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剣豪じじい  2章

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敷かれた筵の上に雪之丞が寝かされ、さっそく竈に火が焚かれた。
鍋釜などの道具は以前のまま残っている。
薪も山になったまま残っている。

山はとっぷり日が暮れていた。
食事を終え、筵の上で雪之丞を真ん中に眠りにつく。
丸太の薪の焚火で暖をとる。
久しぶりに体験する山だった。

獣の鳴き声が三本槍岳にこだました。
明日は墓を埋めなおし、その上に大きな石を置いておこう。
山の獣たちが持っていったとしたら、魂は永遠に自然のものになる。
ふさわしい結末だろう。

二人ともお鈴に言われたように、もう六日間、顔もからだも洗っていない。
衣服の汚れと共に、どこから見ても立派な乞食だった。
だが、雪之丞だけは体をていねいに拭き、ボロではあるが衣服も清潔にしていた。
もちろん見た目には汚い子供である。

明日の夕方には、会津若松に着く。
雪之丞の本当の父親は寅之助だという趣旨で、菊乃はすでに会津の母親に手紙をだしていた。

10
会津若松城は、五層の天守閣だった。
珍しく、赤瓦の屋根を聳えさせている。
菊乃と寅之助は、天守閣を右手の方向に眺めながら橋を渡った。
外堀に囲まれ、武家屋敷が並んでいる。
菊乃の屋敷はその北側の本町にあった。

城下は北側が賑やかだった。
役人や武家の家屋敷とともに、商店が並び、市場があった。
菊乃の案内で、新横丁から本町に向かう。
あたりは下級の武家屋敷だ。

きれいに区画された通りを、乞食姿の寅之助と赤子を背負った菊乃が、忍ぶように歩いた。
杖を突いた年寄りと若い母親の乞食の姿に、通行人が足を止めかける。
だが、寅之助も菊乃も気にせず、歩を進めた。
乞食姿の菊乃に気づく者はいない。

「菊乃殿、他には、どこにも乞食がいないねえ」
もちろん会津藩が安泰で平和だからと言って、乞食がいない訳ではない。
「いいえ、五街道からたくさんの旅人が会津を通りますし、その中には当然、乞食もおります。町中にいるはずです」

内堀の向こうの城郭に、門構えのある家屋敷がならんでいる。
「寅之助様、こちらです」
ついていくと家が途切れ、雑木林がひろがった。
前方のお堀の岸に、杉林に囲まれた小さな寺が見えた。
住職のいない無人の寺だそうだ。

菊乃の提案で、様子を探るため、しばらくその場所を使うことにした。
旅の乞食夫婦には、格好の場所だった。
祭壇の前に立ち、手を合わせる。
そして賽銭箱の背後の濡れ縁にあがり、扉を開けた。

六畳ほどの板敷の内部は、埃だらけだ。
寅之助は、部屋の隅に転がっていた箒で床を掃き、背負った茣蓙(ござ)を敷いた。
「菊乃殿、あなたの屋敷を偵察してくる。場所を教えてくれ」
すぐにでも、菊乃が暮らしていた場所を確認したかった。

寺の裏路を堀に沿って進み、初めの角を曲がってまっすぐいった本町水主丁の角の武家屋敷、と教わった。
武家屋敷は、その一画だけだからすぐに分かるという。
寺の周囲は雑木の生えた草地である。

寅之助は腰を曲げ、杖を突き、首を突きだすように歩いた。
草地を渡り終えると、前方から人がきた。
「見慣れぬ者だな。どこへいくか?」
中年の侍は顎を引き、吟味するように乞食の寅之助を観察する。
「はい、本町主水丁の屋敷に」

「おまえ、見慣れぬ乞食だが、いつ会津にきた」
「先ほどでございます」
「それでは知らぬのも無理はない。主水丁の御武家屋敷は、今朝の火事で燃えてしまったかな」
侍は、それ以上相手にするつもりはないとばかり、通りすぎた。

「火事で燃えた……」
寅之助は杖をついたまま、一瞬ぼんやり立ちすくした。
とにかく教わった方向に急いだ。
城郭の堀に面した通りの一画が、黒く焦げていた。

何本かの柱が立ったまま焼け、半焦げの家具などが散らかっている。
燃えたのは武家屋敷だけではない。
隣接する町屋も五、六軒が焼けていた。
綱が張られ、その外側に何人もの野次馬がたむろしていた。

母上とお米(およね)という名の女中はどうしたのだろう、とすばやく左右を探った。
すると、白襷(たすき)の役人がやってきた。
「こら、なにをきょろきょろしている。火事場泥棒は火あぶりであるぞ。見かけぬやつだ。おい、どこからきた」
いきなり怒鳴られた。

「今市からきました。会津も暮らしやすいと聞いて訪ねました」
とっさに口からでた。
今市は、日光と会津西街道の分かれ道にある宿場だ。
「今市からだと? こっちが暮らしやすいだと? ばかいうな、乞食に暮らしやすいもなにもあるか。むこうの隅に仲間がいるから、そっちにいけ」

手にした警棒で、反対側の人だかりを示した。
寅之助が言われた方に目をやると、反対側の隅に、みすぼらしい数人が固まっていた。
やはりこの会津若松にも乞食はいるんだ、と杖を突き、焼け跡の見物人の背後を回り、反対側に行ってみる。

そこに、五人ばかりが身を寄せ合っていた。
どきっとした。一人の白髪の年寄りだ。裸足である。
むこうも自分を見ている。
寅之助は杖を突くのも忘れ、頭のてっぺんに結った髪をゆらし、その老婆にそっと近づいた。

「お鈴……」
「寅之助……」
人知れず、密会する恋人同士のごとくささやき合った。
「なにがあったんだ」

「火事で、奥さんと女中が死によった」
「……」
え? と驚く。
もう一度、焼け跡を眺めなおした。
落ち着こう、なんでもない風を装おうと心を静ませる。

「ところでお鈴、お前さんはなにを調べてる?」
寅之助は正常心を見せ、お鈴にささやいた。
お鈴の薄い唇から言葉がこぼれる。
「武家屋敷の奥さんと、女中が斬られた」

「斬られた?」
「そのあとで屋敷に火がつけられ……うう」
突然お鈴が顔をしかめた。
「なんだ」
「臭せえ」
鼻に手を当てて見せる。

「おめえが、どこも洗うなって言ったからよ」
「臭いがするほど汚くしろなんて、言ってねえ。ところで、奥さんと子供はどこじゃい」
「今は堀の近くの無人の寺にいる」

「だれか他におるのか」
「母と子だけだ」
「あぶねえ」
お鈴の口もとに、力がこもった。
「お前たちは、旅の途中もしっかり見張られていたんだぞ」

そう告げるや、お鈴が裸足の足で歩きだした。
人だかりを避け、裏側を回った。
浴衣地の着物の裾を脹脛(ふくらはぎ)にからませ、大股で歩きだす。
すでに無人の寺の場所を知っているようだった。

寅之助も後を追おうとし、あわてて杖をついた。
人影が失せたところで、杖を脇に挟んで追う。
ようやく追いつくが、二人ともそんなに速くは走れない。
堀沿いの道にでた。

あとは、堀に沿って道なりだ。
とにかく、息を切らしながら足を動かし続けた。
杉の木立の中に、寺が見えた。
「いやあ。ええい」
杉林の中から、黄色い声が聞こえた。

ついで、かきん、がしん、と刃金のぶつかる音がした。
「いやあー」
「きえいー」
夢中で走った。
杉の木立の間をぬった。

「ええい、面倒だ。火を放てい」
覆面の男たちだった。
菊乃が小刀を構え、格子戸に立ちふさがっていた。
濡れ縁には、四人ほどがいた。

「何者だ」
寅之助が叫ぶ。
男たちはぎょっとなり、手を緩めた。
寅之助は息が切れ、喘いだ。

「なんだくそじじい。なんか用か」
作品名:剣豪じじい  2章 作家名:いつか京