剣豪じじい 2章
赤ん坊は菊乃の背中だ。
菊乃は茶屋の卓袱台(ちゃぶだい)で、会津に行く寅之助に託す母親宛ての手紙を書いていた。
子供の父親は青雲斎ではなく、本当は寅之助であるという内容だ。
昨夜の曲者(くせもの)が会津から来ていたのだとしたら、床下で偽情報を聞いていたにちがいない。
だが、これで暗殺の対象から外されるのかどうかは分からない。
とにかく育ての母親に会って、菊乃の本当の父母についての手掛かりを掴みたい。
また菊乃と子供が狙われているかもしれない状況で、そのまま組屋敷の家にいていいかどうかの判断も下さなければならない。
寅之助が店の表に目をむけたとき、川岸の柳の枝を分け、やってくる男の姿があった。
小太りで筒形の黒い帽子、黒い羽織、灰色の着流し。
元一刀流の剣豪で、いまはお茶の師匠をしている長谷川治郎兵衛だ。
いつもの席にいなかったので、店をのぞきに来たのだろう。
店に入ってくるや左端の座敷の二人を見つけ、手をあげた。
「やあ、やあ……お?」
うら若き女性と一緒の寅之助に、声が跳ねた。
菊乃は座敷に正座をしながら、背中に赤ん坊を背負っている。
「なんだ、これから鶯谷の庵(いおり)に訪ねようと思っていたところだ。いいところに来てくれた。上がってくれ」
剣豪時代に腕を競った相手だ。
全身全霊、生死を掛けた勝負を三度もおこなった。
運よく三度とも引き分けで、互いに生き残った。
偶然、三年前に再会し、信頼できる唯一の友人になった。
寅之助は、昨夜の一件を次郎兵衛に報告した。
そして菊乃との関係、会津での菊乃に起こったできごとも話した。
次郎兵衛からみれば、山田青雲斎輔矩(すけのり)は剣の師匠である。
菊乃は師匠の奥方になる。しかも、会津藩主、保科正之の家臣として、山田青雲斎はいざという時の隠れた実力者だった。
赤子はその遺子である。
「菊乃殿が会津の浪人たちに襲われたとなると、問題は単純ではない」
次郎兵衛は腕を組み、顎をひきしめた。
すぐ、なにかに思いあたったようだ。
江戸には、各国の大名たちが参勤交代でやってくる。
次郎兵衛は、その江戸詰めの大名たちに茶を教えている。
次郎兵衛が雑談で得る、大名たちからの情報は並みのものではない。
ふと耳にしたこぼれ話であっても、茶室での私事は他言無用だ。
信頼は絶対である。
だが、次郎兵衛は語りはじめた。
「関連するかどうかは分からないが、こんな噂がある。現在の藩主である保科正之が会津に赴任してくる前、二千人の農民が旧藩主に反抗し、他藩に逃亡した。そのとき、旧藩主である加藤明成の横暴をいさめようと忠臣の家老、堀主水が説得したが聞き入れられなかった。そして家老が城に鉄砲を撃ちかける騒動になった。結果、旧藩主の加藤明成は四十万石から石見吉永藩の一万石に改易になった。
当然、旧藩に仕えていた大勢の家臣たちが浪人の身になった。このとき、旧藩主の横暴をいさめようとした堀主水家に仕えていた浪人たちは『農民が集団で逃げ出すほどの悪徳の藩主だった。家老はそれを正そうとしたのだ。確かにお家騒動は罰を受ける。だが、たった一万石の改易とはどういうつもりだ。徳川幕府は間違っている』と怒った」
寅之助は知らなかったが、大名たちの間では有名な話だった。
「一万石に改易になって浪人になった話よりも、二千人の農民が集団で逃げ出した事件の方が気になる。よほどのことなんだろうな」
寅之助は会津の山に修行にいく途中、山菜の取り方や魚の獲り方などを教えてくれた穏やかな農民たちを思いだした。
「そうなんだ。旧藩の二代目の若殿様は、昼間から芸者を呼んでどんちゃん騒ぎというていたらくだ。まあ、話は飛ぶけど聞いてくれ」
次郎兵衛は、お茶をすすってつづけた。
「浪人たちが参戦した大阪冬の陣、夏の陣、さらに天草、島原のキリシタン一揆も終わった。その結果、行き場のなくなった浪人たちは、京都、大阪、そして江戸へとやってきた。その数は全国で二十三万人ほどだ。この困窮浪人たちを焚きつけ、世の中をひっくり返そうと計ったのが由比正雪だ。計画は途中で幕府に知られ、正雪は割腹自殺をはかり、黒幕が誰だったのかがはっきりしなかった。
さらにこの年、三代将軍の家光が亡くなり、四代将軍の家綱の時代になった。家綱はまだ十一歳。幼い将軍の跡見人となったのが家光の異母兄弟で、幕臣でもあった会津藩主の保科正之だ。幕政の陰の中心人物となった保科はこのとき
だが、浪人たちは怒った。
とくに会津の城下町で暮らしていた浪人たちは、自分たちが暮らす会津の藩主が主張した法であることと、当事は出羽山形の藩主であった保科正之が加藤家の家老を焚きつけ、会津藩を狙ってお家騒動を起こさせた、という陰謀論まで出現した。
その結果、一派の過激分子が保科正之の命を狙うという事態までに発展したのかもしれないが、ここまでは耳に入ってくる話をつなぎあわせてみたのだが、今回の菊乃殿の件から察するに、なにかが密かに動きだしたと判断したほうがいい。
隠れ後継者である青雲斎は、すでに山で亡くなっているが、青雲斎に子供がいることを知って危惧を抱いたのだろう。だが、昨夜の床下にいたという曲者は、菊野殿は寅之助の子であると話を聞いて信じたろう。逃がしてよかったのかもしれないな。残った問題は、菊野殿の父親や母親がだれなのか、というところだ」
最後の一言を付け足す。
寅之助も複雑な表情で頷き、菊乃に向きなおった。
「菊乃殿に訊ねるが、会津の前はどこに住まわれておられたのですか?」
「出雲山形です」
「その前は?」
「信濃の国、高遠です」
「なるほど……」
「やはり、菊乃殿の母親を探し、会ってこよう。菊乃殿に付いていたお女中にも会ってみたい。いいですか?」
もしかしたら、母親の父親は徳川の血を引く会津藩主……と想像してみるが、そうだとしたら隔離されたように離れて武家屋敷に住んでいる理由が理解できなかった。
寅之助は、会津に行く了承を菊乃に得ようとした。
「はい。私も一緒にいきます」
「だめだ。また捕まったらどうする。それに赤子も守らなければならない」
菊乃は、三本槍岳で山賊に襲われ、腕に手傷を負いながら見事に身を守った。
しかし今回は、一歳の息子がいるのだ。
6
寅之助は会津若松を目指した。
会津には、保科正之に恨みを持つ旧会津藩の浪人たちがいる、とされている。
次郎兵衛の情報であるから、事実であろう。
その実態も確かめなければならない。
青雲斎に子供がいると知り、彼らは殺害をくわだてている。
陰の力をもつとされる人物に子がいては、都合が悪いのか。
旅は、奥州街道から日光道中へ抜け、さらに山奥の会津街道へと続く。
街道は整備され、一日の行程に合わせ、宿場も設けられている。
寅之助は腰を曲げ、杖をついている。
髷をほどき、頭のてっぺんに髪をかきあげ、紐で結んでいる。
顔を泥と煤で汚し、着物は古着屋でぼろを買った。
生地が薄くなり、ところどころが破れ、透けていた。もう針では繕(つくろ)えない。
荷を背中にくくり、とぼとぼ歩く。
痩せて、骨っぽい乞食寸前の貧乏人だ。
刀は差せない。固い樫の杖が武器代わりだ。