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静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑪信州の旅

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■旅の初日:自宅⇒早太郎温泉「こまくさの湯」(長野県駒ケ根市)


【今日の走ったルート】 静岡県西部の自宅から天竜川沿いに北上して、兵越峠(ひょうごしとうげ)から長野県へ。南アルプスの南部と伊那山地に挟まれた細長い谷の遠山郷(とおやまごう)に下り、山間を北上するも通行止め。伊那山地のトンネルを抜けて伊那盆地へ。中央アルプスの麓のリンゴ園の中の道を走り、木曽駒ヶ岳の麓の駒ヶ根高原の温泉の駐車場で車中泊。

【この日の忘れられない出来事】 静岡と長野の県境の兵越峠までの上りとその先の下りの狭隘道路での運転は疲れた。それを癒してくれたのはヒグラシの鳴き声で、「ジル」を停めて、暫く聞いていた。ちなみに、自宅周辺で鳴いているのはクマゼミで、癒しには程遠く、聞いているだけで暑くなる。

【旅の内容】 朝一で、自宅の冷蔵庫に入れていた食品を「ジル」の冷蔵庫に運び込み、運転席には、愛飲しているゼロコーラとお茶を置いて、全ての準備を終えたことを確認した。
 妻はまだ働いているので、今回もセカンドライフのひとり旅だ。
 久し振りに、宇多田ヒカルの「Automatic」を聞きながら自宅を出発。天気も良く、気分がいい。このCDは成田空港のショップで買ったものだ。当時は海外駐在していて、久し振りに日本に出張し、本社での仕事を終えて成田から離日する際に、空港内のショップで試聴したこの歌に衝撃が走り、CDアルバムを即買いしてしまった。
 その後、この1stアルバム「First Love」は爆発的に売れたことを知った。確か、日本を含む全世界でおよそ1,000万枚ほどだったと記憶している。
 
 自宅から西へ走り、天竜川の土手の道路を北上。そのあたりは河川敷が広く、グランドが点在している。対岸の河川敷との間を川が蛇行して流れ、石ころの多い河原が続く。
 天竜川が北遠(ほくえん)の山々から浜松平野に出るあたりに、あの「二俣城」がある。武田信玄と勝頼の親子と徳川家康が激しい攻防を繰り広げた城であり、後に、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られる。そのあたりからR152を走り始め、間もなく、船明(ふなぎら)ダムを左に見る。
 その上流はダム湖の体を成し、天竜川が南北に直線に流れている部分は漕艇場になっている。そこで開催された国体予選レガッタ大会(ボート競漕会)に出場したことがあり、その後は、全国高等学校選抜ボート大会のスタッフ応援をしたこともあり、ここまでは身近なエリアだ。

 山間を抜ける天竜川沿いのR152の左右の山々は次第に高くなり、バンクベッドが庇のように前方に突き出ているため、フロントガラスからは山の稜線が見えない。体をハンドルに近づけて見上げると、夏色に染まっている山々が見えた。そして、いつものように窓を開けて走っていると、体感温度が少しずつ下がってゆくのを感じた。

 天竜川を遡ると巨大な佐久間ダムに行き着くが、R152は支流の水窪川(みさくぼがわ)に沿って上ってゆく。このあたりは特に、梅雨明けの緑が濃くて、人間が自然に圧倒されてしまう。
 やがて、水窪の町に入った。バイクツーリング際に数回立ち寄ったことのある休憩所で小休止。今回初めて、その場所が「水窪の星の駅 碧(あおい)」という地域のインフォメーションセンターだと知った。
 北遠地方の観光マップを入手したあと、念のため、観光案内所で、兵越峠を越えた先の、南アルプスとその西側の伊那山地の間の遠山郷の道の駅までは、キャンピングカーが通行できるかと尋ねると、峠までは問題なく走れるとのことだったが、その先の長野県側は分からないとの回答だった。

 「星の駅」をあとに、R152の道路幅が狭くなってきた。
 やがて、「三遠南信(さんえんなんしん)自動車道」として建設された「草木(くさぎ)トンネル」を抜けた地点でR152は途切れ、その先は林道になった。
 幅員がさらに狭くなり、バイクで走るには面白い道だが、車幅が2mの「ジル」にとっては、この狭隘で急勾配・急カーブが続く林道の運転は厳しく、所々にすれ違いが可能なスペースはあるものの、対向車が来たら、どちらかがそのスペースまでバックしなくてはならないような道が延々と兵越峠まで続いた。
 この時、対向車が1台も来なかったのは、マジにラッキーだった。それくらい交通量が少ない道なのだろう。
 改めてこの道について振り返ると、「ジル」で走るには多少の無理があり、宅配便の中型トラックは辛うじて通行でき、長さの長い長距離トラックは走れない、それは、経済的な交流の少ない両県を象徴しているかのように感じた。そもそも、宅配便のトラックは、県を跨いだ配達はないと思われるので、この道を走る最大のクルマは道路工事の土砂を運ぶ中型のトラックくらいだろう。

 兵越峠を越える直前に、「国境(くにざかい)」と書かれた立札が立っていたので、すぐ先の少し広い場所に「ジル」を停めて、立札を見に行った。
 ここでは毎年、「国盗り綱引き合戦」が行われ、「遠州軍」(浜松市天竜区)と「信州軍」(飯田市(旧下伊那郡南信濃村))の代表同士がチームを組んで綱引きを行い、勝ったチームが「国境」を1メートル相手側の領土に動かすことができるのだ。その合戦の会場にも歩いて行ってみたが、誰もいなかった。TV等で見る合戦時の賑わいは想像できなかった。
 「国境」の立札の位置について少し調べたところ、2020年度以降はコロナで中止の状況だが、前年度に遠州軍が勝ち、1mは戻したものの、本物の県境からマイナス2mの状況だ。

 このあたりには、以前から妙に感じていたことが幾つかあったので、少し調べてみた。
 まずは、青崩峠(あおくずれとうげ)を挟んで、R152が南北に途切れていることだ。そのため、迂回して、兵越峠を越えることになるのだが、全国でも屈指の「未開通の酷道」のひとつと呼ばれているようだ。
 海を隔てて対岸とつながっている国道もあるくらいなので、国道はつながっているものだと思っていたが、峠で途切れている道というのは理解し難い。その理由はどうも、青崩峠が中央構造線上にあり、トンネル建設が難しいためだったようだ。

 二つ目は、兵越峠に来る途中で通過した立派な「草木トンネル」は当初、「三遠南信自動車道」として、1994年に開通したが、今は一般道になってしまったことだ。
 その理由は、兵越峠直下にあたる地盤が脆弱なことが判明し、「草木トンネル」の先のトンネル工事が着工されなかったためだ。そのため、「三遠南信自動車道」は中央構造線から少し外れた地盤のやや硬い青崩峠の西側を通るルートに変更され、現在、「青崩峠トンネル(仮称)」の建設が進んでいる。

 ちなみに、「草木トンネル」の建設費用は、脆い地質と高圧帯水層による異常出水に苦しめられ、2.2 kmのトンネルとその前後の取り付け道路に180億円、すなわち 1 kmあたり80億円超を費やすという難工事となり、中央構造線をトンネルで貫くことの困難さを証明することになった。
 「青崩峠トンネル(仮称)」の完成後は、この「草木トンネル」も含めて、兵越峠を超える林道ルートは、殆ど使用されない道になるため、この180億円は税金の浪費になってしまったと思えてならない。