剣豪じじい 3章
突き当った野菜の棚を背中で押し倒し、蔓草を剥いですり抜ける。
追う二人も棚を踏みつけ、なおも迫る。
不利な立場の大工と会津藩士は、畑のなかを必死に逃げた。
双方とも次々に柵を壊し、蔓の作物を踏みにじる。
右に左に、攻撃をかわしながら遠慮なく逃げる。
いつしか畑のなかを回りこみ、寅之助が潜む樫の木の下まできていた。
そしてそれぞれが、そこで背中を合わせた。
敵の敵は味方だ。
大工と町医者と供の男は、無言のまま三人で二人の侍と対峙した。
三者と二者は息を喘がせ、互いに向き合う。
「おまえたち、ここでなにしてる」
会津藩士の一人が、あらたに三人に問いかける。
「それは、こっちの台詞だ」
坊主頭の町医者が言い返した。
「貴公、町医者の格好なんかして、隠密であろう」
「ばかいうな。おれは加賀様の下屋敷に呼ばれて、そっちにいく途中だ」
加賀様とは、そこから斜めの方向に広大な屋敷を構えた、百万石の外屋敷である。だがかなり遠いい。
「道がちがう。嘘つくな」
「大工の親方、おまえも同じだな。丸八印の法被なんかで変装しやがって」
「同じなもんか。おれはこいつらとは関係ねえ」
大工の親方は、加賀屋敷に赴くと称する町医者をあらためて見やる。
「関係ないだと?じゃあ、なんで一緒におれたちにかかってくる」
「それを言うなら『並み九曜』の羽織を着た藩士が、なんでここにいる」
「どこにいようとこっちの勝手だ。御上(おかみ)の意向で御用があってのことだ」
「御上の意向? 御用だと ?」
会津藩士以外の三人が口をそろえた。
「なんの御用だ?」
三人の意気が合っていた。
「貴公らに答える必要はない」
会津藩士も声をそろえる。
「おまえたちこそ、なに用でここにおる」
「おまえらに答える必要はない」
坊主頭の医者が言い返す。
「もし役人として御用があるなら、おれたちを捕まえる理由を述べてみろ。会津のお侍さんよ」
「おまえたち、人のあとをつけていただろう」
「つけちゃいけないのか」
医者はとなりの大工に目をやる。
四角い顔の大工が、くいっと唇の端をかすかに歪め、うなずく。
「お前たちだって、つけてただろ?だれをつけてた。言え。言わなきゃ、大工のおれがぶった斬ってやる」
大工は、かまえた刀の切っ先を会津の藩士の切っ先にかしかしと当てた。
だが、かすかに震えている。
だれだって、死ぬかもしれない斬り合いは怖いのだ。
「さあ、どうだ」
「言えるものか。おまえたちこそ言え」
「だれが言うものか」
大工は、押されっぱなしだったさっきの斬り合いの挽回を図ろうと、いきり立っている。
「ちょっと、まて」
もう一人の会津藩士が片手をあげた。
「ここで斬り合うよりも、いっそ『せーの』で全員同時に、その者の名前を言ったらどうだ。それぞれなんらかのお役目があるのであろうが、家に帰れば家族もある。ここで身体を裂かれ、死にたくないだろう?」
全員が黙った。
遠くの方で、がやがやとなにやらの物音が聞こえてきた。
ここは公の通り道だ。斬り合いを演じている男たちの影を見つけ、通行人が集まってきているのか。
緊張しなければならない場面であったが、木の枝の上の寅之助は笑いを堪えていた。
会津藩士は、この手で相手に名前を告白させる作戦だ。
隠密らしき大工と医者と薬持ちが、こんな提案にひっかかる訳がない。
この申し合いで会津藩士は、黙っているか適当な名前を口にするかで相手を騙そうとしているのだ。
全員が刀を構えたまま沈黙した。
一呼吸置き、医者と向き合った会津藩士が真面目顔で念を押した。
「もう一度確かめる。拙者が、合図をしたそのあとで、全員がいっせいに白状する。いいか、それでは本番だぞ。言いうぞ。『せーの』」
『松下寅之助』
なんと全員が声をそろえた。
だれも斬り合い、最悪、命を落としたくないのだ。
寅之助は幹にしがみつく手を滑らせ、根元まで落下した。
どすんという物音に、全員が樫の木の根元に顔を向けた。
樫の木から男が落下してきたのだ。
「松下寅之助」
また、全員一致で声をそろえた。
寅之助はしたたか腰を打ったが、何食わぬ顔でとび起きた。
「なぜおれの後をつける。何用か」
腰を引き、素早く刀を抜いて身構えた。
木から落ちてきた年寄りのくせに、刀を抜くや、魔法にかかったかのごとく五体から殺気をみなぎらせた。
痩せて骨ばっているとうはいえ、眼光はするどい。
寅之助は、木の上から男たちを観察した。
その結果、寅之助は五人とも形通りの剣を習った名ばかりの侍と判断した。
一人ひとり、傷を負わせて動けなくさせ、それぞれがだれの命令で動いているのかを白状させられそうだった。
医者か大工のどちらかは、兵衛の仲間かも知れない。
もしそうなら、江戸の浪人との関係が聞きだせる。
また、だれがどんな理由で隠すように育てたのか、菊乃の父親と母親の正体も掴めそうだ。
自分をつけてくる曲者は大事な情報原である。
よし、と寅之助は刀を正眼に構えた。
剣の柄の中ほどを片手で握りなおす。
それで腕をひねるだけで、剣を返すことができる。
数人の相手を一気にやっつける手法だ。
この場合は太股を狙う。
ざっくり腿を斬られると大量に出血する。
恐怖し、動けなくなり、戦う気力が失われる。
『じじいのくせに、すごい覇気だ』五人はそう感じた。
五人は放たれる殺気を避けるかのごとく、後づさった。
「やろー、この糞じじい」
四角い顔の大工が、破れかぶれの覚悟で突撃した。
歯を食いしばり、目を剥く。
寅之助は、大工が振り下ろす一撃を、足を踏みかえてかわした。
まるでなんでもない、剣道のお稽古がごとき所作だった。
寅之助の重心は、初めから踵にあった。
どっしり足を踏み込んでいては素早く動けない。
そして正眼に構えていた刀を、手首を返して横に払う。
大げさな動作はいらない。
腕をひねるだけだ。
寅之助の刀が突撃してきた大工の腰の下を通過する。
血しぶきがぱっとあがる。左右の太腿からだ。
大工は、臥せった姿勢で大の字状に倒れた。
そして左右の足をわなわなと震わせた。
「く、く、く……」
痛みを堪え、うめき声を漏らす。
「どうだ。まだくるか」
残った四人が、あんと口を開ける。
すげえ、という表情で寅之助を見守る。
そのとき、周囲が急に騒がしくなった。
5
野次馬ではなく、お百姓たちだった。
なんとその数が、三、四十人はいただろうか。
手に手に竹槍をもっている。
みんな、見えない畑の作の中で仕事をしていたのか。
手拭で頬被りをしている。
「こらあ。おめえら、ここでなにやってる」
顎の長い男が大口を開け、怒鳴った。
まん丸の目玉を、大きく剥きだしている。
お百姓たちの頭(かしら)のようだった。
「だいたい、か弱そう年寄りのじじいを、なんでみんなでいじめる」
背後には、結び目が顎にある頬被りの農民がずらりとならんでいる。
全員で、斬り合いを演じる男たちを睨んでいる。
寅之助も五人の男たちも、お百姓たちの出現にぎょっとなった。
太股を斬られた大工も伏してもがきながら、なにごとかと顔をあげた。
「おめえら、ここをどこだとおもってる」
顎の長い男が、目玉を光らせる。