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静岡のとみちゃん
静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑪信州の旅

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 市街を走ったあと、長岡駅の駅前で、20kmほど南の小千谷在住の友人の自宅に電話を入れると、彼は在宅していて、再会できることになった。教えてもらった住所をナビにセットしてたどり着いた場所は、私の記憶にある家ではなかった。

 私がまだ学生の頃、九州の南の西表島(いりおもてじま)で出会った彼は日本一周中のワイルドな自転車野郎で、その数ヶ月後、当時私が住んでいた熊本市内のアパートに勝手に入っていて、私が帰宅した際に、非常に驚いたという衝撃的な再会になった。確か、アパートに2泊して阿蘇山に向かって去って行った。
 2回目の再会は、私がバイクで日本一周した際に、彼の家に立ち寄った時だ。その時、彼は山の奥の方に住んでいて、3月の雪が降る中、ヘルメットのシールド(風防)に着く雪をグローブで拭きながら、やっとたどり着き、その夜は一泊させて頂いた。彼の妹さんは、彼からは想像ができないほどの美人で、たいへん驚いた記憶がある。
 そして今回の3回目の再会は、お互いに齢を重ね、それなりの容姿になっているものの、40数年前の面影はたっぷりと残っていた。これまでに一度、電話で会話しただけの関係だったこともあり、お互いの40年間を語り合った。そして、彼が運転するクルマで、空き家になっている山の中の元住んでいた家に連れて行ってもらったが、そこは記憶以上の山の中だったことを改めて知った。

 小千谷には5時間も滞在し、ホントに心地よい時間だった。突然の訪問を暖かく迎い入れてくれ、最後に、彼が作ったお米と甘酒を頂いてしまい、サンクス、サンクス。旅から戻ってきて、「静岡のお茶」を送った。
 それにしても、彼も私も、相手方を突然に訪問してしまう性格の様だ。

 小千谷からは信濃川に沿って走り、十日町(とおかまち)を経由して長野県に向かった。
 この十日町は日本有数の豪雪地帯で、それに関係する印象的な二つの車窓風景を見た。
 そのひとつは、町の中心街の町家の庇などが道側に長く張り出した「雁木(がんぎ)」で、積雪時は、その下は歩道になり、人が行き来できる。
 もうひとつは、少し郊外に出ると、R117沿いの家は、積雪で埋もれてしまうコンクリート製の1階部分があり、2階から道に下りる階段がある特徴的な3階建ての大きな民家が建ち並ぶ風景だ。

 走りながら思い出したのは、田中角栄元総理大臣の「三国峠を切り崩せば、冬の季節風は太平洋側に抜けて、越後に雪は降らなくなり、新潟と東京がつながる」の言葉だった。
 新潟と東京を分ける三国山脈、広義には越後山脈だが、その三国峠(標高1,244m)の東側の谷川岳の下を今、高速道路と新幹線のトンネルがあり、中越と群馬県北部一帯の北毛(ほくもう)がつながり、新潟と東京がつながっている。
 小千谷から今走っているのは、魚沼や六日市を経由して、角栄さんが言った三国峠に向かうR17ではなく、その北側の、魚沼丘陵と東頚城丘陵の間の十日町盆地を抜けるR117で、南下すれば、新潟県と長野県との県境だ。
 このルートは、信濃川およびJR飯山線と平行しており、山間を抜ける道だが走り易かったことを覚えている。県境を越えてすぐのところにあった道の駅「信越さかえ」で小休止した。
 実は、先ほどまでの彼との会話が楽しかったせいで、そのあとの、小千谷からのひとり静かな運転の雰囲気の差が違い過ぎて、眠気が襲ってくること数回、そのため、道の駅が見えたときは安堵した。

 そこで十分な休息が取れたようで、ハンドルを再び握る気力が湧いてきた。
 この先には、二つの道の駅があり、今日のゴールは、ふたつ目の道の駅「花の駅千曲川」に決めた。

 この駐車場に入るときに見えたのは、駅舎の前にある屋根のある休憩所で、数年前に、サーモボトルを忘れた場所だった。
 そこは、あの東日本大震災の被災地が見たくて、震災の2ヶ月後のGWに、自宅からバイクで、松本、長野を走って、猪苗代湖を経由して太平洋側の相馬市に向かう途中、小休止のために立ち寄った道の駅の休憩所だった。
 ちなみに、相馬市からは太平洋岸を北上し、石巻までの被災地の中をバイクで入り込んで見て回り、最後は、自衛隊とボランティアの人たちのテント村に私もテントを張らせて頂き、ボランティアの人と会話する機会を持つことができた。そんな行動を取った私の大胆さと行動力に、今更ながら感心した。

 「ジル」を駐車場内の車中泊に適した場所に停めたあと、その休憩所に向かうと、そこにはひとり用のテントが張られていて、私より年上に見えるバイクのライダーがいた。かつてバイクでここに来たこともあり、彼に話し掛け、旅の話が始まった。
 千葉県在住の彼は、かなりのツーリングをやっているとのことだった。ひょっとして、既にリタイアしてセカンドライフを送っている人かもしれない。会話が面白く、気が付くと、道の駅の営業時間が終わっており、駅舎に入る機会を失ってしまった。

 晩ご飯は、湯を沸かすだけのカップ焼きそば、それに、ここまで走ってきたルートで買った甘露煮の鮎と虹鱒も食べた。信州の味だと思った。

 就寝前の旅のルーティーンを終え、バンクベッドに上った。
 ダイネットの窓を網戸にしていた時は気が付かなかったが、いざ寝ようとすると、バンクベッドの小窓から聞こえてくる長距離トラックの掛けっぱなしにしているエンジン音、それに軽自動車のエアコンのスイッチのON/OFFで唸るエンジン音も聞こえてくる。何とかならないかなあと思いながらも、すぐに眠りに就いた。