。
「天皇を敬い、自分たちが神の国に生まれた」
 という洗脳を確かに受けているだろうが、宗教のように、
「来世に救いを求める」
 ということをしているわけではない。
 基本的には、
「愛国心」
 そして、家族への愛情というものが強かったのではないだろうか。
 そういう意味で、
「国民は皆、天皇の子供」
 といってもいい発想で、
「大日本帝国という国は、一つの大きな家族であり、家族の安全を守るのは、自分たちの役目だ」
 ということで、
「死を恐れずに戦う」
 ということだったのだろう。
 とはいえ、
「死が怖くない人間などいるわけはない」
 どうしても、大東亜戦争というと、
「カミカゼ」
 と呼ばれる特攻隊の存在や、昔からの、武士道による、
「ハラキリ」
 という発想から、欧米諸国には、信じがたい時代になっているといってもいいだろう。
 それを考えると、
「さすがに、最後は、特攻であったり、玉砕」
 などという、
「生き残ってはいけない」
 という風習があったのだが、最後は、狂喜乱舞と言った精神状態だったのかも知れない。
 人間というのは、究極である
「死」
 というものを目の前に迎えると、考えられないような発想になったりするということになるのであろう。
「人間というものは、どんな時代を生きるということで、その運命を、数奇なものとして、考えざるを得ない」
 といえるであろう。
 だが、これは、あくまでも極端な例であり、
「自爆テロ」
 などの宗教団体であったり、
「カミカゼ」
 という、
「大日本帝国末期:
 というのは、
「常軌を逸した」
 という状態だったといっても過言ではないだろう。

                 大団円

「人間には、来世や前世の記憶はない」
 というが、本当であろうか?
 確かに、前世で、
「来世への救いを求めて死んでいった人」
 のことを思えば。前世の記憶がないのは、おかしいと思うのだろうが、現世で生きている人間とすれば、
「前世のそんな悲惨な記憶であれば、ない方がいい」
 と思うことだろう。
 少しでも、今の方が前世よりもいい時代に生きていて、幸せを感じるのであれば、
「前世など関係ない」
 と思うのであって、完全に、前世の自分というのは、
「今の自分とは別人でしかない」
 という発想になるのであろう。
 それを考えると、
 山之内教授の研究が、
「前世と来世の記憶の融合」
 というものであり、それを、
「タイムリープに生かせないだろうか?」
 というものであった。
 普通であれば、
「タイムリープというのは、自分に憑依するということなので、自分の生きていた時代でしか通用しない考えだ」
 ということになるのだが、教授はそれを、
「来世、あるいは、前世であり得ることにしたい」
 ということで、タイムリープの範囲を広げる研究をしていた。
 その研究が、一体どこに繋がっていくのかということは正直分かっていないが、その発想が、
「新たな教授の名誉となることは間違いない」
 と思っていた。
 だが、
「俺たちに何の得があるというのか?」
 ということを言い出したのは、坂巻の昔からの親友で、同じように研究室に残ることになった山村だった。
 山村は、一度、民間の会社に就職したのだが、その会社が、倒産してしまった。いきなりの倒産で、そもそも、表から見ているのと、中とでは、まったく違うという、
「ブラック企業だった」
 ということである。
 だから、会社を辞めることで、路頭に迷うところだったのを、坂巻が教授にお願いして、「研究室に入れてもらった」
 ということであるが、実は教授も、最初から、
「山村に目をつけていたようだ」
 だから、坂巻の要請を、二つ返事で了承し、今は、皆で研究しているということになるのだ。
 ただ。山村は、
「元々、民間志望たった」
作品名:お教とお香の覚醒 作家名:森本晃次