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剣豪じじい  2章

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「このような場所では、なにかと問題を起こす客がいるものです。界隈のもめごとの一切はおれたちに任されています。それに、お客の案内もさせてもらっています」
「なるほど、ここはお前たちやくざ者のシマだというんだな」
「平たく言えばそうなります」
立髪(おつがみ)の若い親玉は素直に認める。
どうやら寅之助に恨みも敵意もないようだった。

「旦那さん。この色町ははじめてでしょう。よかったら私がご案内いたします。とびっきりのいい娘をお世話しますよ」
「おい、おれはそういうつもりで来たんじゃない。どういうところかと思ってのぞきにきただけだ」
話していると、正面の格子戸をのぞく二本差しの侍がふり向いた。
そこにいる寅之助に気づくと、こけた頬でにっと笑った。
同じ組屋敷に住む男だった。

「ご隠居さん」
声をかけてきた。
塀に隔てられた組屋敷には、同じ広さの敷地に同じ家が並んでいる。
お役のときは仕事の付き合いくらいはあるが、日常、気軽に行ききする訳ではない。
だが、近所であれば寄り合いがあるので顏ぐらいは知っている。
同じ、ご隠居同士だ。

「精がでますなあ。お盛んでなによりです」
自分を棚に上げ、羨ましそうに寅之助を観察した。
色町で顔を見られた、いいぞ、と寅之助は内心でほくそ笑む。
色町に居た噂ぐらいは流してくれるだろう。
「ほんのちょっとの見物です。まあ暇つぶしですな」

格子の向こうの畳の上で、五人ほどの女が外の男たちに媚(こび)を売っていた。
しかし、だれも目の前の二本差しの御家人に笑顔を向け、誘いかける者はいなかった。
貧乏侍は、決して店に上がらない。それを知っているからだ。
白粉の匂いを満喫したご近所のご隠居は、寅之助に目配せをし、姿を消した。

「旦那さん。いえ、お侍さん。ただの見物だなんて……」
カブキ者の親玉は、すご腕の持ち主がただの見物と聞いて驚いたようだった。
「いや、実は倅に子供ができないから、枕絵でも買っていこうかと思ってな」
「枕絵ですか?」
枕絵はそのものずばり、性的な興奮をうながすための絵である。
普段は枕の下に敷いておくので枕絵と呼ばれるようになった。

もともとは性教育の意味もあり、親が嫁入りする娘に持たせたりしたものである。
「枕絵なら色付けのいいものがあります。その絵を見ればたちまち子供が授かります。いま持ってこさせます。すこしばかりお待ちださい」
カブキ者の親玉は、おいと、脇に用心棒面で立っている若者を呼んだ。

若者は露地に消え、すぐに戻ってきた。
「滅多に見られない、すげえ傑作ですぜ」
色町を根城にしたカブキ者の親玉は、真剣な顔で手渡してくれた。
「いくらだ」
「いりません。このまえのお詫びです。今後ともよろしくお願いいたしやす」


《ああ、もうもうもう》
《どうも、どうも、それいきますよ》
《ええ、ええ、ええ……》
《女はたえかねすすりなき》
《男にしがみつきておおよがり》
《はあはあはあ、あれあれあれ……》

孫の平助が、覚えたばかりの文字をけんめいに読んでいる。
外出から帰った寅之助に抱きついたとき、懐から覗いていた枕絵をつまんで引きだした。
そして広げた絵に描かれた文字を発見し、習った知識を家族に披露している。
「こら、そんなもの声にだして読むな」
さすがに寅之助は孫の平助を叱った。

平助は、文字が読めるようになった自分を祖父が褒めてくれると思っていた。
だが、怖い目で睨まれてしまった。
しかし、怖い目には、どこかに含み笑いが潜んでいた。
「だってここに書いてあるのに、どうして読んじゃいけないんだ。ちゃんとおれ読めるんだぜ。すごいだろ」
平助は、枕絵を手にむくれた。

三つの部屋の襖は開け放たれている。
屋敷の内部はすべて筒抜けである。
風呂帰りであらためて着物を着替え、賑やかだった続きの部屋で平助の朗読を耳にした夏江も、その奥でしゃちほこばって文机に座って筆を動かしていた松下家の主である重太郎も、あわててそっぽを向き、聞いていないふりをした。

だが、赤ん坊を抱え、白い頬を湯上りで上気させた菊乃が言う。
「まあ、平助さん。なんでも読めるのねえ、すごい」
菊乃は枕絵も知らないし、読み上げた台詞が男女の交合の口上だとも知らない。
「おりこうだねえ。もっと読んでみて」
「あい」

平助の元気な声が返った。
表彰状でも読むかのごとく姿勢を正し、枕絵を持ちかえる。
《それそれそれ、もっとおくま……》
「わあっ」
叫んで奥の部屋から父親の重太郎が、続き部屋からは母親の夏江が両手を前にだし、飛びだしてきた。

父親に枕絵を取りあげられて頭をなぐられ、母親からは頬をねじられる。
訳の分からない平助が、わっと泣きだす。
「通りを歩いていたら、二階家からひらひら落ちてきたので拾ってきただけだ。重太郎、おまえたちにやる。しっかり眺めてまた子をつくれ」
寅之助がせがれ夫婦に告げる。

「子供のまえで変な話、しないでください」
夏江は頬を赤らめ、手にした枕絵を手早く丸め、前襟の隙間に押しこんだ。
カブキ者に貰ったとき、寅之助は絵を確かめもしなかった。
今はじめて絵を見、おどろいた。極彩色の繊細な筆で、秘部もあらわに男女が恍惚の表情でからみ合っていた。

傑作だとカブキ者は説明したが、その意味がすぐに分かった。
絵を見た瞬間、耐えてなかった感覚が、枯れ果てた寅之助の脳裏から下半身までひらめいた。
当然ながら、今夜からは自分の部屋で菊乃と寝なければならない。
その絵の残像を頭に焼き付け、すぐ隣に若い菊乃のからだが横たわっていたら……。
まずい、どうしよう、と寅之助は唇を噛んだ。

菊乃が、慣れない手つきで赤ん坊のおむつを替えている。
「おちんちんだ。男の子だ。いっしょに剣術のけいこができるぞ」
泣きやんだ平助が、はしゃいでいる。

表通りを、かけ蕎麦屋がとおる。
饅頭(まんじゅう)屋もとおる。
『かみゆいー、かみゆいー』と廻り髪結(かみゆい)師が通る。
怪しい者以外、組屋敷内の通路には夜の八時まで、出入りは自由だ。

「さあさあ、みなさん、ご飯にしましょう」
やがて嫁の夏江の声がかかった。
外はまだすこし明るい。
侍も町人も、貧乏人は明るいうちに夕食をとる。
日が暮れたら、さっさと眠る。明かりを灯す油は高価だ。

台所に箱善(はこぜん)が用意されていた。
主の重太郎の膳を中心に、それぞれの四角い膳が半円形に並んでいる。
菊乃の膳も用意されている。
膳には、米のご飯に野菜の漬物、それに豆腐の入った味噌汁。
味噌汁に豆腐が入るのはまれである。
風呂に行く前、棒売りが来たので買ったのだ。
普段はただの薄めの汁だったが、今夜は客人があったので特別だ。

いつもゆっくり食事をとる重太郎も夏江も、蟀谷(こめかみ)をひくつかせ、せわしくご飯を噛んだ。
食事中、いちおう松下家は無駄口を禁止している。
それでも、今日はなにがあったかなど、二つ三つ話題を口にするはずの夏江も黙っている。
目を虚空に据え、ひたすら口を動かしている。

寅之助は、今日はじめて訪れてみた川岸の色町の賑やかさを話題にしようかと思ったが、いつもと雰囲気がちがうので黙っていた。
作品名:剣豪じじい  2章 作家名:いつか京