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剣豪じじい  3章

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「ちょうど菊乃に関連しているから続けよう。よいしよっと」
お鈴は胡坐をかいた膝小僧を閉じ、正座の姿勢に戻った。

「さて、保科正之の最初の妻はお菊の方だったが、その次の妻は『お万の方(家光の側室と同じ名前だが別人)』だ。お万の方は、嫁いでから十二年の間に、四男五女を産んだ。しかし、四男の正経(まさつね)以外は、夭折するか大人になる前に亡くなってしまった。さらに側室には『おしほ』がおり、三女と四女の二人をもうけたが、この二人も大人になる前に病死した。結局、正之は十一人の子をもうけたが、成人したのはたった一人だった。

四男以外がすべて病死したのである。それゆえ、もしかしたら正経もと気が気ではなかった。もしなにかがあって、世継ぎがいなければ御家断絶である。江戸で辣腕をふるう幕閣の一人であっても、幕府の決まりに例外はない。当然、なんとかして他に男の子をと正之は焦った。

しかし、己の栄華以外に興味のない側室のお万の方には、殿様の事情などどうでもよかった。新たな側室をどうしても許さない。正之が密かにお取り潰しの恐怖におびえるのと同様、お万の方も、新たな側女に健康な男の子が生まれたら次期将軍の母親としての地位も権力も奪われてしまう、という恐怖に苛まれていた──という訳だ」

源兵衛や長谷川次郎兵衛の話が、あながち根拠のない噂などではなかったようだった。
とにかく大工が漏らした『正室』とは、保科正之の妻である『お万の方』を意味したのだ。
そのお万の方が、雪之丞の居所をつきとめ、なんらかの方法で菊乃と雪之丞を亡き者にしようと企てていたというのだ。
次期藩主の母親という立場が、男の政治の世界にまで足を踏み込ますのである。

平和になったと思ったら、平和裡の権力争いの世界が出現するのである。
やはり三千石はやめたほうがいい、神田川のほとりでのんびりお茶を飲んでいた方がいいのではないのか、と冷めた憶測が寅之助の頭をかすめる。
真顔になった、お鈴の話がつづく。

「保科正之様も菊乃が男の子を生んだと知ったのだが、密かに援助をつづける以外、うかつには近づけなかった。正之にも政敵がおり、密かに正妻のお万の方と裏で組み、菊乃とその子の命を狙うかも知れなかった。菊乃は、剣術の修行のため、江戸に出向いたり山にこもったりしていたが、ふいに姿をくらました。

ところが、会津の屋敷が焼かれたとき、なんと寅之助とともに乞食の姿で現れたのだ。その後も居所が不明になったが、正之はほどなく江戸に住む寅之助の情報を得た。そして、二人の江戸詰めの会津の部下にようすを探らせようとし、先ほどようやく寅之助に接近したのだが、御用畑で捕まり、私の部下に取り調べを受けようとしたとき、自らの失策を恥じ、隙をみて喉を突いてしまった。二人とも若いのに無念だったろう」

お鈴は眉を寄せ、うなずく。並み九曜の紋をつけた二人は、会津堅気の律儀な侍だったようだ。
「残った例の医者と薬屋からはなにが聞けたんだ。おれは死ぬ間際の医者から最期の妙なつぶやきを聞いたがな」
気心の知れたやりとりだったので、寅之助も『おれ』と昔のように口にした。

「医者の男は傷を負って死んでしまったが、なにか漏らしたのか?」
あのつぶやきは、寅之助にしか聞こえなかった。
「そうだなあ」
寅之助はわざと腕を組み、天井を見上げる。
「取りひきがしたいのなら、五千石だ。お目見えの地位もつけてやる。どうだ」

お目見えとは、お城に登場のさい、大広間で直接将軍と顔を合わせることのできる旗本の地位である。
「いや、三万石だ」
半分冗談である。
「一国の主になるつもりか」
「そのとおりです。武士として、平和で豊かな国をお造りいたします」
寅之助は、なんだか本気で言っているような気になった。

「いいことじゃのう。だがおれの知っているところでは、薬持ちの男の方はその日に雇われた中間だそうだ。それが、突然斬り合いになったので魂消、逃げたのだが、その中間の男が、医者に扮した男に『自分は以前会津藩加藤家の侍だった』と話していた、ということだがのう」
「ついに会津の浪人がでてきたか」
寅之助は組んだ腕をほどき、お鈴に頷いて見せる。

そもそも、はじめに菊乃と雪之丞の命をねらったのは、会津藩に巣くう浪人連中だった。
簡単に言えば、代々の家老が若き殿様の乱行を咎めようとして争いになり、徳川幕府に不行届きの罰をくだされた。
そのときの幕政の中心人物であった保科正之に、会津藩を乗っ取られたと思い込んだのである。

「寅之助殿、それで医者がなにを口にしたのかね」
さあ、とお鈴がうながす。
「やつの口元に耳を寄せ『だれに頼まれた。なにが目的だ』と問いかけると『あいづの、ろうにん……ほしなをやっつけ……えど……』と虫の息で答えた。会津の浪人だと? 江戸だと? ほしなって会津藩主の保科正之のことか? とおもいながら『それで、なにをするつもりか』と問いかけると『しろ、もやす……はやがね……あいず……』とつぶやき、息絶えてしまった」

「会津の浪人が保科正之をやっつけるため、早鐘を合図に江戸に火を付け、城を燃やす────というのか」
お鈴は、医者のつぶやきとやらを自分でまとめ、息を呑む。

「江戸の浪人も仲間に加わる。幕臣一人の保科正之よりも、本当は徳川が目的だ」
「城とは会津若松の鶴ヶ城ではないのだな」
「本丸の天守閣でしょう。江戸を焼き尽くす気だ」
お鈴が忍びの大頭の立場に戻り、鋭い目つきになる。

と、二人が密談を重ねる奥屋敷の屋根を越えた彼方から、妙な音が聞こえてきた。
ぎょっとなって二人が顔を見合わせる。
「まさか」
二人とも、年寄りには似合わぬ素早さで立ち上がった。

「顎平」
「次郎兵衛殿」
すぐに二人の男が奥の書院に現れた。
顎の長い、鶯谷の忍びの頭でもある平蔵。
もう一人は●灰色の帽子を頭に乗せた茶の師匠の谷川次郎兵衛だ。

突然の声がかりに、なにごとかと息をとめ、入口に立ちすくむ。
「平蔵、半鐘が鳴っておるだろう」
「はい、お銀様。しかし、かなり遠くです」
お鈴は、正式にはお銀と呼ばれていた。
「それに、延焼はなさそうです」

次郎兵衛が空間に目を凝らし、遠くの音を耳で捕らえながら応える。
かすかな半鐘は、一か所から断続的に響いている。
延焼があれば、数か所から響いてくる。
そんなときはかなりせわしく、そして賑やかになる。

お鈴と寅之助はまた顔を見合わせ、安心したように頷き合った。
「お銀様、ひとつ聞きたいことがある」
寅之助はあらためてお鈴に向きなおった。
どうぞとお鈴が目で答える。
「乞食姿で日光街道に現れたのは、事前から計画したお役目だったのでしょうか?」
ふいに現れたお鈴が、寅之助には不思議だった。

「寅之助としては、会津の浪人たちの不穏な動きを察知していたという答えを期待しているのだろうが、実はあの旅を最後におれは引退するつもりだった。その記念に、長年やってきた乞食姿で日光にお参りし、あとはどこかでゆっくり余生を送る予定だった。だが、旅の途中で剣豪じじいとやらに巡り合ってな、何やら事件らしき騒ぎに巻き込まれ、こっちも急に元気になってしまったんじゃのう。当分はこの件から離れられぬであろう」
作品名:剣豪じじい  3章 作家名:いつか京