剣豪じじい 4章(完結)
その天守閣のなかでは、将軍はじめ老中の面々が集まり、はらはらしながら火の行方を見守っているだろう。
そんな重要な場所であるのに、なぜ警備も藩兵もいないのか。
みんな大手門のほうに駆けつけてしまったのか。
「ここで守ろう。門のなかの石の壁の陰で待機しよう」
顎の平蔵は、作戦の指示をする。
やはり、あたりの薄暗さは消えない。
十六の頭巾が、石の壁の陰に並んだ。
頭上で、ばあん、となにかの弾ける音がした。
密閉された何層かの窓が、熱で破裂したのである。
すると門の外側に、人の気配がした。
ささささっと土を踏む、忍びかごとき足音だった。
相変わらず、見通しはきかない。
その足音は黒い影となってふいに現れ、あっというまに接近した。
はっきりはしなかったが、四、五十はある。
火事装束ではなく、黒っぽい日常の着物姿だ。
「どこの者だ」
顎の平蔵が、人影にむかって呼びかけた。
小門のまえにいるいくつかの頭巾に気づき、一行が足を止めた。
「長州、毛利の藩兵でござる。急ぎ駆けつけた」
先頭の細身の男がそう答えた。
が、寅之助も次郎兵衛も、そして顎の平蔵もすぐに気づいた。
毛利家は外様である。
もっとも警戒すべき反徳川の代表として知られている藩だ。
そんな藩が、城の内部深くの警備など命じられる訳がない。
「貴殿は、毛利のいずこの生(しょう)でござるか」
とっさに寅之助が問いかけた。
が、細身の男は口ごもった。
すると男の背後の集団のなかから、『安芸の国だ』とだれかが答えた。
「毛利の藩兵と申したこの男に訊いておるのだ」
寅之助が言い返す。
すでに門の側面の石壁の陰には、顎の平蔵の忍びたちが潜んでいる。
「寅之助……ひけ」
顎の平蔵の声がした。合図だった。
同時に石塀の陰から、幾つもの手裏剣がいっせいに飛んだ。
手裏剣は、一人五発、七人の忍びの者の武器だ。
手裏剣は風を切るかすかな音をたて、光る目玉を目がけた。
脅しではない殺人の武器である。
ずっしり重い星型の刃金は、眉間に突き当り、頭蓋骨を貫く。
「ぎえっ」
同時に幾つもの叫び声が、あがる。
額をぶち抜かれ、血を吹き上げ、次々に倒れていく。
なにが起ったのか分からない。
毛利の藩兵は、危機に気づいた。だが動けない。
あわてて腰を落とし、身構えるだけだ。
両者の距離は十五メートル。
暴徒たちは、素早く城に侵入するつもりだった。
だから槍や鉄砲ももたず、胴鎧などの防具類も着けていない。
普段着をまとい、腰の刀だけである。
対する顎の平蔵の部下を含めた十六人も、武器は各自の腰の大小だけだ。
薄暗いので、互いに相手の人数も分からない。
「小刻みの半鐘は、おまえたちだな」
暴徒の一団に、寅之助が問いかける。
だが、だれも答えない。
寅之助は目を凝らし、相手を探ろうとした。
もし、残りが二十名くらいであれば、一気に踏み込んでいく覚悟だった。
勇気をだし、先に攻撃を仕掛けた方が有利になる。
怖じけた気持ちがすこしでもあれば、隙ができ、負けにつながる。
寅之助が平蔵を促そうとしたとき、上から『がらがらがら』と音をたて、どすんと両者の間に火のついた木材が落ちてきた。
辺りが一瞬ぱっと明るくなった。
「おお」
双方が互いに声をあげた。
「なんだ。じじいどもじゃねえか」
暴徒側の声だった。
が、その暴徒たちの数は、なんと七、八十人ほどもいたのだ。
不吉な面構えの男たちが、門のまえにずらり重なって並んでいた。
その足元には、額に手裏剣を突き立てて横たわる仲間がいた。
寅之助も次郎兵衛も、たしかに年寄りだった。
だが、明るくなってみたら、いつの間のか二人の超老人がさらに横にならんでいた。
だれだおまえは、と声をあげそうになった。が、はっと息をのんだ。
「お師匠さま。青雲斎殿」
さきに次郎兵衛が叫んだ。
青雲斎は次郎兵衛の剣の師匠だ。
「一刀斎殿」
寅之助も叫んだ。
剣豪の時代に、数々の真剣勝負に挑みながら、一度も負けなかった剣の天才だ。
「わしらは、西の丸で隠居しておった。そうしたら火事だ、と通達があってのう。急ぎ外にでてみると、なんとお前たちがいたではないか。ただならぬ気配でもあり、何事かとついてきた。そうしたらこのざまではないか」
伊藤一刀斎は、棺桶からでてきたように萎びていた。
だが、目だけはきらきらと輝いていた。
その目が『剣は人のために使うものだよ、若いの』と言っているような気がした。
「何か手伝えるんじゃないかと思ってのう」
青雲斎が、一刀斎の言葉を継いでつづける。
白く長い顎髭を、おりからの風になびかせる。
突然の師匠たちの出現におどろきながら、寅之助と次郎兵衛は二人そろって緊張感のなかでうなずく。
「あのときは、青雲斎殿が使う死頓(しとん)の術でわしら二人は一緒に行方をくらました。久しぶりじゃのう。たしか寅之助と申したな。わしの名刀はちゃんと保管しておるか」
死頓の術とは、あたかも死んだように見せかけ、姿を眩ます忍術である。
腰の曲がった伊藤一刀斎は、左手を腰の後ろに伸ばして均衡をたもちながら顔をあげ、きょろきょろと暴徒たちを観察している。
「こら、じじいども、こんなところでなにをうだうだ話しあっていやがる。天国がどっちかを聞いているんだったら、ずっとこの上の方だ」
ふふっと笑う者がいた。
暴徒は、今さっき手裏剣で一気にやられた事実を忘れ、この年寄りが警護隊の中心らしい、となめてかかろうとしていた。
「さあ、門を開けて通せ。われわれが天守閣に登り、幕府の悪者たちを叩き斬る。天誅だ」
明かりに照らされ、浮かび上がった暴徒たちは、まちがいなく浪人を混じえた集団だった。
顎に不精髭を生やし、鼻毛をのぞかせている者さえいた。
自分たちがみじめな生活を強いられているのも、みんな徳川のおかげだと恨みつらみに凝り固まった面構えだ。
しかも七、八十人もいた。
年寄りの剣豪の助っ人が加わったとはいえ、七、八十人は多すぎる。
「家光の隠し子として将軍の後見人となり、綱吉を意のままに操る会津藩主、保科正之と松平などの老中たちを征伐する」
暴徒集団の真ん中で、暴徒の頭目らしき男が叫んでいる。
目の鋭い坊主頭の男だ。
さっき落ちてきた火種が燃えつき、また暗くなりかけた。
だが、火のついた戸袋がまた落ちてきた。
寅之助が頭上に聳える天守閣を仰ぐと、五層の窓からちらちらと炎があがっていた。
とうとう天守閣にも火がついたようだった。
燃えた木枠が地面に落下し、火の粉を散らした。
つづいて今度は、どたどたどたと音をたて、幾つもの物体が落下してきた。
なんだ、なんだこれは、とだれもが思った。
「ええー?」
両陣営から声があがった。
体を丸めるようにして着地してきたのは、十人ほどの人間だった。
黒ずくめの衣装だ。あきらかに忍びである。
十人が、丸めたからだをゆっくり伸ばし、顔をあげる。
「おおお?」
また双方からおどろき声があがった。
黒ずくめの忍びも、全員がじじいだったのだ。
そのじじいの中に、たった一人、ばばあがいた。
「お鈴」
寅之助が声をあげた。
お鈴はぐるっと全体を見渡したあと、寅之助と目を合わせ、にこっと笑った。
作品名:剣豪じじい 4章(完結) 作家名:いつか京