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剣豪じじい  3章

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ちょっとばかり、敵意がにじむ口調だ。
「この先の知り合いを訪ねてきた。それよりも、みなさんこそ、こんなところでなにごとでしょう」

寅之助が聞き返す。
「われわれはただの浪人でございます。いちいち詮索される覚えはございません」
大柄の浪人の答えだった。
そしてひ弱い老人と見たのか、からかい半分のつもりらしく、刀の柄に手をかけようとさえした。

それは、実践を知らない者の軽率な行為である。
腰を引いた寅之助が、一瞬の動作で半身まで抜いた白刃を、ぱしんとまた鞘に戻した。
耄碌じじいだと思っていた浪人たちは、その剣捌きに息を呑んだ。
「本来であればいまごろお前は、からだが右と左に別れていたはずだ。もう一度訊く。この路地に何用であるのか」

浪人たちは凍りついた。
一人の男が応じる。
「その男の無礼はお許しください。わたしたちは仕事を探しにきているのです」
「仕事だと?」
寅之助はもう一度素早く路地を眺めなおした。

前の男がふり返り、不安そうな目で寅之助をうかがった。
「どんな仕事だというのだ?」
「傘張りです」
「傘張り?」
寅之助の声が大きくなった。

「はい。やり方を覚えれば、いい金になるというので」
浪人は、鼻の脇にかすかな笑い皺を寄せる。
「ほう……」
のどの奥から低い声が出た。
寅之助が大野一馬にもってきた内職ではないか。

「するとみなさんも傘張りを?」
そこにいた元侍たちが、黙ってうなずいた。
鎧を着て槍をもち、馬に跨って戦場を駆け巡るほうが似合いそうな男もいる。
だが、よく見ればみな頬がこけ、青白い。
しかし、もう戦争はない。
大阪冬の陣、夏の陣を経て天草の切支丹の乱も終わった。

さらに幕府の掟に背いた者、また相続争いを防ぐ『長男相続』の決まりが果たせなかった者たちが、禄を取り上げられるようになった。
結果、全国の大名たちは法を守り、秩序を重んじるようになった。
この武断政治で世の中は平和になった。
平和を守るため、武士は存在する──という観念が不偏され、家康の政策は一応の成功を見た。

ただしそこに、犠牲者である多くの浪人が生まれた。
「しかし、傘張りの内職をするのに、なぜこんなところに立っているのか?」
当然の疑問だった。
「順番を待っている」
「順番?」
「傘を張るにはコツと技術がいる。それを教えてもらう」

『刀でお脅していたあの乱暴者が教えているのか』とこれは口にださない。
「ちょっと失礼。ごめんなさい」
寅之助は、人の間を通りぬけた。
左側の部屋の障子の向こうから声が聞こえた。

「骨は四十八本あります。骨だけのこの傘に紙を貼るのが仕事です。まず軒紙、中置き、そして銅張りとそれぞれを貼っていきます。次いで傘の頭、手元、姿付け、頭包みと進め、そこで終わります。あとは他の職人さんの手に渡り、仕上げられるのです。この仕事は今まで京の都の職人さんしかできませんでした。それだけ根気のいる難しい手仕事なのです。ですからこれがこなせれば、高い手間賃が貰えます」
なんということだ。
貧乏浪人の大野一馬が、何人もの人を集め、傘張りの講釈をしているのだ。

だれかが指で突いたのか、細めの破れ目からのぞくと、なんと中にも五、六人の浪人たちが膝詰めて座っている。
浪人たちを前に、髷(まげ)を鬢(びん)付け油でみずみずしく整えたりりしい顔立ちの大野一馬が、骨だけの傘を広げ、熱弁を振るっていた。

「これから実際にやってもらいますが、みなさん、この仕事で生きていく決心をしたわれわれはもう侍ではありません。われわれはもう町人なのです。そんな覚悟でやらないと、この仕事は務まりません。ちなみにこの仕事は青山百人町の甲賀の組屋敷の御家人たちが器用さを生かし、腕を振るっているとのことでありますが、徳川直参の御家人とやらに負けぬよう頑張ろうではありませんか」

さすがに浪人たちは、おーと鬨の声をあげる訳にはいかなかった。
だが、心火(しんか)を焚きつけられる講釈だった。
「どなたですか、そこから覗いている方。次の番までおまちください。わたしにご用ならば、中に入ってお待ちください」
声を掛けられ、寅之助は障子戸を開けた。

二本差しの年寄りの姿に、大野一馬は、おおっと声を上げた。
黒い前掛けを付けた膝を床に折り、手を突いて頭をさげた。
講釈を聞いていた全員が振り向き、寅之助を見守る。
「松下寅之助様、ごぶさたしております」
思わぬ対応に、寅之助も仕方なしに顎でうなずく。

「ずいぶんとご発展のようだが……」
突然訪ねてこられた大野一馬がおどろいている。
だが、寅之助はもっとおどろいていた。
「はい、おかげさまで。噂が噂を呼び、次々に傘張りの希望者がやってまいります。うまくできるようにここで講釈をし、二軒先と三軒先の部屋で実際に紙を貼って訓練させてもらっています。希望者が多いので順番でまってもらっています」

侍の時代には、どんなお役目を頂いていたのか。
生き返ったようにきびきびしている。
詳しい説明を聞くまでもなく、たった四ヶ月ちかくで傘張り職人の親方になろうとしていたのだ。

「つかぬことを聞かせてもらいますが、それで一本仕上げると幾ら貰えるのでしょうか?」
質問したのは、膝詰の講習を受けていた一人だった。
「私が一人で仕事をしているときは、一日で五、六本は仕上げました。一本仕上げて銀一匁ですから、一日一両になりました」
一両と聞いて、浪人たちがそわそわと膝をさわがせた。
だが大野一馬は落ち着いてつづける。

「でも皆さんは、上手な人でもせいぜい一日に一本でしょう。それも、破れ傘で修行をし、コツを覚えたあとでの話です。傘問屋の京屋さんの話ですと、私のように器用な者は滅多にいないそうです。みなさんが一日一両稼げるなどと思わないでください。とにかく、きちんと仕上げられるようになるまで、失敗にめげず頑張ってください。あたらしい世の中で生きていくためです」

そこにいる浪人たちは、観念したようにそっと唇を噛んだ。
寅之助は、侍であった浪人たちが、町人として生きていく瞬間を目撃したような気がした。


京橋に寄ったついでに、日本橋の十間店(じゅっけんだな)に住んでいると教えてくれた花井清十郎を訪ねた。
千住の宿にさしかかったとき、菊乃のあとをやくざ者がつけていた。
そのやくざ者に混じっていたので、てっきり用心棒かと勘違いしてしまった。
瀬戸内の藩に仕えていた、無聊(ぶりょう)浪人である。

その浪人、花井清十郎は日本橋の十間店に住んでいた。
傘張りの大野一馬の長屋から、歩いて二十分ほどである。
通りは、京橋から日本橋、日本橋から神田へと直線で通じている。
日本橋から神田へ抜けるその通りは、江戸一番の商店街である。
呉服屋、薬屋、本屋、酒屋、魚屋、八百屋、菓子屋、料理屋、米屋、紙屋などがならび、人々で賑わっている。

表通りの大店の裏側は、庶民の住む長屋になっており、商品を担いだ棒手売りなどが野菜や魚などを直接売り歩く。
さまざまな人々が暮らすそんな裏長屋に、江戸の庶民に混じり、もと侍であった浪人たちも暮らしている。
免罪の意味もあるのか、浪人たちの借家希望を断ってはならない、という幕府の布告もあった。
作品名:剣豪じじい  3章 作家名:いつか京