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静岡のとみちゃん
静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑪信州の旅

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 かつて、太陽のコロナを国内で唯一観測している場所だったが、開所以来60年を経て建物や観測設備の老朽化が進み、太陽観測衛星「ひので」に観測を引き継ぐ形で閉鎖することに決まり、その歴史を取材して記事を執筆した。

 その取材に同行した友人が、取材記事には乗鞍岳の山頂から撮ったコロナ観測所の写真が欲しいねと私に提案したことで、急遽、乗鞍岳の最高峰の標高3,026mの剣ヶ峰(けんがみね)に登ることにした。その途中、私の友人は疲れ果ててしまい、彼の荷物を私が担いで登頂した。
 そこから見下ろす感じで撮った「コロナ観測所」の写真は、記事に深み(高み?)を添えることになった。
 そして、取材から数ヶ月後の2010年3月31日に、老朽化した「乗鞍コロナ観測所」は閉鎖されたが、翌年、国立天文台が属する自然科学研究機構の直属の研究施設として、「乗鞍観測所」として再出発した。

 この剣ヶ峰登山については後日談がある。それは、この時の登頂は初めてのことだと思っていたのだが、実は二度目だったことだ。
 それは、バイクツーリングの写真のアルバムを見ていた時、ツーリングブーツを履き、革ジャン姿の大学生の頃の私が「剣ヶ峰」の山頂標識の横に立った登頂記念写真があり、かつて登っていたことを知った。
 二度目の登頂だったことに驚きながらも、そのことをすっかり忘れていることに愕然としてしまった。ひょっとして、脳の海馬(かいば)がくたびれたのか・・・、まだまだ続くこれからのセカンドライフのためにも、海馬を鍛えることにしよう。でも、どうやって?

 そのツーリングの写真からもうひとつ分かったことは、「乗鞍スカイライン」をバイクで、乗鞍岳登山口の標高2,702mの畳平(たたみだいら)まで走っていたことだ。そのことを全く思い出せないのだが、今はマイカー規制が行われているため、貴重な経験もしていたのだった。
 40年もの時間の経過は、記憶の濃淡以上に、忘却の彼方に葬ってしまうようだ。

 県境の長峰峠(標高1,503m)で、「岐阜県高山市」の案内標識を見てから先は、上るときよりも急な勾配の下りが始まった。加えて、Rの小さなコーナーが続き、道幅は狭くなった。やがて、飛騨川の高根第1ダムの高根乗鞍湖の横に出た。そこからさらに下ると、「野麦峠」と書かれた案内標識が見えた。
 そこは「今」と「思い出」が巡り合うポイントだ。

 その標識の下でちょっと迷ったが、野麦峠(標高1,672m)には行かないことに決めた。かなり大変な道を上らなければならないことと、そして色々な思い出のある野麦峠は、そのままキープしておきたいと思ったためだ。

 その思い出とは、ビッグスクーターで行ったソロキャンプツーリングの際の、雨の降る夜の怖さと下り坂での怖さを体験したことだった。
 その日の夕方近く、東の長野県側からたどり着いた野麦峠で、「お助け小屋」に立ち寄り、ちょっと覗いているうちに営業時間が終わったのか、小屋の人が雨戸を閉め始めたので外に出た。周囲には人影はなく、ポツンと私ひとり。寂しい夜を迎えることになりそうな雰囲気に包まれ始めた。
 その夜は雨が降りそうな気配だったので、東屋(あずまや)の中にテントを張っていると、時間を早送りしているような夕方、あたりは一気に暗くなった。星も出ておらず、漆黒の闇の状況だった。
 東屋の内側の板壁に沿ったベンチをテーブル替わりに、ライトをひとつ灯して、自炊した夕食を食べながら、その様子や東屋の横に停めたビッグスクーターなどを、三脚を使って、遅いシャッタースピードで写真を撮った。
 前日までは毎晩、その日に撮った写真をテントの中で見るのが日課だったが、その夜は、ひょっとして何か妙なものが写っていたら・・・と思い始めると、デジカメの液晶モニターを見ることができなかった。
 その理由は、誰もいない山奥の峠ということもあったが、そもそもここは、江戸時代の頃、厳しい峠越えにより命を落とすものが多かった場所で、だからこそ、小屋を建てて番人を置き、峠越えをする者を助けていた場所なので、何が起きても不思議じゃないと思ってしまったためだ。
 ソロキャンプの夜は、そんなことをつい思ってしまいがちで、そうなってしまったならば、早々に寝るに限る。

 夜半過ぎ、私の予想が当たり、かなり強い雨が降り始め、東屋に当たる雨音で目が覚めた。
 雨音に紛れて、東屋がピシッ、ピシッと音を立て始めた。聞き慣れない音のため、何か妙なものがその音を立てているのかもしれないと思い始め、そうなると暫くの間、再び眠りに就けなかった。

 不気味な夜を経験した翌朝は晴れ上がり、明るいということだけで、感謝の気持ちで一杯になった。
 ところが、峠を岐阜県側に下る時に問題が起きた。私のビッグスクーターのフロントブレーキにフェード現象が発生し、ブレーキが効かなくなったのだ。初めての経験だ。バイクならば、ギヤを落としてエンジンブレーキを掛けながら低速で下ることができるが、スクーターではそれができず、リヤブレーキのみで下っていった。これはかなり危険な運転だった。
 その時、昨夜の雨の中での東屋からの音のことを思い出し、今、私に妙なものが憑いているのか・・・、そんなことを思いながら、長峰峠から下ってきたR361に合流し、安堵した。
 以上が、野麦峠のちょっと不気味な思い出だ。

 そもそも、北アルプス(飛騨山脈)の山岳地帯の東西を横断する道は少ないため、岐阜県北部の飛騨地方と長野県の経済圏は分断されている。
 今走ってきた長峰峠を越すR361は、その南端の道で、その北側には1979年製作の映画「あゝ野麦峠(大竹しのぶ主演)」で名が知られた野麦街道(県道)があるが、半年近くは積雪で通行止めになる道だ。従って、さらに北側に位置する安房峠(あぼうとおげ)の下を通過する安房トンネルで県境を越えるR158がメインだ。 

 こうしてみると、中部地方にある中央アルプス(木曽山脈)も南アルプス(赤石山脈)も、東西の往来は少なく、異なる経済圏が形成され、マクロ視点で、それらが日本の国土のほぼ中央にあることで、日本は効率の悪い国のように感じた。
 そのため、R1や東名に新東名、そしてJR東海道本線に新幹線、建設中のリニアも含めて、日本の大動脈が静岡県に集まっていることを再認識したものの、そこが今、南海トラフ地震の最大の被災地のひとつに予想されていて・・・、R361を走りながら、そんなことを想像してしまった。

 キャンピングカーの旅の紀行文が、いつの間にか、不気味な思い出や、南海トラフ地震と静岡県の内容になってしまったが、話を戻そう。

 道の駅「飛騨たかね工房」が見えたので立ち寄り、小休止。こじんまりした駅舎だったが、居心地の良い道の駅だった。

 ところで今日は、ツーリングをしているバイクをよく見る。梅雨明け後の4連休の晴れた初日で、ツーリング日和だからだろう。このR361から野麦峠の上り坂を攻めるライダーも多いはずだ。峠からの下りの際は、エンジンブレーキを多用して、ブレーキの掛け過ぎは控えようね。