剣豪じじい 3章
花井清十郎は、長屋の奥に住んでいた。
いちばん奥の部屋のすぐ向こう側は、どこにでもある小さな長屋の広場だ。
そこには便所やごみ溜めや共同の物干し場、そして井戸がある。
大人や子供など住民たちの溜まり場でもある。
「すみません。花井清十郎殿のお住まいはどちらでしょうか?」
寅之助は、溝板(どぶいた)の路地を抜け、広場にいる女性たちに声をかけた。
「清十郎さんとこは、そこだよ」
井戸端にしゃがんでいたおかみさんが、寅之助が立っているすぐ脇の部屋を指さした。
長屋のどんづまりの四畳半の部屋は、障子戸が閉まり、なかはしんとしている。
障子紙が茶色にくすんでいる
「なんか用なのかい?」
釣瓶(つるべ)で水を汲んでいた女性が答える。
羽織を着た徳川の侍だと言うのに、てんで気軽な扱いだ。
一舜で、最下層の御家人と見破っているのだ。
「まあ、お侍が直接訪ねるなんて、もしかしたらお召し抱えの話かい?」
「でももう遅いよ」
「行っちゃったよ」
「日光から帰ってきたけど、すぐにね」
女たちが勝手に喋りだす。
なんだか花井清十郎は、皆さんに人気がありそうなようすだった。
「すぐに行ったって、どこへですか? 今日は戻らないんですか?」
「戻らないね。なにしろ武蔵国の高塚村だからね」
「そこに行ったというんですか?」
「そうでーす」
これはみんなが声をそろえた。
「で、なにをしに?」
「高塚村に雇われたんだよ」
「子供たちに読み書きを教えるんだと」
「そろばんもだよ」
「村の手習いの先生だよ。大きな村だそうで、そこの寺子屋だそうだよ」
「ここでも、子供たちに算術やら漢字やらを教えていたからね」
「お前もさ、なにか教わっていただろ」
ふいに一人が声高になった。
「腰の下に座蒲団敷いてさ」
わっと笑い声が湧く。
「冗談でもそんなこと言うんじゃないよ」
桶の水を一人の女の頭に被せた。
「やったね」
女も濡れた洗濯物で、相手の頭をびしゃっと叩いた。
やめな、やめな、と他の女たちが止めに入る。
年寄りの侍ということで気を許したのか、おかみさんたちが花井清十郎に聞いたと言う話を聞かせてくれた。
花井清十郎が街道を歩いていると、茶店から男が飛びだしてきた。
道のかたわらに、疲れた客が一休みしたくなる頃合いの場所に建っていた茶店だ。
「お侍様、大変失礼を申し上げますが、文字はお読みになられるでしょうか?」
茶店で男が倒れたのだ。
男は持っていた手紙を差しだし、『これを、これを』といって息を引き取った。
茶店の主は、計算はできるが、難しい文字は読めない。そ
こへ花井清十郎が通りかかったのだ。
清十郎は手紙を見た。
それは、武蔵国の知行地(ちぎょうち)である高塚村への、支配者である旗本からの緊急連絡だった。
急の病で亡くなった男は、宛名に書かれているその村の村長の遣いの者だった。
表書きを見ただけで、花井清十郎は手紙の使命を理解した。
緊急の内容については、開封をしてみなければ分からない。
武蔵国の知行地だと分かると、茶店のおやじが提案した。
「お武家様、再度失礼を申しあげますが、見たところ御浪人でいらしてかなり暇そうな様子でございますが、どうでしょう。暇つぶしと申してもなんですが、この手紙、宛名の村に届けていただけないでしょうか。
実は私どもも、幕府が定めたお決まりどおり、街道の商売人の組合として、亡くなられたご本人を棺桶に入れ、これから村まで届けなければなりません。いろいろ準備がありまして、夕方の出発になると思います。亡くなった男がすぐに手紙を届けてくれと申しまして、報酬のつもりでしょう、小判一枚を差しだしました。わたしたちはご遺体を届けたとき、村からそれなりの料金をいただくことになっておりますので……」
おやじは、哀願する目つきで手紙と小判を差しだした。
小判に釣られなかったといえば嘘になる。
だが、とにかく暇だった。
花井清十郎は半日かけ、教わった村へ急いだ。
武蔵国は、江戸に屋敷を構えている徳川直参の旗本たちの知行地になっていた。多くの旗本が武蔵国の土地を分割して支配し、税金の米を農民から徴収しているのである。
その米が旗本たちの生活の糧になっているのだ。
花井清十郎が高塚村に着き、村長に手紙を渡すと大騒ぎになった。
なにかがあり、備蓄された米の緊急放出だった。
高塚村は大きな村で、三百戸ほどの農民が暮らしていた。
男たちは総出で馬や荷車で米を積みだし、夕刻にもかかわらず急ぎ出発した。
このとき村長の息子は、村の寺子屋で子供たちに教えていた。
手紙を持って現れた花井清十郎と話をしてみると、教養もありそうで人柄も悪くなさそうだった。
なによりも暇そうだったので、二、三日、寺子屋の先生をやってもらえないかと頼んだ。
村長の息子は、父親が病気味なので自分が行かなければならなかったのだ。
二日後、村長の息子が無事にお役目をはたして帰ってみると、浪人の花井清十郎に、子供たちが良くなついていた。
教え上手でもあった。
教育熱心な村長の息子は、村に住んで寺子屋の先生になってくれれば、畑も田んぼも分けてやるがどうか、と提案した。
「だからもう清十郎さんは、もうこの長屋には帰ってこないよ」
「村の人になるんだってよ」
「お百姓になるんだと」
「畑も田んぼも貰えるので、寺子屋の仕事しながら野菜や米も作るんだってさ」
「旅先ですごい剣術遣いの年寄りに会ったので、住んでるところ教えといたから訪ねてくるかもしれないので、もしきたら村に遊びに来てくださいって言ってくれって頼まれたけど。あんたその剣豪じじい?」
「そうだけど」
「まさかあ」
井戸端で女たちは、わあっと笑った。
七十ちかい骨張った細身のじいさんが、剣豪である訳がなかった。
「武蔵国の高塚村の寺子屋か」
寅之助は、井戸端の喧騒に背中を向けた。
たった二人の例だったが、今まで無関心だった浪人たちが、町人や農民になって生きていく瞬間を目撃したような気がした。
4
何日間か雨がつづき、やっと晴れた。
寅之助は上野の森を抜け、木々の茂る寛永寺の境内をとおり、不忍の池とは反対の方向に坂をくだった。
開らけた空が、江戸の喧騒を忘れたように澄んでいる。
低く緑の畑が広がり、左側の奥には、生垣の塀で囲まれた藩の下屋敷がならんでいる。
そのなかに、鶯谷の茶の師匠、旗本二百石の長谷川次郎兵衛の屋敷がある。
緑の木々に囲まれ、茶の師匠の質素さと静けさで、晩秋の陽に包まれている。
正面の丘の裾には、大小の農家が茅葺の屋根を連ねている。
徳川の時代になって農民は厚遇され、門のあるどっしりした家に住むようになった。民の豊かさが国を豊かにする───と言う原理に徳川が気づいたのである。豊かさが平和を生み、民に活力をもたらすのである。
春のさかりであれば、鶯谷の名にふさわしく、丘の裾ではさかんに鶯が鳴く。
そして、長芋や絹さやの棚がなだらかな谷の農地を一面に埋め、収穫をまつ。
菊乃は、二歳の雪之丞とともに次郎兵衛の屋敷に住んでいる。
寅之助の組屋敷よりも安全だからである。
二人には七日ぶりに会う。
次郎兵衛の家来には腕の立つ者もおり、用心棒にもなっている。