悠々日和キャンピングカーの旅:⑪信州の旅
■旅の行き先
今回の旅の行き先を「信州」にした。
その理由は、高校生の頃から、「信州」の二文字に一種の憧憬を抱き続け、これまでも行ったことはあるが、キャンピングカーで、時間を気にせず、じっくりと回ってみたいと思ったからだ。
信州、すなわち、長野県は静岡県の隣の県で近いようだが、実は遠い場所だ。
直線距離は短いのだが、そこを走る高速道路はまだ完成しておらず、下道は広くない道幅のジグザグした3桁国道を走らなければならない、且つ幾つかの峠を越える必要がある。国道が途切れているため林道を走らなければならない場所もあり、「ジル」には少し苦手な道のようだ。
なお、少し遠回りにはなってしまうが、高速道路を使えば信州には容易に着ける。西回りならば、東名で愛知県に入り、そこから中央道に乗り換えて信州へ。東回りの場合は、東名から一部開通した中部横断自動車道を経由して山梨県に入り、そこで中央道を走れば信州だ。
私の旅のスタイルは「下道を走る旅」なのだが、静岡県と長野県の県境に、北上する高速道路が完成すれば、間違いなく高速道路を選びたいと思っている。県境の下道の現状は、バイクならばそれなりに面白いのだが、「ジル」で行くならば、私をそう思わせるレベルだ。
少しだけ、信州に関する思い出を紹介する。
私の実家は九州の福岡県で、通学した高校は元小笠原藩の藩校だが、最寄りの鉄道の駅はかなり離れていて、バスの運行はなくはないが、限られた路線のみだ。したがって、生徒の大半は、自転車通学という田舎の高校だ。しかし、長距離通学の生徒だけには、バイク通学が、三ない運動の頃の当時も今も、許可されている珍しい(?)高校だ。
今はどうか知らないが、生徒の投票で修学旅行の行き先が決まった。確か、行き先の候補は6つ、沖縄(海洋博覧会)、阪神(神戸・大阪)、京都・奈良、信州、東京の中から選ぶのだが、生徒の自主性を重んじたのか、民主主義を学ばせようとしたのか、高校側の思惑は未だに知らないが、生徒の総意で「信州」に決まった。
当時、信州を全く知らなかった私は、改めてその地を意識し始め、未知の場所だから行ってみたい気持ちが募り、祈りながら、信州に投票したところ、どうも、多くの生徒もそうだったようで、票が集まった。
少し興奮気味に新幹線に乗り、どこで下車したのかは記憶にないが、途中からバスに乗って、最初に向かったのは旧中山道(「きゅうなかせんどう」と読み、「いちにちじゅうやまみち」とは読まない)の宿場町の妻籠(つまご)だったことから、新幹線は名古屋までだったのかもしれない。そして、松本城、黒部ダム、上高地、白樺湖、富士五湖などの信州の名所・旧跡を観光したような、それはもう、微かな記憶しかなく、アルバムを見ても、点は分かるが線が繋がらず、断片的に記憶を辿ることしかできない。
そして大学生の頃、短い夏休みに、2人の友人は1台のクルマで、私はバイクで、九州から四国に渡り、キャンプをしながら各地を回った。その後、九州に戻る二人と別れた私は、小豆島(しょうどしま)を経由して本州に渡り、信州や飛騨を回り、山陽を走って九州に戻った。そのツーリングのアルバムを見ずに思い出せる信州の思い出は、風景でもなく、温泉でもなく、次の3つだ。
まずは、諏訪湖の湖岸でバイクのチェーンの調整をやったこと。長距離を走ったためか、少しチェーンが伸びてしまったようで、なぜか、最初に思い出す旅のシーンだ。
次は、上高地近くの林道を走っていた時、理由はもう思い出せないがUターンして少し走った際に見たのは、道の真ん中に落ちていたシュラフ(寝袋)、それは私のものだった。戻ったのは「虫の知らせ」だったのかもしれない。
そして、上高地を散策している時、雨が降り出し、倉庫か何かの軒先で暫く雨宿りしたことだ。
これまでの信州の旅は、スケジュールが決まっていたり、長い旅の一部分だったりで、じっくりと回っていなかったため、いずれは、ゆっくりと時間を掛けた旅をしたいと思っていた。
そして今、キャンピングカーならば、マイペースでじっくりと回れるし、予定を立てずに、気に入った場所を巡ることができる。そうなれば、これまでと違った一面に出会えるのでは・・・と期待を込めた。
以下、今回の旅の日々の様子を書き連ねるが、日毎の「走ったコース」、「忘れられない出来事」、「旅の内容」に分けて、旅のページをめくることにした。
作品名:悠々日和キャンピングカーの旅:⑪信州の旅 作家名:静岡のとみちゃん