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剣豪じじい  3章

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しかし、いまのところ怪しい者が周囲をうろつく気配はなかった。

その日の午後、神田川の繁華街で、カブキ者の一斉検挙があった。
捕まったカブキ者が縄に繋がれ、筵の上に晒されていた。
旗本や町人の次男や三男などがカブキ者として徒党を組み、あちこちであばれていたのである。
取り締まっても、すぐにぶり返した。

平和しか知らない若者には、徳川の世が退屈でたまらないのだ。
枕絵をくれた立髪(おつがみ)の男がいないかと探しが、見当たらない。
野次馬に訊いてみると、界隈で顔役だった立髪の若者が刀を抜いて暴れ、斬られて死んだという。

「ばかな奴めが」
あの男は、着物や髪型は派手だったが、ちゃんと働いていた。
抵抗しなくてもよかったのだ。
無念の思いを引きずるように神田川を離れ、湯島の通りに入った。

ちらり振りかえる背後には、五層の天守閣──江戸城の本丸が、発展する町を見下ろしていた。
寅之助は、菊乃と雪之丞に会える楽しい時間を思い描きながら湯島から不忍の池の脇をぬけ、上野へ向かった。
江戸の町は毎年すこしずつ広がり、道も外へ外へと整備されていく。

寛永寺の境内をぬけ、再び木立の茂る深い森の道を歩いた。
はっとなった。
背後に人の気配があったのだ。
かぶき者の取り締まりに気を取られていた。
糸のような視線が背を射す。

懐から手鏡をだした。
つね日頃、尾行者がいるかいないか、それで確認していた。
はっきりはしないが、木立の下に頬被りをした男の影があった。
右の肩に箱のようなものを担いでいる。
職人……どこか怪しい大工だ。

急ごう、と足を速めた。
坂を下りきると、道が緑の畑の中につづいている。
まず、右に曲がって畑一枚分を真横に突っ切る。
さらに左に曲がって、武家の下屋敷のほうに向かう。
そこから、道はまっすぐ伸びている。
一直線の道の左手の畑に、一本の樫の木が生えている。

寅之助は左の角を曲がるや、脱いだ草履を懐に押し込み、裸足で駆けだした。
目指す畑の角に生えた樫の木にたどり着くと、その幹に跳びついた。
若き日の修行のごとく、するすると登れた訳ではない
手ごろな枝に跨り、荒い呼吸をととのえた。
茂みの隙間から、眼下の道を見守った。

『きた……』
道具箱を左の肩に担いだ大工(正室の暗殺者)が、二番目の角を曲がり、姿をあらわした。
手拭いで頬被りをし、襟に丸八の屋号を染め抜いた法被を着ている。
体格はいいが、一目で本物の大工ではないと分かる。
手が白く指先が細い。目つきも鋭すぎた。
道具箱の上に寝かせた鋸らしき包の膨らみ具合から、そこに刀が隠されていると見た。
あたりを見回し、視覚から消えた寅之助に大工は足を速めた。

枝の上の寅之助は、あれっ?と声にだしそうになった。
大工のあとを追うように、薬箱を担いだ供連れの町医者が、姿を見せたのだ。
医者はつるつるの坊主頭だ。
町医者の格好をしているが……と頭をめぐらそうとしていると、なんと医者につづき、羽織を着た二人の侍が現れたのだ。

侍は顎をひき、緊張した顔を見合わせた。
消えた寅之助に、あわてている様子だった。
どうやら寅之助は、三組もの曲者に後をつけられていたようである。
今日に限ってどういうことだ……。

男たちは、組屋敷からあとをつけてきたのではなく、神田川沿いの繁華街の人ごみにまぎれ、それぞれが別々に寅之助が現れるのを待っていたのだ。
三者が重なったのは、ここ一週間雨がつづき、久しぶりの晴れ間だったこともあろう。
尾行をするのには、見通しがよく、足元も確かな方がいい。

最後の二人組の侍は、前方の町医者と大工をただの通行人と見ていただろうし、二番目の町医者と薬箱を担いだお供の男も、すぐ前の大工を行く先が同じ通行人と判断していたのだろう。
先頭の大工は消えた寅之助に気づくと足をとめ、素早く辺りを見回した。
樫の木に気づいたが、近づいて下から枝を覗く余裕はなかった。

大工は、道具箱を急いで足元に置いた。
背後の二人分の足音を耳にし、危機を感じ取っていたのだ。
屈みこみ、鋸の入った袋から刀を取りだした。
鞘から刀身を抜きはらう。

畑のなかの道を横切り、一本道にでた町医者と薬箱を担いだ供の男は、おどろいた。
蔓草の野菜の棚の角を曲がったら、一人の男が刀を構えて立っていたのだ。
しかもその男は寅之助ではなく、自分たちのすぐ前を歩いていた大工だったのだ。
「お……」
二人は一歩あとずさりし、そろって一本差した腰の長脇差を抜いた。

『何者だ』と、互いに言葉を発する暇もなかった。
が、さらに二人の侍がそこに現れたのだ。
着流し姿で羽織を羽織っている。
腰には黒光りする大小を差している。
「なにごとであるか」

今まで前を歩いていた三人が、白刃を抜き合っていたのだ。
二人の侍は叫び、とっさに太刀を抜いた。
木の上の寅之助にとって、これは予想外の展開だった。
明らかに三者は、菊乃の居所を探るため、寅之助のあとをつけていたのだ。

いずれは探りが入ると警戒はしていたが、三者が一度に現れたのだ。
菊乃の居所を知りたがっているのは、会津藩の浪人である源兵衛の仲間と江戸の浪人。
そして菊乃を育ててきた謎の人物、さらに……だれだ。

黒い羽織を着た二人の侍の羽織の胸元には、九つの白丸が並んでついている。
縦横三つの丸が並ぶ家紋は、『並み九曜』だ。会津藩である。
これには、寅之助もちょっとばかりおどろいた。
しかしその家紋を見、もっとあわてたのは大工と町医者と供の男の三人だった。

「お役人?」
「何用だ?」
大工と医者が同時に声を上げた。
すると対決していた三人は、互いの相手を警戒しながらも、暗黙の了解のごとく自分たちの背後に現れた会津藩の二人に立ち向かおうと刀を構える。
二人の会津の藩士も刀を抜き、対応する。

両者がじりじり迫り、青葉の畑に殺気がみなぎる。
刀を構えての争いは、生きるか死ぬかである。
鈍色の刃が身体にぶつかり、肉が裂け、血が吹きだす。
全員の形相が変わる。

にわかな修羅場である。
寅之助が、片腕で抱えている樫の木の幹に力が入る。
寅之助の見取りでは、全員互角である。
だから斬り合いは長引く。
睨み合い、攻めたり引いたりを繰り返す。
できれば全員が動けなるほど傷だらけになってくれれば、後で一人一人にじっくり尋問できる。

「だれの差し金だ」
法被を着、頬かむりした大工が言い放つ。
「会津藩士が何用だ」
薬箱を担ぐ、供の者を従えた坊主頭の町医者も迫る。
「お前たちこそ、何者であるか」
二人の藩士が言い返す。

偶然、三人並んだ攻撃態勢を作った左端の大工が、一歩前にでる。
刀の切っ先が会津藩士の刀に触れる。
「いやあ」
会津藩士がその切っ先をかわし、打ち込む。
大工は身をのけぞらし、右側によろめいた。

「いあやあ。おおう」
会津藩士は叫びながら、さらに突き立てる。
頬被りの大工は、手拭を被った丸い頭を左右に振って刀をかわす。
ばさばさばりばりっと、細竹で組んだ野菜の棚をなぎ倒し、後退する。

その間に、町医者と薬持ちの供の男が、一人残った会津藩士に襲いかかる。
今度は、羽織に家紋をつけた藩士が後退した。
作品名:剣豪じじい  3章 作家名:いつか京