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剣豪じじい  4章(完結)

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一行が隅田川から日本橋を目指していたときは、右手からの北風だった。
だが和田倉門に着いたときは、正面からの西風に代わっていた。
しかも、火の粉が混じっている。

一行が上陸すると、提灯の揺れを手で押さえながら、足元を照らす集団が右手から現れた。
灰と上空を覆う黒煙とで、あたりは夜と同じ暗さである。
連中は、二の丸や三の丸の女中だった。
火の粉が庭に降り注ぐようになり、用心のため、西の丸に移動するところだった。

「天守閣へ急ごう。ご案内いたします」
城内にくわしい顎の平蔵が、先頭に立った。
頭巾の十六名がぞろぞろと動きだす。
よく見えないので、前の者の背中に手を添えて歩く。
さながらに座頭の集団のごとくである。

そのまま進んだとき、前方の闇のなかに、ざわざわと人の集団の気配がした。
「目付の配下、お銀様の忍びの者でござる。火事につけ込み、城を襲う謀反者の知らせがあり、警護の役を仰せつかった」
顎の平蔵が、暗闇にむかって告げる。

「おお、ご苦労」
声が返った。
そこにいたのは、城を警護する藤堂藩の藩兵たちだった。
ぼんやり見えたのは、全員が黒っぽい火事装束だったからだ。

さらに堀際にも大名たちの藩兵が、同じような火事装束で通路を固めていた。
寅之助たち一行は、すぐに坂下門にたどり着いた。
ここも大名たちの藩兵で固められていた。
兵を派遣した大名たちは、すべて譜代大名だ。
昔から徳川家に仕えていた、古参たちである。

藩兵たちは、みな槍や鉄砲で武装していた。
西の風が強くなり、暗い空に火が降り注ぎだした。
江戸城の西側の空が赤く染まる。
「麹町や番町、そして竹下側が燃えているようだ」

顎の平蔵は油断なくあたりを窺いながら、西の丸の奥を見守る。
竹下側は、天守閣をはさんで城郭の反対の位置だ。
赤い火の粉に照らされ、前方に天守閣の白壁がちらりと浮かぶ。
「三の丸に火だ」
叫ぶ声が聞こえた。同時に一行の右手の奥が明るくなり、十六人の頭巾が浮かび上がる。

案内人の顎の平蔵をわきに控え、先頭を行く寅之助一行は、これからなにが起きるのかと闇に眼を光らせている。
少し離れた場所から、また叫び声があがる。
「二の丸にも延焼しているぞ。大手門を固めろ」
大手門は、城の真正面の出入り口である。

寅之助たちが目指した坂下門は、脇や裏口に通じる出入り口だ。
しかも坂下門は通路が鉤型になり、一旦もどってから折り返さねばならない作りだった。
もちろん戦略上の城の設計である。
「大手門だ。急げ」
警備隊の隊長の命令が聞こえた。

謀反に備えた藩の警備隊が、そこから大手門に移動しようとしていた。
堀の外で警戒していた藩兵たちも、一緒に動きだす。
二百名ほどの火消装束の武装藩兵が、坂下門からふいに姿を消してく。
その場を、刀を腰にそなえただけの十六名がとって代わっていたのだ。

「鳴りだした」
寅之助も次郎兵衛も顎の平蔵も、自分たちがやってきた和田倉門のほうを仰ぎ見る。
「例の鐘だ。来たぞ」
全員の目が、夜行性生物のごとく薄暗い空間で輝く。
からだをこわばらせ耳を澄ます。

かんかんかんかかかかか……。
まちがいなく小刻みな音だった。
「避難民になりすまし、あちこちに散っているた浪人たちを、あの鐘で集めていやがるんだ」
次郎兵衛が、探るように空間に目を走らせる。

平蔵の部下たちも耳をすまし、風と炎と建物の崩れる音の中から気配をひろおうとする。
「人数はどのくらいになるのか?」
寅之助が問いかける。
「この火事から逃れ、外堀や内堀の屋敷の陰に隠れていた浪人たちだ。大した数にはならない」
顎の平蔵が答える。

かんかんかんかかかかか……。
火事を生き残った浪人の同志たちを、小刻みな鐘が必死に呼んでいた。
「多くて五十人か」
次郎兵衛が予測した。

「そんなもんだ」
寅之助も顎の平蔵も同意する。
「たいしたことはない。この十六人で充分だ」
そう言ったのは、蝿を切った重太郎だった。
やる気じゅうぶんのようだった。

お前、剣豪かぶれだった父親をちゃんと見ていたんだな、と寅之助はうれしくなった。
が、今は、やってくる連中の方が先だった。
空から、にわかに火の粉が降りだした。
天守閣に降り注いでいる。

「城に火の手があがれば、警備の者が正面の大手門を固めると分かっている。やつらは隙のある坂下門にきっと現れる。やつらの姿が見えたら、より暗い塀の陰に身を潜める。そして、忍びの実働部隊が手裏剣で一斉に攻撃する。実働の忍びは、七人いるので一人五個の手裏剣で、三十人は仕留められる。手裏剣を顔面に受けてあわてているところを、全員で襲いかかる」
顎の平蔵の戦略だった。

寅之助も次郎兵衛も寅之助の倅の重太郎も黙って聞いている。
「菊乃、あなたは戦いに加わるんじゃない。いいな」
隣についている菊乃に寅之助がささやく。
「はい」
素直に答える。

しかし、なにかがあれば刀を抜き、一緒に戦うつもりらしく、目つきが怪しい。
三の丸が盛んに炎をあげ、二の丸も本格的に燃えだした。
さらに、徳川政策の実務をとりしきる本丸も燃えだした。
女性が大勢いる大奥はどうなるのかと一瞬,寅之助の頭をよぎる。

おかげで辺りが多少は明るくなり、人の姿くらいはわかるようになった。
だが、さっき半鐘が鳴ったきり、連中は一向に姿を見せない。
気になるのは、天守閣にも火の粉が舞いだしたことだった。
火事は城の西側をさかんに責め、煙が天守閣を包んでいる。

「平蔵、連中は姿を見せぬが、すでに大手門を突破し、天守閣に迫っていないだろうか?」
寅之助の問いに、次郎兵衛が意見を述べる。
「俺も気になる。奴らはもしかしたら、ここは通らないかもしれないぜ」
「しかし、そんな簡単に天守閣に近づけません。大手門だって藩兵がびっしり詰めているんです」
発言したのは、お城勤めをしている寅之助の倅の重太郎だった。

よい意見だと寅之助は心でうなづく。

もちろん天守閣には耐火性が施されている。
寅之助にも顎の平蔵にも、連中が坂下門を通らず、なんらかの方法で天守閣に突入するのではないかという恐れがあった。
天守閣の入口、小門に偵察をだすか、それとも全員でそのまま移動するかと迷う。

ずずずんという地響きともに、轟音がした。
北側だった。花火のごとく、一帯をぱっと明るくした。
火薬庫の爆発だった。
明るくなった瞬間、城の周囲の焼け焦げた景色が見えた。

本丸も盛んに燃えている。
大奥の千人からの女性はどうしたのか、と寅之助はまた気になった。
「天守閣のほうに移動したほうがいいのではないか」
顎の平蔵の意見だ。
「移動しよう。天守をもっと近くで守ろう」
寅之助も次郎兵衛も賛成だった。

西の丸の堀に沿い、急ぎ移動する。
ますます火の粉がはげしくなる。
十六の頭巾にもふりそそぎ、必死に袖で払い落とす。
でに天守閣がいつ燃えても、おかしくなくなっていた。

ようやく天守閣の入口の小門までやってきた。
だが、そこに警備の者の姿はなかった。
火の回りが速く、勤務のお役人も逃げるのに精いっぱいだったのか。
すぐ目の前に五層の天守閣が聳えている。