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剣豪じじい  4章(完結)

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「お茶の師匠はやめて、剣豪じじいになるのか」
寅之助が問いかける。
「城を守る。お茶は一時とりやめだ」
「寅之助さま、次郎兵衛さま、わたしも行きます」

菊乃が背中の雪之丞を揺すりながら、二人の剣豪じじいに訴える。
「会津への旅のときはうまくいったが、今回はだめだ」
寅之助はきっぱりと応じる。
「菊乃さま、大人しくここで待っていてください」
次郎兵衛も菊乃を諭す。

「父上、拙者も行きます」
横から口を挟んだのは、重太郎だった。
何事にも無感動だったその顔が、今は引きつっている。
「拙者も天守閣を守ります。武具の倉庫番のお役目はもうあきました」

父親や次郎兵衛や平蔵たちの部下のやりとりを目の当たりにし、ようやく父親の実態を把握したようのである。
さらに重太郎は、興奮した面持ちで口走る。

「よい機会ですからここで手柄をたて、出世します。関が原の合戦と思ってがんばります。三日に一度の勤務とはいえ、やることがなにもなかったので、実は父上には内緒で、勤務の仲間たちと剣の修行に励んでまいりました。十八のときから十四年間も続けてきました」
組屋敷で無表情だった重太郎が、急にりりしく眉を引きつらせる。

ええ?っと寅之助は驚きをおさえ、倅の重太郎を見守る。
そのとき、どこでどんなふうに生きていたのか、大粒の冬の蝿が一匹、ふらっとよろけるように飛んできた。
「父上、ごめん」

倅の重太郎は、とっさに寅之助が持っていた大刀を引き抜いた。
「やあ」
書院にかけ声が響いた。
そんな所作を見せるからには、冬の蝿は真二つに斬られるものとだれもが思った。
が蝿は、白刃の閃光をあびながら飛び、天井板にぴたっとしがみついた。

一瞬の沈黙のあと、笑っていいのか、どのようにつくろうべきかとみんなは、やり場に困った。
しかも大失敗を演じた重太郎は、すました顔で刀を寅之助の腰の鞘に戻していたのだ。
と、天井の蝿が風に吹かれるかのごとく、ふわっと翅をゆらし、落下した。

その途中で、翅をくるくると回転させ、左右別々の状態になって畳に落ちてきたのだ。
「父上、その刀……」
刀の切れ味と重太郎に、その場の全員が目を見張った。

「それは伊藤……いやその話は別の機会にしよう。平蔵はまだか?」
寅之助はの驚きも一塩であったが、心の内を隠すため、平蔵の部下に声をかけていた。
「はい、まだです」
外には相変わらず北風が吹いている。
畑に並ぶ矢来竹の柵が、ぴゅーぴゅうーと悲鳴をあげている。

顎の平蔵が手下を連れ、やっと現れた。
衣服のあちこちが焼け焦げている。
長い顎や頬も鼻も真っ赤だ。眉も睫毛も焦げている。
「お銀様に、いやお鈴様に会いにいったが、城のすぐそばまで火が回っていた。あの火の勢いでは、お鈴さまの館もたぶん燃えてしまっただろう」

「やはり、天守閣に火が迫っているのか」
「迫っている」
顎の平蔵が、真くただれた顔でうなずく。
そのとき、小刻みの半鐘が聞こえた。
なんだ、と寅之助はぎょっとした。

「この半鐘……」
はるか遠く小刻みに、かかかかかか……とたしかに響いている。
「例の合図だ」
「まちがいない」
「やつらだ」
寅之助と平蔵と次郎兵の三人が顔を見合わせた。

かかかかか……とまた鳴った。
が、すぐに止んだ。
あとには、不気味な風の音ばかりが残った。
通状であれば、そんな鐘の鳴り方はしない。
変である。やつらの合図なのか。







巻き上がる灰塵。
舞い上がる黒煙。
江戸の空はまだ昼前だというのに、薄暗い。

寅之助、顎の平蔵、次郎兵衛、重太郎、平蔵の手下が八人、次郎兵衛の門人が三人、計十五人。
火よけの頭巾を被っているが、動きやすさを考え、いつもの姿だ。
寛永寺の上野とは反対側、浅草に向かった。

隅田川にでて舟で日本橋、そして和田倉門を目指す。
小刻みの半鐘はあれきり聞こえない。
合図としてあれで充分だったのか。
天守閣には、将軍とその主だった幕府の家臣たちがこもっているだろう。

家臣団には、徳川四代将軍信綱の跡見人であり、菊乃のおじいさんにあたる会津藩藩主の保科正之もいる。
保科正之は会津には帰らず、江戸でずっと四代将軍を支え続けている。
この混乱状態で連絡がつかなかったが、すでに江戸城内には、お鈴の配下の忍びたちが警備体制をとっているだろう。

鶯谷の忍びの頭、顎の平蔵はこんなときのため、舟を用意していた。
三隻の舟に五人ずつが乗り組み、船頭は各舟に二人。
船頭が艫に並んで船を漕ぐ。早舟である。
両国方向にむかい、大急ぎで舟が進む。

どすん、どすん、と舳先になにかがぶつかる。死体である。
焼けた者、あるいは火から逃れて川でおぼれた者、次々に、浮いた死体にぶつかる。
両国をぬけたころ、辺りが一段と薄暗くなった。
前方、右の京橋あたりから煙が流れ、あたり一面をおおっていた。

それでも六名の船頭のかけ声が一つになり、三艘の舟が川面を突き進む。
三艘が縦一列になったときだった。
先頭の舟の艫にいた寅之助は、薄暗い景色のなかで、二番手の舟に目をやった。
均等に五人づつ乗り組んでいるはずなのに、六人いたのだ。

「おーい、そこの一番うしろの小柄なやつ、だれだ」
全員が頭布を被り、火の粉をよけ、伏せている。
まさか敵側の忍びかと言葉が鋭くなった。
「顔をあげろ」
ゆっくりあげたその顔は、瓜実で目が大きく、色が白かった。

「菊乃」
「行かせてください。わたしも城を守ります」
菊乃は、男の筒袖の着物に着替えていた。
いつのまにか菊乃が……と驚いてもそこからではもう引き返せない。
舳で緊張している平蔵や次郎兵衛も、おどろきふりかえっる。

どうしたものかと寅之助も、一瞬、言葉に詰まった。
「まさか、雪之丞をおぶっていまいな」
とりあえずそんな言葉しか口から出なかった。
「雪之丞は夏江さんに預かってもらいました」

もちろん、帰れ、だめだ、どういうつもりだ、と怒鳴りつけたかった。
が、引き返す訳にはいかなかった。
「決して戦闘に参加するんじゃない。あなたは、まちがって死んだりしてはならない立場なのだ。いつも後方に控えていろ。いいな。急げ、急げ」

寅之助は菊乃の返事も聞かず、船頭たちを急かした。
佃島の手前の堀を右に入った。
そのまま日本橋に行くのだ。
あたりがいよいよ暗くなってくる。
昨日燃えつきたはずの左右の家が、まだ炎をちらつかせている。

人影はなく、岸に見えるのはすべて焼死体である。
いったい、どのくらいの人間が焼きだされたのか。
あたりがますます暗くなってくる。
火事で焼けた灰が、色濃く舞っている。
両岸もぼんやりとし、見えなくなってくる。

それでも舟は、暗い水路を進む。
どすん、ごつんと相変わらず死体がぶつかってくる。
日本橋で下船の予定が、堀の所々に設置された水門が開けたままになっており、呉服橋門、そして和田倉門までそのまま進む。

「和田倉の水門が閉じられているので、これ以上は進めません」
いつのまにか、城の内部にいたのだ。
その位置から仰げば、白い五層の天守閣が前方に聳えているはずだ。
しかし、左右にぼんやり赤い炎が見えるだけだった。